第10話 俺がいなけりゃ、お前はもっと……
学校では、話しかけるなと。
そう言ったのが効いたのだろうか。
俺よりも遅れて教室に入ってきた岬は、挨拶の一言もよこさなかった。もの言いたげな目をこちらに向けはしてきたが、それは窓の外に視線を転じることで気づかなかったふりをすることができた。
それからは、休み時間になるたびに俺はトイレに逃げ込んだ。彼女と同じ空間にいることを、なるべく避けるようにした。
俺は友達が少ない。学校では、岬とレオの二人としか交流を持っていない。
俺については、色んな噂が飛び交っている。そして、その噂のうち、少なくとも一部は真実だった。
だから、岬とレオ以外の人間は俺のことを遠巻きにしている。腫れもののように扱われてしまっているため、こちらからもあまり他人に話しかけたりはしない。
一人きりの昼休みを校舎裏で適当に時間を潰してから教室に戻ると、自席に座る岬に何人かの女子生徒が話しかけていた。俺の話したことのない女の子たちだ。
どんな会話をしているかは定かではないが、パッと見た感じ、岬が嫌そうにしている様子はない。時折、笑い声だって漏れ聞こえているようだった。
(もしかすると……)
と、ここに来て俺は、ふと気づく。
(
これまでは思いもよらなかったが、学校で俺が避けられてるということは、一緒にいるやつだって敬遠されてもおかしくない。
だけど、俺がいなければ、岬はこうして他人から話しかけられる。俺以外の人間だって、彼女を笑顔にすることができる。
その光景を目の当たりにして、「俺は厄介者なんだ」という気持ちがさらに強くなった。
やっぱり、岬の人生に、俺なんかはまるで必要ない。だからきっと、こうして彼女と距離を取るという選択は間違っていない。
これでレオと岬が上手く行ったら、それが一番のハッピーエンド。その物語にはきっと、俺の割り込む余地なんて残されていないだろう。
それでいい、と俺は思った。
***
思えば、岬からは、ずっともらってばかりだった。
一番最初の記憶は、しんしんと雪の降る、幼いあの日。
「どうして、一人なんですか?」
うずくまる俺に差し伸べられる、手袋に包まれた小さな手。
目の前にいきなり現れたその手に戸惑っているうちに、引っ張り起こされてしまったのが、俺と彼女の発端だった。
***
――放課後を迎え、俺はすぐに教室を後にした。
足早に昇降口で靴を履き替え、外に出る。
校門を通り抜けたところで、後ろから声がかけられた。
「透夜くんっ、待ってください!」
「……学校では話しかけんなっつっただろ」
そう言い返すと、やや息を切らせた様子で追いついてきた岬が、伸ばした指で足元を示した。
「ここ、学校の敷地外です。だから学校では話しかけてないです」
「子どもかよ」
「少なくとも、まだまだ大人にはなれていないと思っていますよ?」
微妙に芯を外した返答が返ってくる。
「だからといって、幼い子どもというわけでもありません」
「じゃあ、なんだよ」
「話をしましょう」
しかし、芯を外したのは一瞬だけで。
「透夜くん、昨日からなんだか様子がおかしいです。うちにもう来ないと言い出したり、私のことを遠ざけようとしたり」
すぐに彼女は、会話の距離感を詰めてくる。一気に踏み込んできて、ごまかすことを許さない。
単刀直入に、俺が言われたくない正しいことを、まるで研ぎ澄まされた刃のような鋭さで眼前に突きつけてくる。
見た目は、弱っちいくせに。
華奢で、いかにも押しに弱そうなくせに。
だってのに、抜き放つ言葉の斬れ味は業物の域だ。
「鬱陶しいんだよ」
「今もです。私のことを避けようとしていて、なのに避ける理由は教えてくれません」
「理由なんて、なんでも……」
「よくはないですよね?」
……そして、彼女の言葉の鋭さは、空虚な俺の発言など簡単に切って捨ててしまう。
「朝ごはんを食べている時はいつも通りの透夜くんでした。なのに、いきなり、一緒にいるのが嫌になったなどと言われても困ってしまいます」
「……」
「私は、透夜くんの気持ちのすべてを理解できているわけではないです。私は透夜くんではありませんから……だから、分からないところも、察せない部分も、きっとあります。それも、たくさん」
だけど、と彼女は、真摯な瞳で俺を見つめて、
「昨日からの透夜くんが変だということは分かります。なんだか言うこととか、やることとか、いつもの透夜くんらしくないことも分かります。だから、もしなにかを一人で抱えてしまっているなら……話だけでもしてほしいです。私なんかでは、力になれないようなことかもしれませんけど……」
どこか心細げに、それでも握った拳を胸元に添えながら懸命に言葉を紡ぐ彼女が、「ね?」と首を傾げ微笑みかけてくる。
……いったい、どこの誰だろうか。岬の笑顔を曇らせているのは。
どんな、大バカ者だろうか。彼女にこんな切ない笑顔を浮かべさせてしまっているのは。
……それは、他の誰でもない。俺だ。俺が岬を突き放して、必死で距離を置こうとしているからだ。
ならば、謝ればいいはずだ。ごめん、どうにかしてたと言って、以前と同じように彼女と過ごせば全てが解決することなど分かっている。
しかし、この期に及んで俺の頭を過るのは……レオの顔と、今日の昼休みに見た光景だった。
「……なあ」
「なんですか?」
「今日の昼休み……お前、クラスの女子に話しかけられてたよな?」
「えっと……はい」
「細かいとこまでは聞こえてなかったけどさ。俺が珍しく近くにいないから、ようやく話しかけることができたって……その部分は聞こえたよ」
「そ、それは……」
岬がそこで口ごもる。
……やっぱり、似たようなことを言われたんだろうな。こうしてかまをかけてみたが、案の定だったとは。俺にまつわる
だからその分、岬の態度に綻びを作ることもできてしまうわけで。
「俺がいなけりゃ、お前はもっと人気者になってんだよ」
岬が紡ぐ言葉は業物だ。だから俺も、簡単には切って落とされないように、本音の一部をさらけ出す。
「何年も、何年も……ずっと家に引きこもったままで、まともに学校に行けてなかったけどさ。ようやく、普通に通えるようになったじゃないか」
岬は、幼い頃、一年のほとんどを家で過ごしていた。小学校時代の半分以上を、教室に行くことなく彼女は終えた。
「おまけに、レオみたいな俺なんかよりもずっと立派なやつに好きになってもらえて。クラスメイトとか、色んな人達がお前のことをほっとかなくて。そりゃ、お前は多少トロいとこあるし、最初は噛み合わないこともあるだろうけど……そういうのだって、経験積めばすぐに慣れる。お前なら馴染んでいくことができる」
「だけど……」
「だから、俺なんかに優しくするのはもうやめてくれ。そういうのってさ、なんつーかさ……仕方ないから情けをかけられてるみたいな感じして、惨めになったり、ひどく惨めになったりすんだよ」
「私は! わた、しは……そういうつもりなんか、じゃ……」
顔を上げて、詰め寄ろうとしてくる岬。
だけど俺が睨みつけると、踏み出しかけた足を止めた。それからそっと、目を伏せる。
「……お前ら、こんなとこでなにしてんだ?」
そこへ、不意に通りがかったのはレオだった。戸惑った様子で、俺と岬との間で視線を往復させている。
「……別に。ただ、岬が絡んでくるのがウザいって話をしてただけだ」
「は? なんだよそれ」
「面倒くせえんだよ。マジで、昔っから……本当にさあ」
ああ、そうだ――と、レオに目を向ける。
「お前、よくこんな面倒な女に惚れることとかできたよな?」
「――ッ、おい、透夜!」
強く、レオが俺の胸倉を掴んでくる。
怒気を孕んだ瞳が、鋭くこちらを射抜いてくる。
体の奥底から、ゾクゾクとした震えが湧き上がってきた。それは恐怖にも快感にも似ている。人の感情を、生々しく引っ掻き回した時に覚える、独特な感覚だ。
こうした感覚を、心地よいと思ってしまう辺り……やっぱり俺という人間は、ろくでもないように作られていて。
「……クソ馬鹿力が。痛ぇな、離せよ」
「……っ」
「じゃあな」
二人に背を向け、俺は立ち去る。
「冷蔵庫に……」
そんな俺の背中に、岬の震える声がかけられた。
「冷蔵庫に、お味噌もお魚の切り身も、野菜もまだ残ってますから……」
「……」
「ちゃんと、教えた通りにやれば……きっとおいしく作れますから」
「……っ」
「その……が、頑張って、くださぃ」
最後の最後まで、人を思い遣る言葉ばかりを口にする岬に、俺は奥歯を噛み締める。
自分からこうして振り切らなければ、岬はこんなろくでなしにただただ優しさを与えるばかりで。
そしてきっと、いつかは、優しさを与え続けて空っぽになってしまうはずで。
――ごめんね。お母さん、もう、お父さんに優しくできなくなっちゃったの。
家から消える、何日か前のこと。
哀れな
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あとがき
あ、どうもお久しぶりです。作者です。いや、ずっと更新サボってましてごめんなさい……実はこの作品リメイクしようと思って書き直してたんですけど、それが全然別物になりまして……で、久しぶりにちらっと本作のページ覗いてみたらやたらブックマークが伸びてたんで慌てて更新した次第です。ゆるりとこれからも続けて行こうかな、とか思ってますんでよろしくお願いします。
ちなみに、リメイクしたら別物になった作品の方ですが、
「俺は天才じゃないから」と、諦めてしまっていたけれど。
というタイトルで公開しています。カクヨムにも上げてます。こちらもぜひによろしくお願いします~。
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