143話:斎藤道三という男

 拓海の脳内人物辞典より。斎藤道三とは。


 1520年頃、美濃国。とある街にて。

 『さあさあ山崎屋、庄五郎しょうごろうと申しまする! これより私が売る油、注ぐのに漏斗じょうごは一切用いません! こちらの一文銭の穴、油を注いで通せれば銭をこの箱に。油を買って頂きます! 少しでも一文銭に油がかかればお代は要りませぬ。さあどうですかこの油、ぜひ買ってみようという者はおられるか!』

 

 今と変わらない禿げた頭に、表情豊かに滑らかに口上を述べていく。その口ぶりに通りがかりの人々は『今日もやってるぞ』なんて調子で寄ってくる。

 若き頃の斎藤道三といえば油売りをしていた。元は僧侶だったものの還俗。

 生まれ持った頭脳の明晰さを活かして評判の商人となっていた。


 例えば明銭みんせん永楽通宝えいらくつうほうの直径2.5cm。穴ではなく硬貨の大きさが、だ。至難の業どころか不可能に近いものだろう。初めは『何を言ってるんだこの男は』と奇特な目で見られた油通しも、今ではすっかりとお馴染みとなっていた。


 『その油貰おう』

 『喜んで』

 

 道三……もとい庄五郎は『ちょいちょいちょい』と掛け声のようなものを出しながら油の入っている容器を傾ける。その細く、しかし途切れない油は衆目に見つめられながら見事一文銭の間をすり抜ける。『おおお!!』と歓声が上がったところで。

 庄五郎は感心したふうの目の前の男に話しかける。


 『ではお代を』

 『素晴らしいな。こんなのは初めて見た……ああ、金はもちろん払う。それにしてもそんな腕を持つのに商人をやっているのは勿体ないな』

 『勿体ないといいますと?』

 『この技術を武芸に注げば稀代の武士になれるのに、と。そのままの意味だ。』


 懐に刀を備えた、その武士は庄五郎にそう語りかける。皮肉を言っているようには聞こえない。少し、面白い想像をした。


 庄五郎が油売りの商売道具を全て売り払って長井ながい長弘ながひろの家臣になり、そして西村にしむら正利まさとしと改名したのはそのすぐ後のことだった。今や美濃国国主、斎藤道三立志の噺である。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 斎藤道三に呼ばれて稲葉山にやってきた。ヒヤヒヤものだ。何を言われるかたまったもんじゃない。光秀のところに入り浸っているという話がいって『遊び呆けるとは何事か』とでも言われ、そのままクビ……文字通りの……いや、彼はそこまで極端な人間では無いはずだ。多分。


 「行くぞ、藤吉郎」

 「はい」


 部屋に通されて暫くすると道三がやってきた。今日は孫……斎藤龍興は連れてきていないようだ。つまり藤吉郎も含めて3人きり。

 「どうだったか、明智城での暮らしは」

 「え、ええ。良くしてもらいました」

 「光秀とも懇意になったとか。彼奴は中々人と交わらんからな。医術も含めて教養はあるのに、勿体ないもんだ」


 別に光秀のことについてとやかく言う感じでは無いらしい。まずはその事に安心した。

 「調べさせてもらったぞ」

 「……何について?」

 「磯貝、そなたが織田を逐われた理由だ。なんでも信長と口論になったからとか」

 

 おいおい、どうやって調べた? 内容までは知られてはいないだろうが、信長が自ら言いふらすとも思えない。どういうルートで? 恒興、藤吉郎……有り得ない。


 呆然としている間にも話は続いていく。

 「まあそれで今回呼び出したのは……そこの後ろにいる者もだ。二人とも儂の家臣にならないかということでな」


 そこで道三は自身が考えていたことを二人に明かした。二人が転がり込んできた時点で『織田は斎藤と手切れにしようとしており、二人はそのスパイではないのか』と考えたので光安の所へ送り付け、監視の目をつけさせたこと。

 しかしからの情報で拓海が本当に信長と別れたことを知り改めて二人を臣下に誘っているのだと。


 拓海からするとまず『疑われていたのか』という気持ちが来た。斎藤は織田の同盟相手なのだから疑われることは絶対にないと思っていた。むしろそのいざこざを無くすため、というのが馴染みのある斎藤家に仕官した理由のひとつでもあった。


 「道三……様の直臣ということは我々は」

 「別に任せる城も持っておらぬし、稲葉山で……だな。光安も含めて色々と斎藤家臣と関わりを持つが良い。そのために戦に先んじて呼んだのだしな」

 なるほど、そういう意図だったのか。

 

 「ははは……てっきり私は毒でも盛られるのかと」

 「盛るわけがなかろう。そんなことしたことも無い」

 嘘こけ。


 「まあ、そうだな。磯貝は尾張の人間だから知らないだろうが、この斎藤の名跡に着くまでにはなかなか苦労はしてきたものだな」

 道三が遠い昔を懐かしむような口調に切り替わる。少し目の奥が据わってて怖い。

 「油売りから……ですよね?」

 「油……? それは少々勘違いをしておるな」


 「油売りをしていたのは私の父、新左衛門しんざえもんのじょうだ。もう二十年ほど前に死んだがな。儂はその跡を継いで土岐の家臣になって、それからは……語るのは面倒臭いが美濃を統一したという具合だな」

 は? 父親? 道三の? そんな話あったっけ? いや、そんなこと言われてたような気も……?


 「え、それでは僧侶だったのは?」

 「おお。そこまで知っておるのか。それも儂の父の話だ」


 あれ? じゃあこの目の前にいる斎藤道三って別に僧侶から商人、武士から戦国大名へと超出世を果たした自分が思い描いた梟雄ではないのか? そんな思考が拓海の脳内を駆け回る。


 「そ、うなんですね……」

 「少々話しすぎたな。では頼むぞ、儂の家臣とも正式に同僚になるんだから仲良くしてくれ」

 ぽん、と道三に肩を叩かれる。

 自分が知っている限りの経歴を否定されたのは初めてのことだった。

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