第15話 必要な言葉は
そのあと、モカさんはゴミ箱を片付けて、ゴミ箱の管理者に謝罪するところまで付き合ってくれた。
管理者だった中華屋の店主は、俺の謝罪に対して怒るでもなく、焼いた餃子をパックに詰めて持たせてくれた。大陸系の顔立ちをした彼は、「生きてると、まあ、しんどいこともあるよネ……」と親身な言葉をかけてくれて……それがやたらと、胸に沁みた。
謝罪を終えた後は、モカさんに連行されるがままに彼女の家を訪れることになった。
「オヤジぃ、今帰ったぞー!」
と言いながらモカさんが玄関をくぐると、奥から「オゥ!」と野太い声が帰ってくる。
「とりあえず少年。あんた、ずぶ濡れだしシャワーでも浴びてこいよ。体も冷えてるだろ?」
「いや、えっと……いいんすか?」
「ここまで連れてきといて、知らねえ顔もできないだろ。その格好のまま家の中うろつかれたって困るしよ」
道理であった。返す言葉もない俺は、有難くシャワーをいただくことにする。
濡れた体をシャワーで洗い流して風呂場から出ると、タオルと一緒に着替えが用意されていた。俺がそれまで着ていた服は、今は洗濯機の中で回っている様子だった。
用意されていた服を着て脱衣所を出て、居間に入ったところで、エプロン姿のモカさんがこちらを振り返る。手には二人分の茶碗を持っていた。
「おう、上がったか」
「はい。着替え、ありがとうございます」
「オヤジの、もう使ってねえジャージだから気にすんな。下着は洗濯して、あとで乾燥機にかけるからそれまでは少し我慢してくれ」
「我慢なんて……ほんと、世話んなりっぱなしで」
「まったくだ。面倒くせえったらありゃしねえよ」
そう吐き捨てながらも、こうしてあれこれしてくれる辺り、本当にモカさんはいい人だと思う。
それだけに、こちらが覚える罪悪感もひとしおであった。
「オラ、とっとと座れ少年。飯が冷めるぞ」
「……そこまでしてもらっていいんすか?」
「いいもなにもあるか。さっきもらってた餃子、食わねえともったいねえだろ。それとも、無駄に残飯出させるつもりか、ああ?」
割とキツめな視線で睨まれて、おとなしく俺は居間のテーブルに着いた。
目の前に炊いたご飯と餃子を並べられたところで、ふと気づく。
「そういえば、親父さんは……?」
「ジム行ったよ。あんなんでも会長だしな」
「そうすか」
「ま、だから今この家にゃ他に誰もいねえから緊張すんな。それとも――」
と、そこで意地の悪い感じにモカさんは笑って、
「もしかしてあんた、年上のいい女と二人きりだからってそわそわしてんじゃねえだろうな?」
「そ、そんなことはないっすけど……」
「あーあー、恥じんな恥じんな。ま、男ってやつはそういうもんなんだろ? ほんと、単純な生き物なんだからよー」
「いや、だからそんなんじゃないですって。だいたい……モカさん相手にどうこうとかあり得ないっすから。返り討ちにされそうだし」
「あいわかった、お望み通り、今すぐ脳天かち割ってやる」
据わった目で、拳を握り締めるモカさん。正直、そういうところがマジで普通に怖いっす。
「って、んな与太話はいいんだよ。飯食おうぜ飯。あたしの方が腹減っちまった」
そう言いながらモカさんが料理に向かって軽く手を合わせる。
俺もそれに倣った。
「……」
「……」
しばらくは、無言のまま、互いに料理を咀嚼する音だけが響いていた。ニンニクの効いた餃子の味は控えめに言ってかなり良く、白いご飯がよく進む。思わず、黙々と掻き込んでしまう。
しかし、沈黙の理由は、ただ餃子が美味い……というだけのものでもなく。
俺が自分から話し始めるのを、モカさんが待っているからでもあった。
それは、きっと、モカさんなりの優しさではあるのだろう。だが、同時に厳しさであるとも言えた。
モカさんの方から聞いてくれたなら、それに応じる形で俺は話すことができた。だけど、自分から話すためにはまず、自分自身の内面と向き合わなければならないのだ。
「あの……」
ご飯を半分ほど食べ進めたところで、ためらいがちに俺は呟く。
「……」
モカさんは食事を進める手を止めて、あごをしゃくるようにして無言で先を促してきた。
「す……すみません、でした」
迷った挙句に出てきたのは、そんな、言葉。
中身もへったくれもない、空疎な言葉。
「俺、なんか……どうにかしてたんです。あんなの、普通じゃない。まともじゃなかった。なんで、俺、あんなこと……とにかく、本当に申し訳な……っ」
「――言うに事欠いて」
不意に、こちらの言葉を遮る形で身を乗り出してきたモカさんが、テーブル越しに俺の胸倉を掴み上げてくる。
険を帯びた眼差し。苛立ちの混じる声。すべてが交じり合って、俺を貫いていた。
グイっと強い力で引かれて、抵抗もできずに椅子の上から尻が浮く。「ひっ」と悲鳴のような呼気が喉の奥から漏れてくる。女性の細腕とは思えない、抗いがたい迫力に、肚の底がゾッと冷えた。
「すみません、だと?」
「それは――」
「ごちゃごちゃ抜かすんじゃねえよ!」
弁解がましく発しかけた言葉は、直後にモカさんから食らった頭突きで封殺された。
「中華屋のおっさんに謝るのは分かるよ。店の備品に乱暴働いて、そんでもって迷惑かけてすみません、本当に悪いことをして申し訳がありません、ってなあ。ああ、そう、そこは頭下げて許し請うのが道理ってもんだろうがよ。でも、なんで――少年。あんたはあたしに謝るんだ?」
「それは、こうして迷惑をかけてしまったからで……」
「迷惑ってなんだよ?」
「あんなとこ、止めてもらったりして、それにシャワーだって、服だって貸してもらって……」
「だからすみません、ってか? あ? バカにしてんのか? その『すみません』は誰のための『すみません』だよ」
「……っ」
「あたし、言ったよなあ? ここ連れてくる前に、『話を聞いてやっから』って。だってのにテメェよお、そうやって謝って、頭下げて、『全部自分があの時まともじゃなかったんです。ごめんちょー!』っつっとけば説明できてるつもりにでもなれたかよ」
そこまで言ったところで、ドンと胸倉を突き放される。解放された勢いで椅子に打ち付けた尻が痛い。
「簡単に謝るな。理由も分からず謝罪をすんな」
正面から、怒気が吹き付けてくる。
険しい視線は、ほとんど、人を殺せそうなぐらいだった。
「自分が悪かったってことにして、
抑えつけた低い声は、怒鳴っているわけではないのに、これまで浴びてきたどんな怒声よりも強い力で俺のことを揺さぶってくる。
「謝罪のための謝罪はいらねえ。不愉快なんだよ」
俺を打ち据える彼女の言葉からは、痛いぐらいの真剣さが伝わってきて。
だけど。
……だけど。
「じゃあ、どうしたらよかったんすかね」
「……」
「俺だって、ほんとは、あんなダサい真似しないで済んだらそれが一番良いっすよ。だけど、ときどき、自分を抑えられなくなる。そういう時……頭が熱くなって仕方がない時は、どんな風にしたらいいんすかね」
「んなもん、簡単だろ」
こともなげにモカさんは言った。
「そういう時は、あたしを殴りに来ればいいんだよ」
「……は?」
「なんてな。ま、うちの親父の口癖だったんだけどよ。あたしも昔はそこそこ喧嘩っ早かったからな。だからムカつくことがあると、いつも親父がミット持ってくれてたよ」
「いい、親父さんなんすね」
「まあな。本人にゃ言わんが、自慢の親父だ」
そこで不意に、モカさんが苦笑を漏らした。
「つーか、あたしも血の気が多い方だったから、ちょっと少年の気持ちも分かるよ。そこそこ喧嘩もしてきたし。けどまあ、抵抗できないゴミ箱相手ってのはいくらなんでもしょーもなさすぎ」
「う……」
「殴るんだったらモノなんかより、人間の方がよほどいい。自分よりも強い相手ならなおよし、だ。殴って、殴り返されて、それで収まる感情ってやつも確かにある」
だから――と、モカさんは言葉を続けた。
「あたしを殴りに来ればいいんだよ。いつだってボコボコにして返してやるから」
「モカさん」
「あん?」
「ちょっと、カッコ良すぎです。だから彼氏できねえんすよ」
「お前そこに直れ。根性から叩き直してやる」
そう言って怒るモカさんの顔は、だけど今はもう怖くない。いつも通りの、乱暴で、だけど切符のいい、本当は優しいお姉さんの顔だ。
だから、俺は、そんな彼女に頭を下げた。
「あの、ほんと……ありがとう、ございます」
「ん。ああ、その通りだ。……よく言えたな」
後頭部に、ポンと乗せられる温かい感触。モカさんが頭を撫でてくれている、その感触。
「簡単に、『謝罪』なんかに逃げるなよ。必要な言葉は、いつだって他にもっとあるんだからな」
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