140話:松平との政略結婚②
お犬と帰蝶が向かい合っている。お犬は少し気まずそうな顔だ。
『三河に行くなんて嫌だ』とゴネているお犬と話そう、と言って連れ出してきた。
「松平のところに嫁ぎたくないんですよね」
「……はい」
お犬からすると叱責されると思った。何を考えているのか、家のためを考えているのか。自分からすると正直その言葉が何を意味しているのか深い意味は分からない。ただ周りの大人が須らくそのような反応をチラつかせるので、それが正しいのだろうとは思っている。
「私も、お犬のように美濃から嫁いできた身です。確かに決められた結婚というものに良い気はしません」
帰蝶が信長に嫁いだ歳は14。今のお犬とあまり変わらない。どちらも若い時に伴侶を決められたという点で一致する。
「嫁いだら、その人とずっと一緒なんでしょ……そんなの嫌だし……それと……」
ぼそぼそとそんなことを言って少しでも抵抗しようと試みる。可愛いものだが、それでもやはり少し可哀想に見えてくる。
「三河の松平忠康殿。お犬と歳も近いし楽しい話相手になってくれると思いますよ。友達を作りに行く、そんな感覚でいいんです」
「でも一生その人からは離れられないじゃない」
相手が戦やら病気で死んだとか、同盟関係が切れたとなったら元の家に戻ってくることもあるが多くは一生を共にすることになる。それに諸々の関係で戻ってきたとしてもその時の織田家に、お犬の心安らぐものがあるのだろうか。
「でも……」
「でも? 皆には言ってない、何か不安があるんじゃないですか?」
お犬は少し恥ずかしそうにする。
「嫌……なんです……恋をせずに……誰ともしらない人のところに行くのが」
恋。
恋か。
恋だ。
恋をしたい。その欲求は人間の本能に刻み込まれている。
自分の理想とする相手と結ばれ、愛を誓う。
それが、政略結婚をすれば出来なくなる。
箱入り娘という表現が正しいようにお犬は大切に育てられてきた。そして松平家でもそれなりに大切にされるのだろう。それも良い人生なのだろう。
でも人生そんなので良いのか? もっと良い人生はあるんじゃないだろうか。松平になんか嫁がずに女としての幸せを享受する道があってもいいんじゃないだろうか。
もちろん、織田の人間は許さないだろう。たとえ自分が泣いても喚いても最終的には松平のところに連れていかれるんだろう。それは薄々分かっているし、抵抗しても意味が無いことも分かっている。
「私も同じ気持ちでしたよ」
帰蝶が静かに言った。お犬の目線が初めて彼女の方に向く。それを見て帰蝶は少し微笑んで話を続けた。
「どう、とは言えない不安が湧き出てくるんです。織田信長という誰とも知らない男のところに嫁がないといけない。でも案外上手くいくものです。恋をしたい……というのも気持ちは分かります」
「どうすればいいんですか」
「松平のその男の人に恋をすればいいんです」
「え」
簡単な話だ。恋をしたいなら目の前にいる人間にすればいい。別に実家の近くでしか恋をしてはいけないというルールはない。
いや、お犬が言っているのがそういうことでは無いのは分かる。けど、そう考えるしかない。
「出来ますか、恋……」
「出来ますよ」
「帰蝶様は……してるんですか」
「……してますよ」
「こう言うのもなんですが自分が人を愛する以上に、人に愛してもらうというのは良いものですよ。満たされるのを、感じます。愛は、将来の可能性を潰しながら目先の不安を打ち消すことなんです。私たちは生きてる間、どこかで、その決断をしないといけない」
少しの間を置いて、お犬は覚悟を決めた顔で帰蝶に向き合う。
「帰蝶様のことを、信じてみます」
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