外伝:蝮と虎と油売り①

 永正1504〜1521某年。美濃国。後に歴史を変える要因になる、一人の禿頭の男が平伏していた。

 「名を、なんというか」

 「西村にしむら勘九郎かんくろう、以前は京の妙覚寺みょうかくじで僧をしておりました。しかし弥二郎やじろう様に拾っていただきここに馳せ参じた次第で」


 ゆっくりと、人当たりの良さそうな話し方。目の前でそんな勘九郎を見ていた美濃国守護候補、土岐とき頼芸よりのりはその態度に好感を覚えた。というのも最近頼芸にとっては喜ばしい出来事が続いていたからだった。彼の機嫌が良かった、とも言える。


 「引き連れている者はいるか」

 「いえ。ただ愚息が一人」

 「良い。では弥二郎が面倒を見てやれ。まったく、突然紹介したい者がおるというから何かと思ったが」


 これは過去の物語だ。過去に在った話。もっと具体的に言うならば、史実。

 史実、というには少し不確定か。だからこれはただのだ。


 「誠心誠意仕えさせて頂きます」


 『京都妙覺寺法花坊主落にて、西村与申』。戦国三梟雄、斎藤道三の父はこのような記述を皮切りに歴史の表舞台に登場する。後から思い返してみれば美濃国を揺るがす……いや、その後の織田信長や室町幕府のことも考えると日本の歴史を変えた重大な出来事だった。もちろん歴史の当人はそんなこと知る由もない。知る由もないからこそ、歴史は思わぬ方向に動いていく。


 頼芸との会見後、二人は語り合っていた。

 「いや、やはり名門土岐のお方。気品があり素晴らしい」

 「勘九郎、貴様も中々の者だと思うがな」

 信長が活躍する頃には既に見る影もない土岐氏という勢力だが、この当時は美濃国守護として一大勢力だった。現在の当主は土岐政房まさふさ。先程まで話していた頼芸はその次男坊だ。


 「いえ、これも全て弥二郎様が手配してくださったおかげで」

 「どの口が言う」


 勘九郎が彼のところに転がり込んでいったのだ。理由は分からないが『武士になりたい』と。そう主張して、筋も悪くはなかったから家臣とすることにした。だから厳密には勘九郎は頼芸の陪臣ということになるが面白い男だ、という理由で頼芸の前に顔を見せることがかなった。これは彼にとって、立場が上の人間に名前と顔を覚えられる絶好の機会になったことは想像に難くないだろう。

 

 「それにしても史は繰り返しますな。あの方も政変に巻き込まれておるとかで」

 「ああ……あれは大変だな。父親にやられたことを子にやり返すとは、はた迷惑な意趣返しだよまったく」

 「政房様は次男の頼芸様を当主に、と望んでおられて嫡男の頼武よりたけ様の意向を無視しておられる。これでは近いうちに戦が起きます」

 「だろうな」

 

 政房の後継者問題は派閥問題と化し、美濃の中に嫌な空気を漂わせていた。前もそうだった。二十年ほど前、政房も「弟の方を次期当主に」と言われた嫡男側の人間だった。もちろん誰を後継者に指名するかは当主の自由だ。だがそれが問題になるということは分かっていないのか。


 しかしその頼芸側の人間として有力なのが勘九郎の隣にいる長井ながい弥二郎やじろう長弘ながひろ。彼に取り入ることで美濃での地位を確固たるものにする。それが勘九郎の狙っているところだった。


 永正十六1519年六月十六日、土岐政房死去。

 「我こそは西村勘九郎!!! 我に敵う者が居るならば名乗り出てみよ!!」

 勘九郎はそれはそれは活躍した。持ち前のやや低い背丈、身軽な体を活かして敵を翻弄。戦働きは一級のものだった。


 「やあああ!!!」

 飛んでくる斬撃、弓矢にも対処しながら戦場で暴れまくった。


 「我に挑む者はいないか!」

 戦場の一角で、たった一回の戦で勘九郎は名を馳せた。

 

 しかし大局的に見ると頼芸は戦に負けた。隣国越前からの朝倉氏の援軍が痛かった。特に朝倉あさくら景高かげたか――当主の弟が強かった。瞬く間に頼芸たちは追いやられて遂に頼武が美濃国守護と相成ったのだ。


 「あああぁぁ!!!!」

 「頼芸様! 落ち着いてくださいませ」

 「私は父に『美濃を継げ』と言われたのだぞ!? それを破って何が嫡男か!」

 必死に諌める長弘に対して言った。

 「いいか! 必ず逆襲する! 兄上を超えて美濃守護に!!!」

 喉を震わせながら、そう誓った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 大永五1525年。

 「どう思うか、長弘」

 「絶好の機会かと」

 北近江の領主、つまり浅井あざい氏の居城の小谷おだに城が朝倉と六角ろっかくによって包囲されて戦になっているという情報が入ってきた。その朝倉軍の中には朝倉氏家老、朝倉の中でももっとも恐れるべき人物、朝倉あさくら宗滴そうてきも入っているという話だ。


 頼武に味方しうる対外勢力が別のものに集中している。チャンスという他はない。頼芸は逆転を狙って挙兵した。前回のあの忌々しい思い出から六年が経っている時のことだ。


 「このまま攻め落とすぞ!!! 私に着いてこれぬような者は全員下がれ!! 着いてこれる者だけ着いてこい!!」

 やはりというべきか勘九郎はこの戦でも活躍した。稲葉山城を奪取、そして美濃国の要衝を次々と攻撃。頼武はその後に朝倉を頼って越前へ落ち延びて行った。


 



 「……はぁ」

 「元気がないな、勘九郎」

 何年経っても変わらない調子で二人は話している。主従関係、というよりは出会いが特殊だったのも相まって親友のような間柄だ。長弘の方は白髪が目立つようになり勘九郎も背が曲がっている。ついこの前まで戦で前線を引っ張っていた人間にはとても思えない。


 「弥二郎様。実は最近体の調子が悪いんです。息が苦しく、咳も……」

 「……そうか」

 慰労の言葉をかけるべきか、一瞬迷ったが長弘は何も言えなかった。目の前の彼が言っていることはつまり、別れの時が近づいてきたということだからだった。その言葉だけで判断したのではない。ここ最近の態度、姿勢、ふとした時の表情。様々なものからそう考えていた。


 「勘九郎は、何か悔いはないか」

 「まだ死にやしませんよ。やることは幾らでもある、いつ死んでも後悔なんてあるに決まっています」


 少し間を置いて「けれど」と言葉を続けた。

 「強いて言うなら息子のことですかね。もし私が死んだ時は頼みますよ、面倒を見てやってください。私にやってくださったように」

 

 「約束する……だがその前に、勘九郎。長井家の重臣として活躍してくれたからこそ言いたい。長井の姓を名乗って同族にはならないか。これから頼芸様を支えていくなら尚更、長井の名は有用になる」

 

 「同族……? いえ、私みたいな粗忽もんが長井の名を名乗るなんて無礼ですよ」

 長弘は頼芸派として行動してきており、実際頼芸に目をかけられていたが所属上は守護代斎藤家の家臣だった。そうだとしても長井の名が勘九郎にとって重く、長弘の美濃の立場が高かったことは変わらないが。


 「頼む。そもそも"西村"の姓も元の名では無いのだろう? ならば何回変えても変わらんさ」

 「……分かりました」


 頼武が越前へ落ち延びたことで頼芸は実質的な後継者に。長井長弘、長井新左衛門尉しんざえもんのじょうの名前は幾つかの文書に登場する。つまりこの二人が頼芸に目をかけられて美濃国政務の担い手となっていたことを示す。土岐家の重臣として、だ。


 「……弥二郎様、何故」

 天文二1533年二月、長井長弘死去。それを悔やんだ新左衛門尉も翌月、後を追うように亡くなった。



 そして世代が変わっていく。

 「これからよろしく頼む! 景弘かげひろ殿!」

 「こちらこそ、規秀のりひで殿」

 長弘の跡は嫡男景弘、新左衛門尉の跡は同じく嫡男規秀が継いだ。


 そしてこの"長井規秀"こそ、後に美濃の蝮と呼ばれる斎藤道三のことであった。

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