128話:⑥ 惰性的戦争
「本当にかたじけない」
「いや、これくらい」
尾張三河国境、水野家の領地には伊勢守家の軍勢が到着。その日のうちに佐治を
織田伊勢守家当主、織田信賢は父と弟との家督闘争の末、信長の助力もありこの地位を手に入れた。もちろん信長に対して並々ならぬ恩義は感じている。それ以上に、この戦の重要性も理解しているつもりだ。
「兄上、壊滅した佐治兵はおそらく大野へと」
「籠る気か、面倒臭いな」
この勝利が14日のこと。ここから佐治の大野城は籠城戦を強いられることになる。佐治家の当主、佐治為景は強かな男だと聞いていたがそれ程では無いらしい。信賢からすると拍子抜けした、そんな所だ。
無論、油断はしないがこの戦いでの伊勢守の役割はかなり穏便に済んでいる。先程の戦でも、討死した者はそれほど出なかった。
ちなみにしれっと信賢の隣に立っているこの男、織田信家は家督相続の際に大いに揉めた張本人だ。現在は監視の元ではあるものの、信賢とはそれなりに友好な関係を築けている。
家督騒動を引き起こした張本人の信安が行方を眩ませているのは少々気になるところではあるが、行先は信家本人も知らないようだった。
信賢はそれをひとまず信じて関係修復を試みている最中である。
「ひとまず包囲になりましょう」
信元が心底安堵した雰囲気でそう言う。彼は戦嫌いのように見えたが、いざ戦になると十分な指揮能力もあった。やはりそこを切り離して考えられる辺り、凄いと信賢は感じている。
「これで……ここの戦いは終わったということか」
「ええ、ひとまず。佐治の軍は暫く動かせないはず。無茶に出陣させても簡単に壊滅させられる位には、損害を負っていますから」
彼らが、『ツケは別のところで支払っているが』という但し書きに気づくことになるのはもう少し後になる。
ーーーーーーーーーーーーーーー
戦いは流れるように続いて行った。正直言おう、俺はほぼ何もしていない。確かに隊を率いて幾らかの兵を尾張から連れてきた。でも後は利家、信長、忠康。ほかの面々と作戦について話し合ったのと雑談くらいで、俺自身は一太刀もまだ振るっていない。
14日夜は夜襲に気をつけながらも睡眠、15日にはその対陣のまま睨み合いが続いた。
「今川の兵が幾らか分離しました」
「分離?」
「恐らく武田信繁の軍に合流したのかと」
「その信繁は今どこに?」
「最後は、昨日の夕に野田城で確認されております」
野田城というともうちょっと東だ。動向を見張る必要はあるが、どうも武田の狙いはそこではない気がする。
「武田は後詰として待機しているように見えるし、もし俺たちが今川を突破した時の防波堤となるつもりだな」
「面倒くさいな。武田がいるというだけでプレッシャーになってるわけか」
信長も頭を悩ませているようだった。
しかし、プレッシャーはそれだけでは無い。
「我が名は今川家家臣、松井左衛門佐宗信! そちらの名はなんと言うか!」
日が高くなった戦場で今川の鋭い声が響く。今川の忠臣、
「我が名は織田信長様重臣、内藤勝介!」
織田家老臣、内藤勝介。信秀の時から主君の信頼を得て有能の地位を確立してきた。
戦場の一角で唐突に始まった一対一の一騎討ちはすぐに終わった。これまでずっと拮抗していてどちらの側にも大きく戦況が傾くことは無かった。それでも、個々の戦いでは漸く武があった。
「う……ぐぐぁ……」
「内藤勝介、討ち取ったり!」
一瞬の剣戟で勝介の太い足に鋭い蹴りが入って、そのまま腹、胸に刀が入った。宗信の力強い力に屈した彼の身体からは真っ赤な血が吹き出して「うう」という呻き声が漏れ出るのみだ。
宗信の刀がそのまま首を通過する。何回かの振り下ろしの後、体と首が分かれた。勝介は信長重臣として戦いの中でその生涯を終えた。清洲の戦いで殿として活躍した彼の最期は呆気ないものだった。
しかしこの事象は決して織田方だけに起きている訳では無い。今川方にも同じ状況が起きている。今川本陣には
「深溝城、昌久の攻めにより陥落致しました。城主の
「本当か! 西三河はかなり順調だな」
義元は薄らと笑みを浮かべる。好景が討死した。このまま西三河も上手く暴れてくれると良いが。
しかし、『西三河"は"』だ。義元もこの戦いがかなり停滞気味な事は気づいていた。この戦いで今川が勝利できる状況は三つ。
一つ目は武田に山を回ってもらい挟撃。しかし、これはいざと言う時に織田に決定力を与えることになる。義元からするとあまりやりたくない。
それに、武田は一部の三河国衆と今川家臣と共に行動してもらい中立勢力の懐柔を行っている。今回の戦で足しになるとは思わんが、三河支配という目標には近づく。
二つ目は押し切る。今取っている作戦はこれに近い。兵力の軍配はやや今川にある為、物量で押し切れる。ただ、織田と松平の士気が高いため少し攻めづらくなってるのが現状だ。
三つ目は西三河の利用。西三河の軍勢に頑張ってもらって西三河から挟み撃ち、または岡崎城の占領。しかしこれは相当厳しい気がする。何にせよ、尾張から援軍が追加で来る可能性はあるからだ。佐治や服部で止められる兵数にも限りがある。
長期戦はやはり駄目だ。西三河が支えられなくなった瞬間、負けが確定する。徐々に徐々に士気を削り取り、近いタイミングで義元含め全兵を動かして織田を負かす。そういうビジョンを考えていた。
今川の心配も他所に織田・松平側では少し混乱が起きていた。
「好景が死んだ、深溝城も落ちたらしい」
勝介の訃報も同時に届いて特に織田側で士気の乱れが起きた。主に末端の兵士の間では「青野と竹谷も落ちたらしい」なんて話も出てきた。
事実、その二つが落ちているか。その正確なところを信長は知りえないが、深溝が落ちたという所からなかなかマズイ所にあるかも、という推測は立てられる。何処からか出てきたその噂は織田側に、そして松平の方にも広まった。
「実際のところはどうなんだ」
忠康が焦ったようにして聞くと忠次はその焦りを制止する。
「落ちてはいません。戦況も悪くは無いと聞いており、それは変わってないかと。恐らく……」
「恐らく?」
「今川が流布した噂が混ざっているのでしょう。ただ深溝が落ちた、これは真実であると思います」
まず、どちらにせよ兵たちの考えを改める必要がある。この会話が成されているのは15日夜。その日の日暮れ前に織田方の一部で隊が壊滅した。
「うぅ……」
織田方では混乱に陥っているのはむしろ上層部の方だった。いや、末端も松平と同じ状況なんだが、それ以上にこの日に討ち取られたのは有名な者ばかりだった。
「勝介、
勝介は言わずと知れず。盛重は佐久間信盛の同族、通具は林秀貞の弟だった。心的ストレス、と言うべきだろうか。織田本陣は暗い空気が流れている。
特に秀貞と信盛はかなり落ち込んでいるように見えた。信長も少し暗いトーンで話すが、必死に皆を励まそうとしている。
「討たれた者に報いるために、この戦。一層勝たねばならん」
信盛のその言葉に皆が同意した。戦場で人が死ぬのは世の常。本人はそのことを名誉だと思っているし、その周囲も当然武士なので同じ考えを持っている。しかし残された側は悲しい。こればかりは武士もその人と触れ合ってきた人間だから当たり前のことだ。
俺も勝介の訃報にはかなりショックを受けた。彼には恩もある。
「明日の朝にまた攻撃を仕掛けようか。一旦身体を休めよう」
こうして戦い3日目の夜は過ぎていった。織田からすると、いや。俺からするとこれは惰性的な戦いだ。
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