138話:医者明智光秀

 明智光秀。現代においては裏切り者の代名詞と言えるのではなかろうか。

 史実で、彼の前半生は全くもって不明である。『明智』という名字から明智城の明智光安の縁戚であることを想像でき、事実そのようにドラマ等でも描かれる。


 史実長良川の戦いにて明智城を斎藤義龍によって落とされ一家離散、その後は朝倉義景に仕えた。その後に時の将軍足利義昭に仕え、上洛を機に織田信長とも接触を持つ。やがては織田家臣の中でもトップレベルの力を持つようになった。


 そこから先は皆知っていよう。1582年の本能寺の変で織田信長らを襲撃、自害させた後に山崎の戦いで羽柴秀吉軍に敗北。敗走中に落ち武者狩りに逢い討たれたという。


 1582年の異様と言える光秀の行動は当時の人々を驚かせただろう。江戸時代以降は山崎の戦いを主導した秀吉の影響だろうか、伊賀越えをさせられた家康の影響だろうか。明智光秀という人物の評価は一貫して低下している。


 今後の地位はある程度保証されていたはずなのに、なぜそんな博打を打ったのか。それは本人に聞いてみないと分からないところだが、ともかく言えるのは光秀は明らかに合理主義者であるという事だ。


 「磯貝殿か。せっかくの縁だし、時間があるなら回ってみませんか。あともう一軒今日は回るところなんです」

 「明智様!」


 弥平次が光秀の提案を制止する。どうやら彼は拓海のことが気に入らないらしい。やはり立ち聞きがバレて怪しかったからだろうか。


 「じゃあ……着いて行かせてください」


 光秀の見た目は……40歳くらいだろうか。想像よりかなり歳を食っている。1555年時点で40歳とすると、本能寺の変時点で70歳くらいか。本当に老臣だな。


 延暦寺焼き討ちの際、光秀はそれに積極的に参加した……という話は光秀の合理的な側面の代表例として挙げられる。少なくとも宗教に対しては保守的ではなかった点において、事績も考慮すると光秀はまさしく物事を総合的に判断できる人間だったのだろう。


 最期ばかりは、果たして合理的な決断だったのかは分からないが。


 

 やってきたのは先程と同じく古民家であり、光秀の後に着いていくと比較的若い男が出てきた。そしてその男の何が疾患であるかは見れば直ぐに分かった。右腕が無かったのである。正確に言えば右腕の肘から下、だ。

 「明智様」


 その男も、光秀のことを同じく"明智様"と呼んだ。成程つまり光秀はここら一帯ではかなり有名な人間なんだろう。その隻腕にはなんの問題もないように見える。いや問題はあるんだろうが、傷の具合としてだ。


 「失礼しますよ」

 そう断って隻腕の彼の肘の部分を観察する。そう、この部分だ。綺麗に縫合されている。これは単純に光秀の医療技術が凄いということなんだろう。

 「……大丈夫ですね。目立ったものも見られませんし」


 そう診断を告げると男は感謝を述べて光秀にへりくだる。いや、彼にとっては命の恩人なのだろう。それくらいはしないと釣り合わない。

 それに応えながら光秀は適当なことを言って踵を返す。本当に一瞬の診療だった。


 その帰り道、明智城に向かいながら光秀と話す。

 「明智様は信頼されているんですね」

 「様、なんて付けなくていいですよ磯貝殿……ええ、ありがたいことに」


 「先程の彼、先の戦であの傷を負ったんです」

 先の戦。美濃国で起きた最後の戦と言えば道三の継承争いをした長良川の戦いか。いや、違う。

 「遠山との戦いです。武田晴信とのね」

 

 「あの戦での衝突戦は本当に数える程、本当に少なかったんですが、その少なかった時に思いっきり斬られたんです。肘の下あたりを。かなり激しく戦っていたらしく、全身土だらけになって運ばれたんです。もうその時には肘下の骨が見えてましてね」

 「骨……え、その時点で肘下があるんじゃないですか」

 「まあ。傷が本当に酷かったんです。もうかなり……こういうのもなんですが……取れかけだったんですよね」


 かなりグロいことを考えてしまった。そこから先は推して知るべしと言ったところだろう。


 「まあ少ないですが確かにそういう例はあるんです。隻腕になった……という例は。でも問題はそこからで、隻腕のそこは運が悪ければ……というか、かなりの割合で死ぬんです。最初は膿が出始めて」


 傷がもとで死ぬ、というやつだろうか。詳しいところは知らないが化膿してその炎症が広がって……というやつだろう。衛生観念や細菌という言葉が存在しないこの時代では避けようがないことだ。


 「でもあの人は生き延びたんですよね」

 「見ての通り、そうですね。でも生き延びたからといってそれが幸運とは限りません」

 「あー……」


 容易に想像できる。義手は無いだろう。あったとしても精度はかなり悪いだろう。そんな状況で文明の利器がなく、主な産業が農業だというこの時代で、腕を一本使えなくなるというのは……生きづらすぎる。


 「乗り越えたんですよ、彼は。刀に深くまで貫かれて、肘下を落として、糸で縫合して。毎日死ぬかもしれない不安に耐えて。とんでもない痛みに違いありません。だから戦なんてそうそうやるもんじゃないって思うんですがね。でもそれは回復するための痛みじゃない。生きるための痛みなんですよ。こんなこと言えやしませんがね、苦しむために痛むんですよ」

 

 光秀の言葉にはかなり実感が含まれているように聞こえる。事実、含まれているんだろう。医者として沢山見てきたに違いない。

 

 苦しむための痛み。まさしく不合理だ。しかしそんなことが自然にまかり通っている。苦しむために生きるならば、その人にとって自分の人生とは何なんだろうか。

 拓海……自分自身は何のために生きているんだろうか。


 後ろの弥平次からの刺すような視線に気づかず、三人は明智城へと帰った。

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