124話:③ そんな夜かもしれない

 稲葉山の執務室。義龍は届いた援軍要請の手紙を何度も読み返していた。

 「信長、から、かあ」

 少し面倒くさそうにしている。理由は美濃の現状にあった。

 「父上。どのくらいの兵を出すのが最善でしょうか」

 「そんなもの分かるか」

 道三は義龍の悩みを蹴飛ばして何かを待っているようだ。少し前から何回も家臣を呼んでは確認を繰り返している。


 「武田義信軍、確認が取れました」

 「よし、そうか」

 道三はニヤリと笑って家臣をはけさせた。義龍も道三が何をしようとしていたのかを察して思わず声が出る。

 「兵の配分の話ですか」


 この美濃国では今回の戦の折、部隊が二つに分けられることが考えられた。まず第一に信長に派遣するための尾張方面隊。もう一つは遠山氏を取り返すための美濃東部に出陣するための隊。

 「遠山も舐めたことをしてくれる。名のある者でこちらに残ったのは明知の景行のみときた」


 それぞれの相手がどれ位の兵力で此方に向かってきているか、知らなければ兵の分配はできない。それ故に武田軍の兵力を推し量らせていた。

 「武田義信軍。兵力は3000ということらしい」

 「遠山の兵も加わることを考えると……長期戦を見るならば5000が良い線でしょうか」

 「まあ、だろうな」

 この戦は短期決戦では終わらないだろう。短期決戦で決めるつもりなら義元もわざわざこんなに根回ししない。その代わり、これで全て決めるつもりだ。


 「儂は今すぐ明知城に出陣する。義龍は頃合いを見て尾張に出陣してくれ。尾張に出るなら道空を据えれば良い」

 道空……堀田道空ほったどうくう。斎藤家の家臣として名高い。

 

 道空の史実での業績はたった一つだ。信長が代替わりしてすぐの、道三と信長の会見に同席した。それ以降の記述にはほぼ登場しない。しかし言うならば、道空は尾張国津島の出身である。

 「道空ですか。分かりました。確かに彼なら地理にも明るい」

 何年前かは忘れたがもうかなり昔の話だ。最初は僧兵としての親交があったが、段々と仲良くなり最終的に斎藤家の家臣となった。彼の実家の堀田家は津島で勢力を誇る土豪の一つだ。


 ちなみに余談になるが、津島という土地は現代においてただの陸地だがこの時代は海岸線の関係で港町だった。そして交通の要所でもある。だから商業が栄えているのだが……この地の歴史は南北朝時代まで遡ることが出来る。この地に根付く南朝方の勢力は十五あったのだ。それらは「四家・七名字・四姓」と呼ばれ、ずっと自治を行ってきた。まあ昔の話なので多少話の信憑性は上下するが、この戦国時代でも未だに津島の長は「四家」のうちの一つ、大橋おおはし家だ。


 ずっと自治を行っていた津島だったが、それは織田家によって崩される。信秀ひいてはその父信定のぶさだによって勢力に迎合。現在に至るまで織田家と提携状態を結んでいる。まさに織田にとっての経済の要所。それが津島。

 

 ちなみに、さっき言った「四家・七名字・四姓」には服部という名字がある。そう、服部友貞。彼は元々津島の豪族だ。


 「父上、お気をつけて」

 「まあまともにぶつかる気はない」

 道三としてもこれに乗じて遠山を取り返すことが理想だが、何となく難しいことを察していた。せめて三家とも斎藤との両属になってくれたら少しはやりやすいが。


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 岡崎城の夜。俺たちは広間で作戦を固める。公的な顔合わせを終えた後、信長と忠康は二人きりで顔突き合わせて話し合い……となると思われたが忠康の招きで俺も部屋に入った。

 

 「それで? どういう戦法で行くの?」

 「上之郷城は取れました。だから次は……」

 目の前に広げられた地図を忠康が指さす。『岩略寺』と書かれている。上之郷城を攻略した後の次の前線としては良い。


 「西三河の内乱は一旦無視します。最低限の兵力のみ残して、残りは全て東に詰め込みます」

 「それしたら普通に死人出そうだけどね」

 「良いです。そんなこと言ってられる場合じゃありません」

 決して見捨てている訳では無い、ということはこの場にいる誰もが分かっている。仕方が無い選択だ。優先順位が違う。


 「義元の兵力は分かってる?」

 「まだ出陣の報告がないので分かりませんが……予想では1万から1万8000の間。明日の朝には出陣してくると思うのでその時に分かります」

 「思ってたよりは少ない……かも」

 といっても松平と織田の連合軍も合わせて一万あるかどうか位だ。少し渋い。いや、分かっていたことだ。


 「いやあ、それにしても久しぶりだね。まさか再会したら戦場で、元服してるとは」

 話も何となく滞ってきた。空気を察して信長が話を振った。

 「本当に。何年ぶりでしょうか」

 「別に敬語じゃなくていいんだけどな」

 歳的に彼の方が下なのは間違いないけれど。


 「……まあ出陣は明朝になります。御二人も寝てください。明日からは本当に忙しくなりますよ」

 「そうだな、寝るか。マジで頑張らないと」

 信長が伸びをして、寝室に案内されて行った。俺も別に案内され寝る。最後の静かな最後の静かな夜かもしれない。そんな夜かもしれない。

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