122話:① 時は来た
「それでもね、興奮してたんだ……『遂にやってきたんだ』って。君なら分かるだろ?……いや、そんなこと言われても困るか」
織田信長の名を知らない日本人は、まあ居ないだろう。大河ドラマでも信長は出てくるし、教科書にも出てくる。会話のふとした流れでその名前が飛び出ることもある……かもしれない。だが特別戦国時代が好きな人間でなければ、『織田信長は信秀の子で、尾張守護代の織田信友を滅ぼし〜』なんて言葉は出てこない。
殆どの一般人に知れ渡っている信長の業績は2つ。桶狭間の戦いと本能寺の変。始まりと終わり。長篠の戦いを知らなくても、室町幕府滅亡を知らなくても、この2つだけは小学校の教科書にも載っている。小学生でも知っている。
だから彼は取り憑かれていた。今川が信長(と松平)に狙いを定めて大侵攻を仕掛けてくる。これは場所こそ違えどまるで桶狭間の戦いだ。あの伝説的な、神話的な。今川義元を死に追いやった、あの。
今川を迎え撃つ準備は万全だ。必ず討ち取る。史実、永禄3年。信長と対立を繰り返していた義元はついに三河を超え尾張国境に進軍する。国衆としていた松平を使い、兵糧補給を行いながら丸根砦・鷲津砦に篭っていた信長兵を壊滅させる。丸根と鷲津というのは史実で信長が築いた城なので今の信長たちは使えない。
この報告を聞いた信長は未明にも関わらず僅か数十騎を率いて出陣。そしてその八時間後には義元を首に変えた。
必ず。必ず。必ず。
後々そう考えていたことを拓海は後悔する。
「いや、本当に。『また言うんだ』。俺は。いつまでも。ああ……」
空回り、というやつだろう。
……
清洲城ーーーーーーーー
「信長様!!!!!!!」
親衛隊、一号が信長の部屋に入ってきた。その時俺は信長と適当な雑談をしていたが、何かが起こったことは一号の緊迫した雰囲気で察した。
「何があった」
「三河国で謀反でございます!! 大草城の松平昌久と桜井城の松平家次が今川方に与し、岡崎城の忠康殿に謀反! それぞれ別の進路を取って松平を内側から荒らしております!!」
始まった。松平の中に、まだ今川と通じていた分家がいたのか。
「忠康はどんな様子だ?」
「どうやら各々の城に防衛を任せておられるようです」
「……謀反者をわざわざ相手する暇はないって事ね」
今日は1555年3月12日。よく晴れた日だ。少なくとも雨が降る所は想像がつかない。なんとなく残念な気持ちになった。いや、まあ天候は仕方がない。
「それに付随して斯波義統と吉良義昭も蜂起しているようです」
「うわぁ、めんどくさい所が動いてる」
斯波と吉良。戦になるのは1年半ぶりか。彼らも力を貯めてきたということだろうか。
「……ん? そう言えば広忠が死んだのって、晴信にも何故か流出してたって話だったよな?」
「あ」
今更カラクリが見えてしまった。そうか、昌久と家次が今川にずっと情報を流し続けていたんだ。という事は、松平側の作戦やら部隊の情報は基本的に義元に筒抜けになっている……そういう事だ。
「織田の働きが問われるな」
「ああ。一号は今すぐ秀貞の所に行って、斎藤に援軍の要求を。多分すぐ応じてくれる」
義龍からすれば、松平が支配されることは長期的に見ればマイナス。道三も含めて協力的になってくれている。
「今すぐに出陣の準備を。俺たちは9000の兵でこの今川兵をしのぎ切る」
9000。かなり無理をしていると思う。しかし、史実で信長が用意した兵力よりは遥かに多い数を用意できた。冬の間に色んな村を調査して、動員できた最大兵数だ。
今に視点を向けると、これは別に松平を守る戦いじゃない。松平が落ちれば尾張に今川が攻めてくる。今が全てひっくるめて最大の兵数で彼らを相手にできる機会になる。
少しすると続々と情報が集まってきた。昌久は好景が守る深溝城に、家次は義統と青野城に攻め入ったようだ。どちらも、そこが落ちれば中々厳しい盤面になることが予想される。青野城となると、岡崎城のすぐ近くだし。深溝城も上之郷城の近くだ。義昭も、竹谷城に攻め入っているらしい。竹谷城は上之郷城の本当にすぐ近くだ。
つまり岡崎方面軍と上之郷城方面軍に別れて内側から荒らしていっている……ということか。吉良と斯波が蜂起したら、松平側からすると昌久や家次に抑えてもらう予定だったろうに。松平からしても予想外な状況と言える。
これが始まりだ。この報告を受けとったのが12日の昼に差しかかる頃。
「遂に来た」
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