第十一幕 僕、しがない“新種の生命体“であるからして




“ほんといいの?“

カフェの角席、その壁際に腰掛けてから、何度も問われる。

あちこちの角度から、内容は同じことだったが。


“なんのことですか?“

【まったくこいつは】という表情、優しくて聡くて強い笑みを浮かべるのは、アサミさんだ。


“ユミちゃんの連絡先、教えてあげようって言ってるのに、断って、本当にいいのですか?“

わざと、省略せずに、オブラートに包まずに、今回は全脈を口にする。


“とっくに女性不信なんて克服してるでしょ?“


“えぇ、おかげさまで“

コーヒーカップに口をつける。

本当に、アナタのおかげです。

“ありがとう“

そう付け足すと、くすくすと笑い出した。


“アナタって人は、ホントに“

“モテる資質に溢れてるわね“


それが、いまいち、よく分からない。

バーを去って二週間ほど経つが、女性と知り合う機会が無かったから、とてもじゃないが分かるわけがない。


“おかわり、いかがですか?“

上品な制服に身を包んだ、学生のバイトさんらしき女の子が、この席に来てくれた。

“あぁ“

ちょうど今、欲しかったところだ。

“ありがとうございます。頂きます“

と、カップを笑顔で掲げる。


“え?あ、はい“その掲げられたカップに、トクトクと、注いでくれる。

“ありがとう。ここのコーヒーはとても美味しいですね“


“あ、ありがとうございます“

深々と頭を下げてくれる。

良い店だ。バイトさんがみんな楽しそうに働いてる。

“この仕事、楽しいですか?“

何気なく、聞いてみる。

“ええ、とっても“

良い笑顔だ。

“それは何よりです。頑張ってくださいね“

“はい!ありがとうございます!“

制服をヒラヒラさせながら、席を離れていく【立派な店員さん】を微笑ましく思っていると


“アナタ、本当に気付いてないの?“

“え?何がです?“

意味が分からない。


アサミさんがジッと俺の目を見る。

なんだろうか。アサミさんの目を見る。

ずーっと、10秒ほどだろうか。


【ホントにわかってないでやんの】

というように、アサミさんは、らしくもなくテーブルに上半身を預けた。


“本当にいいの?ユミちゃんの連絡先“

両手を挙げて“わかりました“と言う。

“正直に申し上げましょう“

つい、接客口調になってしまう。

真剣な話をする時に、どうしても出てしまう。

職業病みたいなものが癖付いてしまったが、悪いことではないので、治す気もない。

アサミさんは、身をテーブルから上げて、両肘をついてこちらを見る。

頬を両手で包むようにしたアサミさんは、よくよく見ると、本当に美人だった。


“えーと、実はですね、何というか“

その瞳が、あまりにまっすぐこちらを見るので、思わず視線をそらす。


“何、今更照れてんのよ“

“照れてなんていませんよ“

“声、震えてるけど?

“照れてました。すいません“


“別に謝ることでもないけど?こんな美人に見つめられて、今まで照れなかった方が異常なのよ“

“まったくもって、ごもっともです。アサミさんは、すごく綺麗です“


アサミさんの頬がピクリと動く。

何か、意表を突かれたような反応だ。


“続けなさい“

“アサミさんは聡くて優しくて“

“そっちじゃない!連絡先!!“

あー、そっちか。

さすがのアサミさんも、少々ムキになってると見える。頬が若干赤らんでる。


【私としたことが】

アサミさん、俺如きにムキになったことを、ちょっと悔しがってる。


“すいません、俺、ちょっと天然らしくて“

“何を今更“

“なんかたまに会話の文脈を間違えるんですよね“

“だから?“

“すいません、馬鹿にして言ったつもりじゃないんです。アサミさんはホントに“

“いや、もう、いいから、違うから“


アサミさんが頭痛を催してる。

両手で頭を抱えてしまった。


“連絡先をなんで断るのか、続けなさい“

“はい。実は、俺、ユミさんのこと、ホントのところ、好きだったのかどうか、よく分からないんです“

“はぁ!?“


アサミさんが顔を上げる、何故か真っ赤だ。

“アンタ、初恋、いつ?“

“高2です“

“おそい、、“

“そこから先は?“

“その女の子に3年間、片想いして“

“、、、“

“そこからは一度も“

アサミさんが、拍子抜けしてる。

ほら、モテる要素なんか見当たらない。


“とりあえず“ “ユミのことは置いといて“

何か、迷っている様子だ。

考え込んでいる時だけ、この人は眉間に皺が寄る。


“アナタのことについて、聞きたいことがあるわ“

“はい。なんでもお答えします“

えー、コホン。咳払い。

“経歴は?“

“どこからですか?“

“高校卒業からで良い“


“えーと“

俺は、少し思い出しながら、偽りなく話す。


高校時代は“弁護士“を夢見たこと。

受験勉強の際、少し心を病んだこと。

偏差値がまったく足りずに“某三流大学“の心理学部に入って


“待った“

“はい“

“病むほど受験勉強したの?“

“いや、勉強自体は楽しかったんですが、つい出来心で、子猫を拾って帰ってしまって“


アサミさんが手を挙げて、降ろした。


“、、、いや、いいわ。続けて“


“高校の体育館裏で、すり寄ってきた子猫を、軽率に家に連れて帰ったんです。

今から思えば、本当に、何も考えずに、実家は賃貸ですから、そのコを雨の中、段ボールに入れて、、、ニャーニャー鳴くそのコは、もう今頃、俺が親元から引き裂いたせいで、寂しい思いをしてる、とずっと考えていたら“


“心が病んでしまった、と“


“今まで、経験したことのない感情だったんです。俺のせいだ。ってずっと頭の中でぐるぐる回って、夜なのか昼なのかも分からなくなって、もういっそのこと死んでしまおうかと“


思い出して、少し涙ぐんでしまう。

なんでだろう、アサミさんまで、目が少し潤んで見える。


“いや、ごめんなさい。それで【心理学部】なのね“

“そうです。メンタルケアを受けながら、なんで俺は、人は、感情が揺れるのか“

自分を知る為、人間を知る為に。


“大学時代はほとんど図書館にいました“

“待って!“

今度は早かった。なんだろう。

“講義は??“

ごもっともだった。


“理解力がないので、教授の話がよく分からなくて“

“専門用語を羅列されて分かりづらかった。と言いなさい。アナタ、自分を卑下する癖が抜け切ってないわ。理解力がない訳ないでしょうが“


“、、、はい。ありがとうございます“

“、、、で、図書館で?“


“大学の図書館ですから膨大な専門書が山のようにあったので“


まるで宝の山だった。


“そうでしょうね“

“興味があるところだけ、全部読みました“

アサミさんの表情が固まる。


“あえて、あえてよ。読んだ本の数は聞かないわ。どんなジャンルを読んだの?“


精神医学、社会心理学、組織心理学、

臨床心理学、異常心理学、犯罪心理学

民法、刑法

人間の身体の構造についての物

格闘技の歴史、柔術に関する物

将棋に関する本

生物学、哲学、弁論術

宇宙に関する本

確率に関する本



“あと、それと“

“もう、いい“

手で俺を制す。綺麗な手だ。


“それを全部読んだの?“

“ええ“

“大学の在籍中に?“

“ええ“

“4年間で?“

“いえ、1年間で“

アサミさんが、目を見開く、澄んだ瞳だ。


“一年って365日しかないのよ?“

“正確には入学してから二年生になるまでには読んでいたので、実質350日くらいかと“


“狂ってる“

“え?“

“いや、違う、なんて、こと“


“僕、友達いなかったので、本読むの、昔から大好きで“


“好きな作家は?“

“星新一さん“


“あー、ショートショートの神様で、生涯をかけて1000本以上の作品を残した“


“よく、ご存知で“

“私も好きだもの“


“どの話が一番好きです!?“

思わず、身を乗り出す。

“どの話って、そうね“


“難しいですよね、星新一さん、1000本以上書かれてるから、どれが一番好きかと問われると“


アサミさんが、今までと比べものにならないくらいの俊速で手を伸ばしてきた。

反射的に、掌底か!?と身を逸らしてしまうほど、早かった。


“ちょっと““アナタ““まさかと思うけど“

“全部読んだとか言わないでしょうね“


“いや、小学生の時に全部読み終わった時の喪失感と言ったら“


アサミさんが、再度、テーブルに身を投げた。

“とんでもないやつ“




“もう一つ、どーしても聞きたいんだけど“

“はい“

“アンタ、なんか今日、すっごく素直じゃない?いつもなら【アサミさんに何故そんなに殊勝な態度を取らないといけないのです】とか、そんな感じじゃない“


“それは、だって“

当然だと思う。

“もう、アサミさんは僕の部下じゃなくて、目上の方ですから“



不意に立ち上がるアサミさん。

“決めたわ“

何か、決心した様子だ。

“私の話を聞きなさい“

“はぁ“

気の抜けた声が、自分の口から漏れる。


“アナタを、もっと、化けさせる“

“はい?“

“いいから真剣に聞け!“

“はい!“


“お姉さんが、アンタに【ありがた〜い】お話を聞かせてあげるんだから“


怖い。女性だから、じゃない。

雰囲気が全く変わって、いつもの“優しくて聡くて強い“ “くすくすと朗らかに笑うお姉さん“という印象が徐々に引いていき

まるでその目は“全てを射抜くような眼光を放ち“

その堂々たる気迫に押されて、思わず平伏したくなるような。

“圧倒的な実力の差“を感じずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る