135話:回顧

 清洲城にて。拓海が出ていった次の日の朝には重臣が集まっていた。

 「えー、何となく話は入ってると思うけど磯貝拓海が出奔しました。もう暫くは会えないです」


 一番最初に拓海の出奔を知ったのはもちろん信長、次に恒興だった。次になんの関係かは知らないが利家がその事実を知ってショックを受け周りに広めた。だから部屋に集められた家臣団は「拓海が出奔した」事実のみは知っていた。


 「原因は何かあるんですか」

 「まあ私的な人間関係のトラブル……ってことらしい」

 「どこへ出奔を?」

 「分からん。どっか縁のある所じゃない?」

 「陪臣の……藤吉郎殿は」

 「一緒に着いていったね」


 信勝や勝家、信盛から投げられる質問に答えていく。彼が私的な縁をもつ勢力などこの織田家以外には存在しない。だが、事の顛末を語ると彼や自分が未来人であることが知られる。それだけは隠そう、というのは二人の共通認識だった。


 「中々に……衝撃ですな」


 誰かがそう呟いた。声的に多分秀貞だ。

 ひとまず拓海が居なくなったことを惜しんだ。それだけは間違いない。

 

 織田家家臣団にとって磯貝拓海とは一体どのような人物なのかを考えてみると、不思議なポジションであったことは間違いない。特に特筆して言えるのは主君との異常とも言えるほどの仲の良さであった。主君の部屋に入り浸り、雑談に興じる家臣はなかなかいない。振り返って見てみると、始まりから不思議だった。


 評定が終わったあと、恒興は考えていた。違和感の正体だ。

 「池田殿」


 利家が笑いかけて近づいてくる。未明に彼に拓海のことを知らせたのも恒興だった。

 「今はもう何処にいるんでしょうな」

 「案外まだ尾張に居たりしてな」

 

 「やっぱり拓海って何だったんだ、アイツは」

 切り出したのは恒興だ。始まり、那古野城の近くに異様な服を着た男が倒れていたという話だったと聞く。それを誰か(今思えば親衛隊か)が那古野城に運び込み、信長に見せた。信長は気絶?していた拓海を着替えさせて安静にした。

 あの特異な服の話は聞いただけだが、どうやら信長が何らかの方法で処分したらしい。燃やしたか何かだった気がする。

 「得体の知りえないものって燃やさないよな普通」


 いや、でも布だから燃えるか。いやいや、それでも話になるほど変なものだったらまず話を聞いてどんな物か確かめるだろう。もしかしたらえらく高価な物かもしれない。

 「拓海殿は……不思議な雰囲気の人でしたな。武勇に特に優れているわけではない……教養はありそうでしたが。」

 「武勇の有り無しなんて話じゃない。拓海は織田家に来た頃、まともに刀も振れなかった。もう6、7年は前の話だ」

 拓海に体の動かし方を教えたのは恒興だった。


 考えれば考えるほど磯貝拓海という人間の異常性に気づく。彼がいた時は別に気にしていなかった。そこに彼がいたからだ。本人を目の前にして聞くのは個人的な話にもなるし少し憚れた。

 

 「あー……」

 次にあったら絶対に根掘り葉掘り聞いてやる、と思った。信長に聞いてみるのも手だな、と思ったが今朝の評定の雰囲気を見ると答えてはくれなさそうだ。拓海の出奔に、やけに冷たかったし変に突くと蛇が出る気がする。

 「まあそんなこと言ってる場合でもないか」

 恒興はその場で立ち上がって去ろうとする。利家もそれに呼応するように立つ。


 長沢で行われた戦によって今川義元の三河に対する影響力は激減した。重臣陣が多く討死したことも要因だ。それによって起こったことがある。

 松平家と織田家の婚姻同盟である。

 

 東海地方は現在、戦乱の世とは思えないほどに安定した状態にある。美濃国の斎藤家、尾張国の織田と水野、三河国の松平とそれに付随する国衆。斎藤と織田は既に同盟にある。水野と松平も協調関係にある、というか水野が現在裏切れば両方から織田と松平が攻めてくるので迂闊には動けない。

 

 ということで残るのは織田と松平だ。婚姻同盟を行うことでより強固な関係を構築する。松平の女から織田の男へ、織田の女から松平の男に嫁ぐ。『織田の女』とは信長の妹になる。松平の男、とは勿論忠康だ。"織田の女"は忠康の正室になる。


 「婚姻同盟というとやはり道三の娘の時のことを思い出すな」

 「その時はまだ私は居なかったですし、初めてです」

 「やることは沢山ある。頑張らないとな」

 「勿論」


 恒興と利家が互いを励ますように拳を合わせた。


 

 夜も更けた頃、最近の信長の部屋は少し寂しい。あの磯貝とかいう奴が来なくなったからだ。いや信長が追い出した。仕方ない。

 「寂しいんですか?」


 信長の両肩を抱き抱えるように女性が座っている。信長はその人にもたれ掛かり、体重を任せている。信頼関係がある事が容易に分かる。

 「まあね。正直帰蝶きちょうはあんまり好きじゃないでしょ、拓海みたいなタイプは」

 「はい。でも磯貝様のことを悪く言うとあなたが機嫌を悪くされるじゃないですか」


 機嫌を悪くするのを気にする割にははっきり言うなあ、と苦笑する。彼女は帰蝶だ。まだ信秀が生きていた頃……それどころか信長たちがこの時代に来たばかりの頃に織田家に嫁いできた。それに斎藤道三の娘。


 どうやら彼女は拓海のことをあまりお気に召さないらしい。信長に付け入るように動いている、臆病で決断が遅いとか散々な言い様だ。彼は別に臆病では無い。自分の規定したルートから大きく外れるのが怖くてたまらないだけだ……いや、それを臆病と言うのか。

 

 ただ拓海が本当に臆病だと言うならば、長沢の戦いでの彼の行動にもそう言えるのか。あのまま行っていたら間違いなく彼は死んでいた。だから規定ルートが、史実が正しいと思い込んでいる史実バカ。そんなところで信長の彼への評価は落ち着いている。決して貶しているつもりではない。


 「先の戦は義父ちち上の協力も大きかった。礼を言わないとね」

 「当たり前です。まったくあの人も60を超えてるのに、いつまで政をやっておられるんでしょう」

 そう言う帰蝶の口からは嬉しさなのか、誇らしさなのか兎に角そんな明るい感情が滲まれていることを感じる。その姿が可愛くて信長の口角が上がる。


 彼女はとても可愛い。けど言うことの一つ一つに少し刺がある。だから気が強いようにも見えたが、その言葉の裏に色んな感情が潜んでいるのは長い付き合いで分かってきた。

 「いつもありがとうね」

 「どうしたんですか、突然」


 帰蝶が信長に対して純粋な恋愛感情があるのか。それを信長が知り得ることは出来ない。というより、無い方が自然では無いのかとすら思っている。

 信長は帰蝶のことが正直好きだ。この時代で出会う女性の中でも歳が近いし容姿もいい。性格も献身的だし、言葉が多少鋭いのは彼女の父親の顔が薄ら浮かんでくるが可愛く思えてくる。

 


 帰蝶が床に仰向けになる。

 「今日もよろしくお願いします」

 信長はそれに覆い被さる。夜は更けていくばかり。

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