第14話 ガキ
岬のことをもう一度口説いてみる、というレオの言葉に偽りはなかった。
翌日からは、レオが岬に話しかけている姿をよく見かけるようになっていた。
朝、学校に通学している最中には、
「おはよ。一緒に学校行こうぜ、岬ちゃん」
と声をかけ。
昼休みになれば、
「岬ちゃん、一緒にご飯食べようぜ」
と教室を訪れ。
放課後になれば、
「岬ちゃん、よかったら途中まで一緒に帰ろうぜ」
と言って、わざわざ迎えに来たりする。
学園一の人気者がいきなりそんな風に動き始めたことには、学園の誰もが驚きを見せた。
レオの積極的な振る舞いに、岬は戸惑うような素振りを見せていた。しかし、好意的に話しかけられては無下にもできないようで、学校の内外で二人が一緒にいる姿を頻繁に見かけるようになっていた。
岬がレオの関心を買っているという事実に、むしろヒートアップしたのは女子生徒たちだ。
「本谷さん、篠原くんに気に入られるなんてすごいね!」
最近、岬にできた女友達の内の一人が、そんな風に言っているのが耳に入ってきたことがある。
「もしかしてこのまま付き合っちゃったりして?」
「いえ……そんなことは」
「えー、もったいない! 本谷さん可愛いし、篠原くんとすごいお似合いだと思うのになあ」
「えっと……ですが、恋愛とかそういうものは、いまいちよく分からないですので……」
「でも、お試しに付き合ってみるとかはアリなんじゃないの? 篠原くんだったら相手としては申し分だってないし、むしろあたしがなりたいぐらいだし」
「そんな中途半端で失礼なことはできないです」
「あははっ、岬ちゃんってそういうところほんと真面目な感じだよね?」
……そんな風に、岬の女友達の反応はおおむね好意的な様子であったのは幸いなことだったと思う。
岬自身の容姿や、普段からの素行が良いこともあったのだろう。多少の妬みややっかみなどはありこそすれ、それは過剰なものではない。
そのことに、俺はホッとしている。
ホッとしている、はずなのだが。
「……ッ」
なぜだか、無性に苛立ちを覚えて、気づけば机の足を蹴っていた。
ガンッ、という音が、放課後の教室に響く。蹴られた机は床の上を滑って、まだ前の席に座ったままのクラスメイトの椅子にぶつかった。
「……」
「……」
「……」
シン、と静まり返る教室。
まだ残っていたクラスメイト達が、どこか恐る恐るとした視線をこちらに一斉に向けてきた。
「……んだよ」
その視線がいたたまれなくて。
居心地が悪くてたまらなくなって。
もう一度、机の脚を蹴る。耳障りな音が、教室の空気を搔き乱す。
今度は、こちらに向けられていた視線が、同時にさっと逸らされた。
まるで統率されているかのような、動き。しかし、一人だけその統率から外れている。
岬だけは、俺のことを真っ直ぐ見ていた。その瞳が俺を宥めている。諫めている。非難して、そして同時に心配している。
感情がどうにも制御できない。胸の内で淀むものに耐え兼ねて、俺は机や椅子を掻き分けるようにして教室の出口へと向かう。
途中で、クラスメイトに何度かぶつかるが、そんなことは知ったことではない。とにかく今は、この空間から逃れたい気持ちでいっぱいだった。
「お、どうした透夜。そんなに慌てて」
出口に辿り着いたところで、目の前で勝手に扉が開かれる。
その向こうから現れたのはレオだった。
「……っせえな、どけよ」
「……なにに怒ってるんだ?」
「邪魔だっつってんだよっ」
気づけば、レオの胸倉に掴みかかっていた。
右腕を振り上げて、拳を固める。やってはダメだ! と制止するなけなしの理性の声を無視して、衝動的に俺は殴りかかっていた。
しかし。
「っぶねぇな、おい」
俺の拳は、危なげなくレオに受け止められてしまう。
それどころか、どのような力が作用したのだろうか。胸倉を掴んでいる腕を一瞬で振りほどかれたかと思うと、俺は自分から倒れ込むようにして床に転がされていた。
「いきなり、びっくりするだろ。学校で暴力はダメだろ。な?」
そう言って、倒れ込んだ俺の頭にレオが頭をポンと乗せてくる。その声はむしろ穏やかで……それがいっそう、俺の惨めさを痛感させた。
「透夜くんっ」
慌てて立ち上がった岬が、こちらに近づこうとしてきた。
だが、彼女が俺に話しかけるよりも先に、レオが間に割って入る。
「岬ちゃん、ちょっといい?」
と言いながら、レオは岬の耳元へと口を寄せた。そこで何事かを囁いたのかは知らないが……岬は一度だけ俺に視線を走らせたかと思うと、肩を落として自分の席へと戻っていった。
岬の背中を見送る俺に、レオが挑発的な笑みを向けてきた。
「なあ、透夜。喧嘩を売りたいならさ、オレはいつでも買うつもりだけど……どーすんの?」
刺すような視線が貫いてくる。
知らなかった。
レオがこんな目をできるなんて。
レオがこんな風に笑えるなんて。
俺が知っているレオは、もっと穏やかで、人当たりのいいやつだった。だけど今のレオは、知らない目をしている。冷たくて、残酷で、弱者を踏みつぶすことを厭わない……そんな、強者の目をこちらに向けている。
不意に、隔絶とした格の差を思い知らされたような感じがした。
「自分で売った喧嘩の責任すら取れないなら、いきなり人に殴り掛かんなよ」
やけに冷静な声が、俺の頭の中を搔き乱す。
「で、やんの? やらないの?」
尻を滑らせて、俺は後ずさる。
そんな俺を見下ろして、透夜は一言、ポツリと呟いた。
「あ、やらないんだ」
たまらなくなって、俺はその場から……逃げ出した。
***
外は雨が降っていた。
その中を、傘も差さずに俺は走る。走る。走る。
敗北感が胸を締め付ける。弱さを思い知らされた、そんなような気がして、たまらなくなる。
道をめちゃくちゃに駆け回って、ときどき誰かにぶつかって、「ふざけんな!」とかって怒鳴られたりもして。
それでも、息が切れるまで、闇雲に走り回って。
「……う、ぅぅぅぅぅ」
途中で嫌気が差して足を止めた。
気づけば、よく知らない路地裏に迷い込んでいる。目の前には、どこかの店かなにかのものだろう、ポリバケツのゴミ箱があった。
衝動的な気分で、それを思い切り蹴り飛ばした。蓋が外れて、中身がその場に散乱する。生々しい、ツンとした臭気が鼻をつく。そのことがさらに俺を苛立たせて……だからもっとゴミ箱を蹴り飛ばす。
「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! クソが!」
なにに叫んでいるのかなんて分からない。
なににイラついているのかだって分からない。
むしろ、全部全部、ちゃんと上手くいっているはずなのに。岬には友達ができて、レオは岬を振り向かせようと積極的に口説いていて、そうやってみんな上手く回っているはずなのに。
だってのに、どうして心はこんなにも寒い。体はここまで冷たい。これほどまでに息は苦しい。なんで、どうして……なにもかもをぶっ壊したい衝動に駆られている。
「ざっけんな! だああああっ、なんもかんも、ふざっっっっけんな!」
「テメェがふざけんなクソガキャー!」
そこで不意に、後ろ頭をスコーンと殴りつけられる。
「あんだよ! ぶっ――」
「苛立ってるからって、人様んとこに迷惑かけんのも大概にしやがれ! ったく、世話ばかり焼けるな少年は!」
振り返れば、今度は顔面を思い切り蹴られた。キレのある、綺麗なハイキック。
華麗にノックアウトされ、霞む視線で見上げた先にいたのは……大学生ぐらいのお姉さん。
活動的な服装に、いかにもボーイッシュなショートカット。
手には書店の紙袋。
冴島萌香さん。通称モカさん。レオの通うジムでトレーナーをやってる、会長さんの一人娘。
そして――実は現役のキックボクサー。
「ったくよー、通りがかってみりゃ知ってるガキがガキガキしくガキなことしてるから思わずぶっ飛ばしちまったじゃねえの」
言いながら、俺の首根っこを掴んで無理やりモカさんが立たせてくる。開きっぱなしの傘が、濡れる地面の上で逆さまに転がっているのが視界の端に見えた。
「オラ、立て。そして歩け。ずぶ濡れ鼠の青少年。謝罪に土下座に後始末と、お前にゃやらなきゃならねえことが待ってんだから」
「……っ」
「あーもー、しまらねえツラしやがって……どうしたってんだよ、ったくよー。仕方ねえ、お姉さんが話もついでに聞いてやっから、とりあえずちったあしゃんとしろ、しゃんと」
そんなことを言いながら、ぺしぺしと俺の頬を叩きながら顔を覗き込んでくるモカさんの瞳には……面倒くさそうな光が宿っていた。
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