117話:愚痴
各所で刻一刻と事態が進んでいる中、あまり状況も理解できず立ち往生となっている勢力もある。
『遂に東三河の城が攻略された』
『義元は武田晴信に連絡をとっているらしい』
その報は二人を色んな意味で震撼させた。義元は以前、三勢力で尾張と三河を統治すると約束していた。もちろん義統も義昭もそれを魅力的に思ったから提案に乗ったのだが……少々話が変わってきている。義昭は元々義元と結託していた面もあるので、まだ良い。ただ元々織田側だった義統からしたら迷惑この上ない状況だ。このまま、今川家が三河から引く事態になれば二人は正真正銘に孤立してしまう。
「義元からなにか連絡は無いのか?」
「『もうすぐ何とかなる』の一点張り。連絡網も限られている。安易に動けない状況にされてるのが痛い」
義統の詰問に義昭もお手上げだ。
しかし、周りにある城を見てみる。
「我々は松平に手出しできない。松平もわざわざ構わない私たちを刺激したくない。この竦みが続いている以上は安泰だろうが、今後どうなるかは分からん」
「はあ……」
義元が何かを企んでいそうなのがきな臭い。彼らも本格的に動く時がきたのかもしれない。
「くそ、義元。まったく何を考えておるのだ」
あの男が何をしたいのか、分からない。二人もただこの孤島で救援を待つ者たちに過ぎない。武田晴信というのも、なにか大きなものを感じさせる。何も出来ない焦燥感と共に決戦の時を待つのみだ。
さて北に十数キロ。岡崎城では広忠が選んだ数人、分家の人間が集まっていた。
まあ松平の分家は大量にある。史実にある書物でも松平の代表的な庶家、十八は数えるとされる。十八というのは名数なので厳密では無いが、とにかく多いということだ。全て覚える必要は取り敢えず無いだろう。ちなみに好景と景忠は上之郷城攻略にも参加したので記憶に新しい。
「皆々に集まってもらったのは少し……伝えたいことがあってな」
広忠が言い淀んだ感じで切り出す。景忠はその様子を見て不思議そうに首を傾げる。
「早く言え、何を躊躇っておるんだ」
明らかに眉をひそめてムッとした顔をしているのは
「病を得た。正直こう普通にしていても腹のあたりが痛い。食べても身にならん。医者に拠ればいつ死んでもおかしくない、と言われてる」
「病だと?」
場の空気が一気に変わった。確かによく見てみると、意識していなかったがかなり痩せているように見える。それに血色も悪く見えてくる。傍のものに寄りかかり、会話をしている様子からも清善たちは悪いものを感じとった。
「数年前にも似たことがあった。あれと関連があるのかは分からんな」
というか、今更それを考えても病が治るわけでない。考えるだけ無駄と言ったところだ。昌久は食い入るように広忠の外見を眺めた後、ため息を着く。
「どうして今際の際になって明かしたのだ。喧伝するのを躊躇うのは分かるが、我々親族くらいには良かっただろう」
「『松平に勢いなし』と今川に通じて謀反する者が現れては敵わんからな」
昌久もそれを聞いて一応納得していたが「うむ……」と、何か言いたげな様子であった。広忠が告げたかったのは自分が病気というのもだが、もう一つ大事なことがある。
「忠康のことを頼みたい」
「忠康……?」
「竹千代の事だな!」
「ああ、そう言えば元服していたな」
忠康のことを忘れていた昌久にすかさず景忠が突っ込みを入れる。そこで四人も何のために集められたのか悟った。そう、『自分はもうすぐ死ぬから死後、忠康のサポートを頼む』ということだ。
その辺の話には清善が食いついてきた。
「どのように体制を敷く? やはり岡崎衆が中心にはなると思うが、後見は誰が務める?」
岡崎衆というのは忠次、忠吉、定吉らの広忠直臣のことだ。岡崎に在城しており(またはよく居て)、業務を行っている人達だ。分家だから、という理由だけで事の全てを清善や昌久がやるわけにはいかないから基本的な雑務は岡崎衆が行わないとならない。
「その事だが、勿論雑務は岡崎衆に。後見人は出来れば清善にやって欲しいが……言うならば一族皆で支えていって欲しい」
清善も不思議そうに尋ねる。
「後見は良い。まあ忠康が政について理解するまで、数年程度ではあろうが。『一族皆で』というのは?」
「今川にしろ、政治をしていけば何にしろ脅威は訪れる。この松平一族という同族意識を示して欲しいのだ」
広忠は若い時、岡崎城を奪われたことがある。同族、当時の桜井城主にだ。まあ色々とあって現在、城を取り戻してはいるが一族は内側が崩れれば、一気に窮地に陥る。
広忠としては、一族の結束を強めることこそ安定への道だと考えている。
「……分かった。広忠が本当に死んだら考えておく」
清善としては目の前で、こうもはっきりと喋れている広忠が本当に死ぬのかという疑問はあった。それは他の三人も同じで、どうも現実味のない話をしている感覚に陥っている。
そんな所で大事な話は終わり、直接要件を伝えられたからか広忠はやけに満足そうだった。
広忠がやけに寝込み始めたのはその頃からだった。
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