ラウ・ホイトゥ
「ついた…」
公園から歩き、途中、タクシーを拾って雪道を移動すること1時間。おれは
その内容は——。
《助けてくれ! 殺される!》
《おい! みてる?》
《彼女、やばい!》
《このままだとクリスマスまで命がもたない!》
とまぁ、こんな具合に。ここにもクリスマスまで死ぬか生きるかの崖っぷちに立っている男が一人いた。アパートの前に立つや
『ねぇ、大丈夫なの?
「まぁ…どうなんだろ」
『このアパートにいるあなたの友人って、最近、彼女が出来たんでしょ?』
「そうそう。2週間くらい前だったか」
『なら、一番楽しい時じゃない。なんで出来立てホヤホヤの彼女に殺されかけてるのよ』
「おれも詳しくは知らんが––––やつ
『メンヘラ? ヤンデレとかも言うよね? どっち?』
「確か、メンヘラは自分を中心に考えるタイプで、ヤンデレは相手を中心に考えるタイプ——だったと思う」
『もう少し、わかりやすくお願い…』
「例えば、私にご飯を作ってくれないと死んでやる——って言うのがメンヘラで、私が作ったご飯を食べてくれないと死んでやる——って言うのが、ヤンデレのはず」
『どっちにしても難しい性格ね…。ま、とにかく? その、メンヘラの彼女? に悩んでいる友人を笑顔にしなければいかないから、とりあえず行きましょ』
「あ、あぁ…」
アパートの外階段を登るおれの
殺す殺さないの騒ぎは
無理矢理に別れさせたとしても、それはそれで辛い結末だ。キジマが笑顔になる事とは
おれは207号室のインターホンを鳴らした。
「——から! ——んでやる!」
アパートの中から何か、声が聞こえる。なにを言っているのかは
「待ってよ! カナエちゃん! 僕にも考えが——!」
今のはキジマの声だ。
『ずっとこんなに
脳内のルミが、おれに話しかける。
「もしかしたら、同じアパートの住民があまりいないのかも…」
おれはもう一度インターホンを鳴らした。室内から響く、ドタドタ…と物に当たり散らすような音が一旦、鳴り止んだ。
《はい》
インターホンが女の声を発した。
おれの肩は思わずビクッ…と震えた。
脳内のルミは『ギャっ!』と
「あ、えと、キジマの友人です。〝おれ〟って言ってもらえば、わかると思うんですけど…」
しばらくの沈黙。
おれとルミは
《………》
怖いくらいに静か。
《あー! 来てくれたんですね! よくお話は聞いています! どうぞ! 今、玄関を開けますね!》
突然、営業感あふれる女の声をインターホンが発した。ここでキジマの声も聞こえるはずだが、キジマの気配がない。すると、ポケットのスマホが震えた。すぐに確認する。キジマからのメッセージが入っている。
《ダメだ! 彼女カッターを隠し持ってる!》
「は!?」
ルミとおれの声が重なった。
《どうされました? おいしいお茶を
『こわっ! ちょっと! 危険すぎる! これじゃあなた、クリスマスとか関係なく死んでしまうわよ!』
「いや、あんたに一回、殺されてるでしょーが!」
『それは事故! これは事件になるわよ!』
急に玄関のドアが開いた。中から例の彼女——カナエが顔を出す。あまりの緊張におれの顔は硬直した。体も動かない。
「あら、どうかなさったんですか? どうぞ、外は寒いですから中に——」
『も、もう、行くしかないわ…! ここで帰ったらキジマさんが殺されちゃうかも……た、助けるわよ…!』
ルミの声に押されるようにして玄関に入る。
「どうぞ、うちのサトシがいつもお世話になってます…ふふ…」
サトシはキジマの下の名前だ。
カナエの見た目は、綺麗。
だがなんか怖い!
「は、いえ、こちらこそ…お邪魔します…」
おれは恐る恐る靴を脱いで
『ねぇ、ちょっと、あのジーンズ…』
脳内のルミが声を震わせる。
「カッター…入ってんのかよ…っ!」
おれは小声で返す。カナエの背中を追ってアパートの一室へ。その部屋は——右を見ても、左を見ても、薔薇、薔薇、薔薇。玄関に入った時に感じた香りは、
『う、うそ。生の薔薇をこんなに!? ふ、普通じゃないよ! いざとなったら、わたしが……』
「ん?」
『いいから! とにかく二人の仲を修正して! 笑顔!』
「お、おう…」
おれは無理矢理にでもニコリと笑って見せた。なぜ、キジマではなくこっちが先に笑顔になっているのだろう——そう思った。カナエに作り笑いだとバレないことを祈った。バレた途端に〝
「よ、よう、キジマ。元気してたか?」
視線が
「よ、ありがとな…来てくれて…」
一体、カナエから毎日、どんな仕打ちを受けているのだろうか。2週間前の浮き足立っていたキジマはどこへ行ったんだ。薔薇だらけの部屋で過ごすだけでも相当、精神がやられるのは間違いない。薔薇が好きならば良いのかもしれないが——いや、薔薇が好きだとしてもこの量は異常だ。よくテレビで〝ゴミ屋敷〟などの特集が放送されたりするが、これはその、ゴミを薔薇に置き
「どうぞ、座ってください。今、ローズヒップティーをお持ちしますから…」
「は、はい、どうも」
『ローズヒップティー…身体にはとても良いわよ。ビタミンCがすごいもの』
確かに、カナエの肌は真珠のように白く滑らかだ。ビタミンCが効いているのだろうか。しかし、病んだ心に効くビタミンは摂取していないらしい。そもそも、そんなビタミンなどあるのだろうか。あるのだとしたら、いますぐに摂取してほしいと
「キジマ…」
カナエがキッチンに向かったのを
「なんでこんなことになってんだよ…!」
「わ、わからない…」
「付き合う前からわかるだろ! せめて、
「同棲しないと別れる——そう言われた…」
「まじで?」
「カナエ、両親を最近亡くしたんだ。一人になっていたんだ…。だから、こんな僕でも、あれほどの美人と付き合うチャンスがあった…でも…」
突然、コタツのテーブルに何かが刺さる音がした。「ひっ!」——と、おれとキジマ、脳内のルミですらもその音に怯んだ。恐る恐る目線を左にずらす。テーブルに、一本のフォークが刺さっている。カナエが投げたのだろうか。おれはキジマの方に視線をずらした。キジマの顔から血の気といえるものが全て消え失せている。
「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃって」
手が滑っただけでフォークがテーブルに刺さるかよぉっ!
『い、生きてる?』
脳内のルミがおれに話しかけるが、
「——え!」
『——うそ!』
おれもルミも目を
「何か、問題でも?」
カナエは悪びれる様子もなく、ニコリと笑った。
「あ、い、いや、おれが知っているローズヒップティーとは、一味も二味も、違うなーと…ははは」
「一味、二味? なぜ、飲んでもいないのに味がお分かりになるの?」
そう言ってカナエはお尻のポケットに手を当てた。
キジマの目が恐怖で白目になる。
「あ、いや、見た目からして、一味も二味も違うなーと…。これを飲んだら、
『の、飲む!? 絶対ダメだって!』
おれはティーカップを手に持った。そもそも、薔薇がカップの
「あ、そ、そういえば、キジマとはどこで出会ったのですか?」
「友達の紹介です」
「そ、そうなんだ。キ、キジマー! やるじゃん! こんなすげー美人を捕まえちゃってさ! 一緒にゲーセン行ってたダチとは思えねぇよ!」
ルミが『その調子!』と、脳内で声援をくれた。
キジマからの反応は全く無い。
彼の心臓は動いているだろうか。
「ゲーセン…?」
カナエが言った。
突然、空気が変わった。
殺気?
それに近いものを感じる。
おれはキジマの方を見た。
正確には——
カナエの方を怖くて見れなかった。
「キジマ? ど、どした? 大丈夫か?」
キジマの視線は、カナエの右手を見ている。
「今、ゲームの話、したの?」
左から。
カナエの声。
同時にクリック音もした。
カッターが刃を突出させる時の、あの音。
「は、え、あー、昔、ゲーム友達だったんすよ…その流れで、今も仲が良くて……」
おれも、カナエの右手を見た。
手には黄色と灰色の二色の棒。
その灰色の部分が——
照明の光に反射した。
『ギャー!』
それは、おれの叫びだったのか。
キジマの叫びだったのか。
それともルミの叫びだったのか。
カナエがカッターを手に持ち、
立ち上がり——
目を見開いて、こう言った。
「わたしとゲーム——どっちが大事なの? ねぇ?」
カナエはキジマに斬りかかろうとした。おれは慌ててカナエの腕を
「ラウ・ホイトゥ––––!」
ルミの指先から光の糸が伸びた。その糸は、カッターを振りかぶるカナエの心臓部分に突き刺さった。すると、カナエは麻酔銃でも撃たれたように脱力し、
*
「つまり、キジマ、
おれはそう言って部屋のベッドに目をやった。すやすや…と心地良さそうな寝息を立てて、カナエがぐっすりと眠っている。
「僕…こんな美人と同棲ができてすごく安心したんだ。ほら、生活が満たされて、安心した状態で遊ぶゲームって、すごく楽しいだろ? 例えばさ、期末テストみたいなものが終わった後に遊ぶRPGとか…すごく楽しいじゃん、レベルあげ…
体育座りをしながら言うキジマの声は情けなかった。
「それで、この薔薇の国の美女との
おれはコタツの対面に座るキジマの顔を半目で
「同棲してから1週間が経った時だった…僕が仕事から帰ると、部屋が薔薇だらけになってて、ゲーム機は全て——捨てられていた」
キジマの顔面はコタツの布団に
「それまでは普通だったんだろ? カナエさん」
「普通だった。かわいくてさ…ご飯も作ってくれて…おれ、ゲームしながら食べてた」
「そんなに、ずっとずっとゲームしてたのか?」
「あぁ…」
「その、なんだ、夜の
「してない」
「寝るときもほっといたのか?」
「だって、オンラインゲームに、朝も夜も無いし…」
これは、どう考えてもキジマが悪い。同棲したての一番楽しい時間を
「なぁ、きじま。左、向いてみてくれるか?」
「え?」
キジマの顔がルミの方を向く。
「どうした?」
キジマはとぼけた顔をしている。ルミが見えていないのか? ルミはおれの方を見て人差し指を唇に当てた。シー! のポーズだ。なるほど、ルミは今、おれの頭から飛び出してはいるが、おれ以外の人間にはその姿は見えていないらしい。なんと都合の良いサンタ娘だろう。これだから〝本物のサンタ〟を実際に目撃した人がいないのだ。
「い、いや、なんでもない」
慌てて訂正するおれに向かって、ルミが、それで良い、それで、と言いたげに
「あ、そうだ、お前、カナエに何したんだ?」
キジマが訊いてきた。
「え?」
「ほら、おれが殺されそうになった時、『ラウ、なんとか』って、裏声で叫んだだろ」
裏声——。
ルミは顔をそっぽに向けて肩を震わせた。
笑いを
「あ、ああ。あれだよ、
ルミの笑い声が漏れそうになる。
「合気道なんて習ったのか?」
「お、おう。最近な」
「それでこの、眠らせる技を会得した?」
「そ、そう。ラウ、ネムネムって言う、
「そ、それ、僕にも教えてくれ!」
「いや、無理だ。常人の技ではない」
ルミが『プフッ…』と吹いた。
「おい、おならするなよ」
キジマが眉をひそめた。
「だ! してねぇから!」
「しただろ、今。プフッって」
「ち、ちが!」
「お前な、薔薇の香りでバレないかと思って…音でバレるだろ…」
そう言って、キジマは笑った。
『あ!』
「キタ!」
おれとルミの目が見開く。
「ん? キタ?」
キジマはとぼけ顔。
「いや、お前、笑ってくれた、と思って…」
おれは自分のセリフに照れて、頭の後ろをポリポリ掻いた。
「お前がおならしたからだろ…」
「なぁ、キジマ」
「うん?」
「カナエさんと、ちゃんと、話せよ?」
「…あぁ」
おれは少し前のめりになって、キジマの心に言葉を置くつもりで、語りかける——。
「ゲームは確かに楽しいよ。でも——お前は、誰もが
言葉を選んだつもりだった。
不器用だった。
でも、キジマなら——
言いたいことはわかってくれるはずだ。
高校時代からの親友なら。
わかってくれるはずだ。
「あぁ。もう、大丈夫だよ。ゲームしようにも、本体も根こそぎ捨てられたし」
キジマは笑った。
今度のは、間違いなく——
心からの笑顔だ。
「ゲームの本体、買いなおそうと思ってたんだ。そのお金で…カナエにプレゼントを送るよ。二人で過ごす、最初のクリスマスに。最高のプレゼントを買って送るよ」
部屋を飾る薔薇の花たちも——よく見ると綺麗にレイアウトされている。さすがに置きすぎだとは思うが…
ルミの表情がとても
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