第5話 じっくり考えて、きっぱり断る
その日の放課後。
俺は、レオの元を訪れていた。
そして――。
「ほらほら、ワン・ツー。ワン・ツー。ジャブ、ジャブ、フック!」
……なぜか、両手にミットをはめて、レオの練習に付き合わされていた。
場所は、レオの住んでいる場所からほど近い公園だ。といっても遊具の類はブランコがあるだけで、あとはベンチがいくつかある程度。
そのため、子どもが訪れることも少なく、こうして体を動かすには都合のいい場所であった。
「ほら、ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ!」
汗を散らしながらパンチを打ってくるレオを煽るように、俺はミットを高く掲げる。
そこへ降り注がれる、力強い拳の乱打。こうして彼の打撃を受け始めてからもう一時間半は経つというのに、その動きが翳る気配はない。
毎日のようにこなしているトレーニングの蓄積が、そのスタミナを支えているのが、こうして受けているだけでもよく分かった。
ピピっと、電子音が不意に鳴る。
「ラスト一発!」
「オオッ!」
強い踏み込み。爪先が地面を押し込むことで生まれた力を、腰の回転に乗せてそのままぶつけてくるような勢いで放たれた右ストレートが、右手に持つミットを大きく揺らす。
鋭くも心地よい刺激が、ミットを通じて俺の全身にまで伝播した。
「っし、とりあえずこんなところか」
「おう、お疲れ。ほら、タオル」
「ああ。サンキュ」
タオルを投げ渡すと、額に浮いた汗をレオは拭った。
思い切り運動した後の、爽快な笑顔を向けてくる。
「透夜もやるよな? 次、オレがミット持つぞ」
「なんでだよ。面倒くせえ」
「んなこと言ってると、体鈍るぞ? たまにはしっかり動かしとけって。ほら、打ってみろって」
渋る俺の言葉を無視して、レオが構えたミットを向けてくる。
「ったく……仕方ねえな」
割と頻繁に、俺はレオのトレーニングにこうして付き合わされている。このように、自分がミット打ちをすることも少なくない。
見よう見まねで、レオがやっていたように構えて、打ってみる。時折短く、レオが「右」とか「フックからのアッパーカット」とか指示してくる以外には、ただミットを打つ音だけが公園に響いていた。
しばらくの間そんなことをしていると、不意に「やっぱりな」とレオは呟いた。
「やっぱりって、なにが?」
手の動きを止めて問い返す。
「いや。やっぱり、透夜は筋がいいよなって思っただけだ。身体感覚が高いんだと思う」
「……はあ。いや、身体能力が高いって、それは普通に買い被りじゃねえ? お前の方が、俺より運動はできるじゃん」
「バッカ。身体能力じゃなくて、身体
「どう違うんだよ?」
「身体能力は、例えば骨格とか、筋力とか、あるいは神経の反射速度とか、そういう
「……」
「別に教えてもいないのに、構えもサマになってるし体重の乗ったパンチだって打ててる。そもそもお前、昔から授業でやるようなマット運動とかはオレより得意だったしな。本格的に、またなにか始めてみたらどうなんだ?」
そう言ってレオが勧めてくるが……だけど俺は、あんまり気乗りしなかった。
「……いいよ、スポーツはもう。こうしてお前に付き合うぐらいならいいけどさ、真剣にやるのはもう、うんざりだ」
「そうか……まあ、あんなことがあったから、無理もない、か」
「……あの時のことは言うな。そしてもう忘れろ。ってか、俺の話は今日はどうでもいいんだよ」
話の流れが昔のトラウマに触れそうになったところで、俺は強引に話題を変える。
「そもそも今日は、こんな練習なんかじゃなくて、お前と、そして岬の話をするつもりで来たんだからな」
「あー……そっちが、本題かよ」
「おう」
「そうか……分かった。とりあえず、座ろうぜ、休憩がてら」
少しだけ迷うような素振りを見せたが、結局レオはうなずいた。
ベンチに座るように促され、俺たちは隣り合って腰を下ろす。
「あのさ……昨日、お前が岬にどんな話をしたのかは、だいたい見当がついてる」
単刀直入に、そう切り出した。
「ま、そうだろうな」
「お前の気持ちも、前から知ってた。だから嬉しかったんだよ、俺。お前だったら、岬を泣かせるようなことはないって信じられるから」
「そいつは、光栄だな。けどまあ……綺麗さっぱり、フラれたよ。撃沈だ」
頭の後ろで手を組んで、空を見上げながら、どこか明るい調子でレオが言い放つ。
「でも……きっぱり断られたからな。悔しくないわけじゃないけど、おかげさまですっきりしてる」
不思議と、その表情に憂いの影はない。むしろ、さっぱりとした顔つきだった。
……どうして、そんな表情ができるのだろう。好きな相手にフラれたというのに。
あるいは、空元気なのかもしれないと思って俺は彼の表情を窺ったが、どうやらそういうわけでもないようだった。
「きっぱり断られたって……岬は、なんて言ってたんだよ」
「おいおい、そういうの聞くか、普通?」
「あ、いや……すまん、無神経だったよな。ごめん」
「ああいや、いいって。別に、聞かれて嫌だってわけでもないしな」
空を見上げていたレオが、こちらに視線を向けてくる。
「岬ちゃん、言ってたよ。遠慮深いどっかの誰かが、朝ごはんを食べに来てくれなくなったら嫌だから、付き合えないってさ」
「それって……」
「そこまで言われちゃ、さすがになんも言えねえよ。木端微塵に玉砕だ」
レオは、気負いのない口調で言っているけれど……。
けど、やっぱり、二人が付き合えないのは、俺が岬にとって負担になっているからなのだと、そう確信した。
「……それで、これからはどうするんだ?」
「どうするもなにも、フラれたなら諦めるしかないだろうな」
「いいのかよ、それで。岬だって、お前が諦めなかったらきっと――」
「そっから先は、言いっこなしだぜ」
口にしかけた言葉を、レオがきっぱりと遮ってくる。
「あのさ、透夜。オレ、なんかすげーモテるんだよな」
「いきなり、自慢話か?」
「いや、そんなんじゃねえよ。そう聞こえるのは分かってるけど、まあ聞けって」
それが思いのほか強い口調だったので、口を閉じてこちらも話を聞く姿勢になる。
俺が黙り込んだのを確認すると、改めてレオは話し始めた。
「顔なのか、性格なのか、それとも他に何かしらの理由があるのか知らんけど、中学に上がった辺りからやたらとモテてた。二十回を超えた頃からは、告白された回数だって数えなくなったぐらいだ。同じ相手から、何度も好きだの付き合ってくれだの言われたことだってある」
「同じ男として、羨ましい限りだな」
「妬くな妬くな。……で、オレは毎回、同じ言葉を返してきたよ。好きな人がいるから、お断りしますって」
「……」
「今度は、お断りされるのがオレだったってだけのことだ。それに、しんどいんだよ。自分の言葉が、直接的に相手の心を傷つけているっていうのがはっきり分かっちゃうってのは。だからって、他の異性に心を残している状態で、曖昧な言葉でキープをしておくのも失礼な話だ。オレはそういうマネが好かん」
「そういうやつだよな、お前は」
「だから、一度フラれたからには、すっぱり諦めるんだよ、オレは。オレを傷つけさせるというしんどい思いを、好きな女に何度もさせるわけにはいかんだろう?」
レオの言わんとしていることは、納得のできるものだった。
だから、返す言葉が思いつかなくて、俺は黙り込んでしまう。
しかし一方で、やっぱり思ってしまうのだ。レオがこういう人間だと知っているからこそ、俺さえいなければやっぱり岬はレオの告白を受け入れていたんじゃないだろうかと。
「もし、さ」
「ん?」
「もし、お前らの仲が上手く行くように俺が取り持ってやると言ったら、どうする?」
「大歓迎だよ。心の底から感謝して、協力を頼んでいると思う」
「なら――」
「ただし、フラれる前だったら」
「……じゃあ、今はどうなんだ?」
「じっくり考えて、きっぱり断るな」
爽やかにそう言い放つと、レオはベンチから立ち上がり、ぐっと背伸びをした。
鍛え上げられた筋肉が、シャツの上からでもはっきり分かるぐらいに盛り上がる。
「んじゃ、オレはこのあとジムで練習があるからそろそろ帰るわ」
「ああ。……あのさ、最後にひとつだけ」
「言ってみろ」
こちらを振り向いたレオが、高い視点から俺を見下ろしてくる。
その目を真っ直ぐ見上げながら、俺は彼に問いかけた。
「本当にさ……そんなにあっさり、諦めるなんてできるのか?」
「ま、無理だよな。フラれたからって、好きって気持ちまですぐになくなるわけじゃねえよ」
言って、ちょっと寂しそうな笑みをレオは浮かべた。
「でも、逃げも隠れもしないで伝えるべきことを伝えることはできたからな。フラれた今となっては、少しずつ区切りをつけていけるように努力していくだけだ」
「そうか。……悪かったな、変なこと聞いて」
「まったくだ。ま、でも、お前なりに心配してくれてたんだろ? サンキュな」
レオはそう言うと、「じゃあな」と手を上げてそのまま公園を去っていく。
彼の背中を見送りながら、俺はたった今したばかりの話について考えていた。
「好きって気持ちまですぐになくなるわけじゃない、か」
それはつまるところ、好きという気持ちは今でもレオの中に存在し続けているというわけで。
「……仮にレオが断ったとしても、俺が勝手にやるだけなら別にいいよな?」
その気持ちさえ確認できれば、問題ない。
俺は親友として、幼馴染として。二人のためにできることをやるだけだ。
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