121話:戦線No.0

 1554年11月。駿府すんぷ城。

 軍議の中で義元はえらく上機嫌な様子であった。この日は、大事なことを決めるという名目で多くの有力家臣が駆り出さられ、駿府で意見を出し合っていた。

 「それにしても晴信め、やってくれた。遠山を掌握したのは大きいぞ」

 晴信の美濃国境支配の報告が入ってきたのだ。これはイコールで、義龍の出張りを抑えられる可能性が高いということでもある。戦の前の戦、戦力を減らしたことになる。

 「北条も好調な様子ですし、もしかすると戦に間に合うかもしれませんな」

 そう言ったのは松井宗信まついむねのぶ二俣ふたまた城主。


 前にも述べられたが北条氏康は元古河公方こがくぼう足利晴氏あしかがはるうじとの対立に悩まされておりとても三河に出兵など出来る状況ではなかった。本人からでは無いものの、風の噂でその攻略も大詰めと聞いている。時期次第では北条の介入も有り得る。どんどん義元にとって有利な展開に近づいていくようで、楽しかった。


 「それに広忠も死んだ!」

 氏真うじざねが膝を強く叩いて喜びを示した。義元もそれには「ああ、そうだ」と同調の声をあげる。


 広忠の死を忠康は伏せたつもりであったが、とある筋ですぐに義元に寄せられた。更に義元から晴信にも伝えられた。勿論庶民は未だに松平の当主は広忠だと思っている。

 「松平広忠……妙に表舞台に出てこんと思っていたがやはり死んだかと言うところか」

 「松平の若殿様は落とせますぞ、今すぐにでも三河に攻め込むべきです」


 そう強硬論を唱えたのは小原鎮実おはらしげざね岡部元信おかべもとのぶ。鎮実は特に、西三河の今橋城の城主である。鵜殿のに腹を立てて今すぐにでも三河を平らげようと論を展開していた。

 「そう慌てるな。もちろん戦の時には鎮実にも働いてもらうが、ひとまず攻め込むのは年が明けてから。いや、冬が明けてからになる」

 「なぜですか?」


 「単純な話。晴信を美濃国に移動させるには雪が邪魔だ」

 それにもっと単純に言うと冬は寒い。ただ、それだけで兵の士気は落ちてしまう。雪があれば移動にも一苦労だし、信濃国なんて山ばかりだから特にそうだ。

 「だから春まで待つ。この事は既に晴信にも伝えた」


 氏真が少し考え込んだようなポーズをとる。そして話し始めた。

 「かなり複雑な戦になりそうですね」

 「……ああ」

 義元もそれには頭を悩ませているようだ。家臣たちも「うーん」と声を上げる者がいた。

 「しかし我ら、兵はただ三河国を攻めるだけで良い」

 そういう朝比奈泰能あさひなやすよしは兵士の役割を心得ているようだった。ただ指揮する側からするとこれは重要な問題だった。

 

 「三河で最優先とされるのは上之郷城の奪還だ。ただ松平が攻めてくる城の防衛も行うか、白兵戦に持っていく必要がある。そのために、牧野たち三河国衆を使う。それに松平と今川の間を揺れている国人たちを、奥三河の領主たちに攻めさせる。晴信には斎藤義龍の足止めを……いや、それよりも先に信長だな。多少突破されるのは承知した上で佐治さじに……いや……」

 義元の脳内にどんどん、勝ちへの道筋を描いていく。この駿河・遠江や三河、尾張、美濃……東海地方全体を巻き込んだ大きな戦が起ころうとしていた。

 「この冬は調整でかなり忙しくなりそうです」

 氏真は雪斎の後釜として周辺勢力との外交を展開していた。将来、氏真が今川の当主になった時にその経験も活きるだろうと考えての義元の采配だ。


 「ひとまず皆にこの軍議で伝えたかったのはこれのみだ。『三河大侵攻は3月に決行する』。鎮実のように今すぐにでも行こうという者がいては敵わん。先走った者は容赦なく処罰するからな」

 そんな圧力を軽くかけながら、その軍議は終了した。



 その夜。義元は何人かの信頼している家臣を呼んで自室で話し合っていた。議題はどこの勢力から戦を始めるか。

 「指示は出来る。どこを最初に潰せば良い?」

 

 「やはり尾張では? 斎藤と織田の両方を防げる」

 元信はそう言う。しかし即座に関口氏純せきぐちうじずみが反論した。

 「佐治は思ったより小さいぞ。せいぜいが水野を抑えられるか、だろう」

 確かに佐治は水野と知多半島を二分している。知多半島が清洲城のあたり以上の兵を用意出来る訳では無いので、元信は黙りこくった。

 「となればやはり、武田に動いてもらうしか……」

 多少恩を売る形にはなるが、美濃国を晴信に抑えてもらうことで最初の狼煙とする。これが良い。義龍たちは今回参陣する勢力の中でもトップクラスの兵力を誇る。それに、晴信はそれに対抗できる存在だ。


 「最初から美濃を塞いでどうする。即座に信長に蜂起されて忠康と結託されて終わるぞ」

 氏純がまた反論した。確かに、義龍はこの戦に対してそこそこ消極的な方の勢力だろう。彼からすると遠山氏を取り戻すことは大事かもしれないが、松平が死ぬことは言ってしまえば優先度が低い。恐らく道三は過去に松平と連携したことがあるため、松平と多少の親交があっただろう。しかし子の義龍は……かなり怪しい。

 「なら、どう考える」

 

 明らかに場の雰囲気が悪くなりつつあることを察した義元は氏純に意見を求める。

 「斯波と吉良です。彼らを用いることが最善手となりうる」

 義元はてっきり牧野だとか、今川義元自身だとかいう案を出されるのかと思っていたので吉良の名前が出てきて驚いた。

 「我では至らんか」

 「義元様でもよろしいですが、正直斯波と吉良は相当苛立っていると思います」


 それは心理的な話だ。上之郷城も落とされて彼らはかなりキテいるだろう。「今川はまだか」「約束はどうなった」、と。それに彼らは三河国内に、さらに言うと西三河にある勢力だ。

 「なるほど外からではなく内から壊す、か」

 「どうでしょうか」

 氏純の自信に満ちた顔。それを見た義元もなんだか自信を得て、笑った。

 「それで行こう」


 始まりは松平の今川離反。それは信長と信秀が先導していた。甲相駿三国同盟は最終的に、今川にとっては松平攻略のための物になっていた。信長は尾張の動乱を終わらせて義元の前に立ちはだかった。道三は、史実ならば長良川の戦いで死んでいた。だが信長が遠因となって、生かした。絡まっていた因果が一気に解ける時が来た。

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