133話:新たな旅
戦後処理は淡々と行われた。いや、論功行賞や討死、損害や加勢勢力への御礼など諸々含めるとあまりにも対象が多すぎて機械的に行わざるを得なかった。簡単にまとめておくと、
今川義元はそのまま駿府に帰還、向こうも重臣を多く失った為にてんてこ舞いといった所らしい。復帰には相当の時間がかかるだろう。
三河方面の武田軍は三河国衆の反乱に巻き込まれてそのまま撤退。結局後詰としての役割は果たせなかった。武田に制圧された小勢力もあったらしいが、戦後にはまた中立に戻るか松平に帰順している。
美濃方面の武田軍は道三との睨み合いを続けた末に退いた。衝突は起こらなかった。というか、今川方で一番活躍したのはここではないだろうか。
信長は忠康と幾らか言葉を交わした後、何かを約束して清洲へと帰っていった。そこで義龍にたくさんお礼をして万時解決。津島は荒らされていたものの、中心部で大きく戦われた訳でもなかったので復旧作業はすぐ終わりそうだ。
佐治はそのまま水野に臣従した。つまり水野家が知多半島の覇権を握った。
忠康に反した松平分家は相応の処罰を食らった。当事者は尽く処刑の上、後継者も完全に監視の下。斯波・吉良においては義統は尾張・三河から追放。義昭はご存知の通り討死だ。
まあそれは一旦良い。俺にとって目下の問題は自分のことについてだった。
信長が俺に指摘した『ゲーム感覚』。そういう意識が俺の中に無かったと言えば嘘になる。だけど、俺自身もこの数年間必死になって生きてきた。それは本当のことだ。
自分の命を守る術は自分で作ってきた。自分も自分が出来ることを考えて、この時代の武士に紛れて。朱に交わって赤くなろうと、そう考えてきた。
そして俺は信長の部屋の襖を開ける。
「お疲れ」
「おう」
短い会話の後適当なところに座る。空気は硬い。だが後々考えると、この話し合いは俺人生の大きな転機になるものだったことは確かだ。
信長は俺を凝視すると向き合った。最初に口を開けたのも彼だった。
「……この間はごめん、俺も頭に血が上ってた」
どんな風に詰められるのか、と少し恐怖していたが返ってきたのは謝罪だった。なんだか拍子抜けした感じがして一気に肩の力が抜けていくのを感じる。空気が一気に弛緩した。
「俺も、悪かった。信長が言ってたことは多分正しいんだと思う」
こんな感じで半分社交辞令のような会話をして信長が本題に切り込む。
「うん……聞きたいんだけど拓海さ、政秀が死んだ時どう思ってた?」
「政秀」
平手政秀。言うまでもないと思うが、隠居生活の末に死んだ織田家の重臣だ。『悲しみはあるが驚きはしない』。政秀の訃報を聞いた時の心境は正にそうだった。
「世話になったし、色々教えて貰った。だから悲しかったよ、でもやっぱり素直に悲しむことは出来なかった」
「それが悪いわけじゃない」
段々、段々と俺が知っている歴史は変わり始めているが歴史の登場人物が変わることは無い。まあこの目の前にいる信長という例外はいるが、基本的にはそうなる。なぜ突然政秀の名前が出てきたのか、とも思ったが俺の考えを測るには良い質問だと考える。
「史実を知ってることはアドバンテージになる。けどそれを中心に物事を考えるのは危険。それを知ってて欲しい」
これまであまり意識してきたことがなかったが、確かに。歴史を知っている立場の人間を史実の人間から見ると、大きくバイアスがかかってる人間に見えるのは間違いない。
「だから拓海、俺は今から酷いことを言うぞ」
「ん?」
「史実を捨ててくれ。歴史を忘れてこの時代の人間になってくれ」
ここまで温厚に進んでいた話し合いの場、俺たち二人の間の空気がガラッと変わったのを明確に感じた。決して冷たい物言いでもない。ただ大将としての冷静な判断として俺に言葉を告げている。『史実を語るな』と。
「それはあんまりじゃないか!? いやそもそも忘れるってなんだよ」
「それこそゲームみたいに、覚えたことを直ぐに忘れることは出来ない。だから心の奥底に閉まっておいて欲しい。二度と使わない知識として」
「これまで俺の知識が役立ってきたこともあったろ? なんで」
「1560年、桶狭間、今川義元を討つ……だろ?
紡いでいく言葉が震えているのが分かる。
「だ、だとしても! 役者は同じだ。武田信玄上杉謙信北条氏康今川義元! 全て!」
「根拠は?」
「は?」
「『戦国大名が史実と同一人物である』根拠だ。大名じゃなくてもいい、恒興でも信盛でも誰であっても。同じなのは名前だけじゃないのか? というかそもそも、
それは知らない。だって俺は最も親しい勢力の道三のことだって詳しく知らないし、ましてや未来人である可能性も考えたことがない。
「そんな……ことがあったら本当にシミュレーションじゃねえか」
「まあ全てが未来人だって話は流石に極端すぎた。ただ、それ位先は読めないってことだ」
信長が提案して来た意図はまあ理解できる。この間みたいに俺が犠牲度外視で突っ込んだり、作戦を変更したりすることを防ぐためだろう。確かにアレは今考えても少しダメだったな、と思っている。ただ……やはり史実を捨てるという行為を俺は受け入れられない。そこだけにはプライドがある。
完全に俺の知識が使えなくなるフェーズには、まだ至ってないはずだ。
「現代に帰れる方法が現実的に無い以上、俺たちは現状この時代の人間になるしかない。どうだ、拓海」
「信長の気持ちは分かる。でも本当にごめん、それは出来ない」
個人として信長はすごいと思うし、よくやってると思う。けれど色々と勘案するとやはり答えが自然と湧き出てくる。
「政秀が死んだ時、拓海からの情報は持ってたけど俺はめちゃくちゃ悲しかったよ。なんなら泣いた。織田信長と俺が混ざりあってる感じ。それは……」
「俺には分からないだろうな」
いつかの会話を思い出す。清洲城移転の時にも確か信長と似たような会話をした。つまり俺たちはずっと前から食い違っていたってわけだ。この
「こんなこと言いたくない。けど、拓海が居たら今後の戦術に影響が出るかもしれない」
「出ていけって言うんだろ、ここから」
まあ『出て行け』と言うほど乱暴的な言い方をしてくるわけではないだろう。ただこの問題点は浮き彫りになってしまった以上解決しなければならない。重臣の座を降りて俺が考えを変えるまで一生出世が不可能になるよりは、こちらの方が遥かに良い。
「勝手なことは分かってる。拓海を嫌いになったわけでもない。ただ、戦国時代の人間として生きてくれ」
「……分かった」
長いため息をついた。今、この場をもって俺は織田家からクビになったわけだ。
「勿論暫くは居てくれて構わない。準備もあるだろうし、金もそれなりには」
「退職金みたいなもんだな……あ、藤吉郎は?」
「アイツはどっちでも。藤吉郎が決めた方について行かせたらいい」
俺の解雇は端的に言えば方向性の違いによるものだ。そんなバンドの解散みたいなクビのされ方あるのか、と思うが本当だから仕方ない。その夜、藤吉郎を呼び出した俺は今日決まったことを話した。
「磯貝様、それは本当のことですか……?」
「本当も本当。信じられないかもしれないけど」
俺も正直トントンと話が進んでいくからついていくので精一杯だ。けど信長が言ってることは多分正しいんだろうし、この解雇には俺自身の成長という目的もあるのかもしれない。『成長』出来たところで、その後俺がどうなるかはわからないけど。
「磯貝様は、織田家を去った後どこに?」
「どこだろうなあ。金も結構もらえるらしいし、暫くは放浪生活かも。色んなところを見て回りたい」
俺は織田家臣だと認識されているからそれが叶うかは分からないけど。
「どこかに仕官したりは?」
「うん、したいね。誰かに……誰が良いだろう?」
今川、武田、北条はちょっと論外。松平は意外と悪くないけど、あまりやることは変わらない気がする。思い切って全く知らない勢力……六角なんてどうだ。浅井、朝倉、三好……まだこの時代で名前を聞いていない人たちはたくさんいる。
「それならば斎藤はどうでしょう」
そう藤吉郎が提案してくる。
「同盟相手で受け入れてくださる可能性が高い、大きい勢力でもあります。移動にもあまり労力がかかりません」
まあ、信長とは喧嘩別れしたわけじゃないからな。確かにそんなに遠くに行く必要はないかも。
「いいね、行ってみるか。斎藤道三のところ。手紙送ってみる」
あれ、なんだか大事なことを聞き忘れたような。
「あ、そうだ。結局藤吉郎、お前は着いてくるのか?俺としては歓迎だけど、断ってもいいぞ」
「私は……着いていきます。磯貝様には恩もありますから」
恩だけでホイホイと着いてくるのもどうかと思うが彼の考えを尊重することにした。
それから俺の住んでいた小さな家は引き上げとなった。持ち出せるほどの資産を持っているわけではないが、いつも使っている刀と銭。銭は自分が貯め込んでたやつと信長から餞別としてもらったやつだ。
織田家の皆々には言おうか迷ったが結局ほとんどの人間には言わずに去ることにした。別れを伝えたのは利家や恒興、商人の源さんなどごく少数。反応については……まあお察しの通りだ。色々と言われたものの最終的には納得させた。
そして1555年5月某日。月明かりの下で俺は藤吉郎と共に清洲の家を出た。なんだか夜逃げみたいだな、と思う。
「よし、行こう」
「はい」
「ちょっと待て」
その時だ。待ち伏せされていることに気づいた。その主も声ですぐに分かった。恒興だった。
「今更なんだ」
「アレが原因か?」
恒興が語気を強めて俺に問い詰める。そう言えば俺と信長の言い合いを見たのは隣にいる藤吉郎と恒興だけだったことを思い出す。藤吉郎はもちろんだけど、未来人のことは流石に言えない。
藤吉郎にだけなら話しても良いと思ったが、よく考えると俺が未来人だと言うことを話すと言うことは同時に、信長が未来人だということも話さないといけなくなる。それは少し不都合だ。
「まあ、うん……そうだな、アレが原因。仲直りはしたけどね」
「仲直りって……そういうところだぞ」
主従関係を主従と思ってない、まあそれもあるかも。信長の場合は少し違うかもしれないけど。
「今更止めることはしない。お前が決めたんだからな」
その瞬間、恒興が一気に距離を詰めてきて俺を抱きしめた。
「……息災で」
ひどく涙ぐんだ声だった。『湿っぽいこと言うなよ』と告げようとしたがふと頭に浮かぶ。もしかしたら恒興とはもう一生会えないかもしれない。電話やメールなんてないんだから。そう考えるとなんだかこの会話がとても重要なものに思えてきた。
俺は清洲城を離れた。信長ではなく、織田信長を探すための旅。織田信長を忘れるための旅。
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