119話:交わり

 美濃国稲葉山城。弟との家督争いを終結させた斎藤義龍さいとうよしたつは、道三のサポートも受けながら日々の政務に勤しんでいた。義龍……跡継ぎと言っても歳は28を数える。信長と比べると10近くも先輩だ。

 「織田より援軍要請の文が届きました」

 「織田信長か」

 義龍に取ってみると、織田信長という男は何とも奇怪な人間だ。見たのはたった1回きり、5年前に信秀が開いた斎藤と織田の同盟を記念した会。あそこで信勝と言い合いをしている信長を見たのが最初で最後。年下相手とはいえ、少し舐め腐ったような態度には思わず顔を歪めたが、聞いていたよりは自分の中の論理を持っている、しっかりとした人間だと思った。


 信長たちの視点で見るとそれはタイムスリップからたった4ヶ月後の、この時代での身の振り方も考えていなかった時の出来事だ。今の信長と、あの時の信長では随分と考え方も変わったような気がする。

 「『近い内、今川からの侵攻を防ぐために松平に援軍を送る。その後詰に入ってはくれないか。清洲の守備も少し頼む』……今川相手は嫌だな」

 義龍はまた顔を歪めた。今川と斎藤は、動員できる兵力で言えばトントンと言ったところか。いや実際のことを考えれば今川は三国同盟によって三河方面のみに兵を送れるから、もし一対一で戦になれば斎藤は不利になるが。


 義龍は自分より信長のことを知っている道三に見解を聞こうと考えた。

 「ほう、信長が今川と」

 「何かあるとは思っていましたが、今川とは面倒くさい相手です」

 「やはり信秀の血だな」

 信秀は斎藤と松平今川配下を同時に相手しながら領地を広げていた時期があった。それを連想したのだろう。

 「いや、だとしても少し性格が違うな。これは防衛戦だ」

 「協力はしたいですが、あまり兵を無闇には動かしたくありません」

 「そうだな。それにもう一つ気になる事がある」

 「気になる事?」

 武田の信濃侵攻が着実に進んでいることだった。晴信は十年ほど前から信濃をじっくりと平らげていた。その進捗が大詰めに入っていることは明らかだった。

 

 「武田とて斎藤に手は出してこんだろ」

 「ええ、私もそう思います。なら援軍は?」

 「うむ……4000か5000ほどでどうだろう。それ位なら居なくても支障ない」

 「では、その通りに」


 そんな会話が美濃でなされた後すぐ、1554年7月18日。武田晴信は嫡男の義信よしのぶを伴って居館、躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたを出陣した。晴信たちの猛攻は凄まじく、城を次々と攻略していく。そもそもの大義名分は小笠原信貴おがさわらのぶたかの存在だ。信濃侵攻について多くを語りはしないが、信貴は親類と対立して晴信を頼っていた。


 武田氏は小笠原おがさわら氏、知久ちく氏、木曽きそ氏、和田わだ氏……など。信濃の南部に勢力を構えていた豪族たちは尽く武田に従属した。中には抵抗する者もいたが城を落とされて城内から出され、処刑された。


 長尾に対する対抗策は以前より武田に通じてきていた景虎家臣の北条高広きたじょうたかひろを陰ながら支援することで実現した。景虎は現在、高広の対処に追われていて信濃どころではない。これから秋、冬と季節が進むにつれてこの一帯は雪に覆われる。そうなれば進軍は出来なくなる。高広は意外と長い間景虎を引き止められるデコイとして機能するかもしれない。


 そしてそれが意味するところは――


 美濃国と信濃国の国境。そこに広く領地を構える遠山とおやま氏という家がある。数多くの分家を持ち、国境に薄く広がる豪族。その中でも三つの主要な家がある。

 「景前かげさき様、城下すぐに武田の軍勢が迫っております。その数2000」

 「2000だと!? 馬鹿を申すな!」

 遠山景前とおやまかげさきは遠山氏宗家、岩村いわむら遠山氏の当主である。武田が斎藤と領国を接した、という不吉な報が来たのはほんの少し前だ。武田軍の行動が早すぎることに、景前は端的に言うと"ビビった"。


 「2000の兵など相手しておれるか!!! こっちの兵など500もおらんわ!! 今すぐ帰順だ、開城するぞ!」

 その決断に至るまでは一瞬だった。


 その少し北、苗木なえぎ遠山氏の遠山直廉なおかどはほぼ同時刻に同様の報を受け取った。だが、景前とは違って武田軍と距離があった。

 「戦うべきか」

 「無謀ですな」

 直廉も少し勢力を隔てた先とはいえ、武田のことはよく意識していた。そして、その手が自分のところに迫ってくることも。

 「……ならば臣従か」

 「時節を読むべきかと」

 少しの思案の末、苗木城も開城した。選択は、武田と斎藤の両属。残る遠山氏の主要な城は一つだ。


 「馬鹿言うな、武田になど屈するか」

 そしてその一つは少しイレギュラーだった。明知あけち城、遠山景行かげゆき。今までの三人の中では最も年長で最も斎藤と親交が深く、最も荒い。ちなみに勘違いしないで欲しいが、明"智"光秀のアケチではない。

 

 「道三に援軍を頼むぞ、いや今は義龍か。どちらでも良い、今すぐに兵を送ってこいと手紙を出せ」

 「ははっ」

 彼の行動は斎藤と武田のドッキングを促進する、かなり挑発的な手ではあったがそんなことは頭になかった。白兵戦、戦上手の武田に勝てる技量はない。ただこの明知城で道三が来るまで篭城できるか、それのみである。


 景行は覚悟した。稲葉山城から明知までは距離がある。このような自殺的行為をしてしまったからには、討たれてしまうかもしれない。それでもすぐに武田に寝返った親類と比べれば武人らしい最期を遂げられると思ったのだ。

 「武田に包囲されるか、水源を絶たれるか、いずれにせよ厳しい戦いになるな」

 

 しかし、武田の猛攻は始まったと思えばすぐに止んでしまった。

 「おい、どうなってる。武田は!?」

 「て……撤退して、いきました」

 家臣の絞り出したような声に景行は腰を抜かした。意味が分からない、なぜ。斎藤が来るまでにはまだ時間がかかる、まだ退くような時ではない。なぜ。


 

 美濃からの帰途に着いた晴信父子はゆっくりと語った。

 「信濃も落ちた。後は景虎……」

 「父上。それより三河です」

 「ああ、そうだ。。もう十分だ」

 「斎藤はいいのですか?」

 「まだ良い。誘き寄せることが出来ればな」

 「まあ、我々も善意でやっている訳ではありませんからね。それに美濃には道三もいる。厄介」

 「いいか。三河平定の準備は

 晴信が撤退したのは9月。長い出陣であった。もう3ヶ月もすれば信濃を雪が覆い隠す。

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