第六幕 才の差は努力では決して埋まらない


自分の手が、嫌いだった。

元々、小さい手。指は、短い。

よく“女の子みたいな手“と言われた。


“才能“というものの中で、一番わかりやすいのが“身体的“なものだ。

“美醜“も才能の一種だと思う。

持って生まれた才。

天に恵まれた才。天才。

俺は“美醜“という才を持たなかった。

それどころか、天から授かった才など、一つもない。

この、手でさえ。


“君は、カードは向いてないなぁ“

マジックの達人に、もはや神業と言える奇術を見せてもらった際に、感嘆した。

目の前で行われる奇跡の連続に、空いた口が塞がらない。

そのまま言ったものだから、“教えてください“が変な発音になった。


“教えて下さい“

頭を下げる。

目の前のお客様は“ただの趣味だ“と謙遜しながら、ストリートで奇術を行い、拍手を浴びるマジシャンだ。

俺の真っ直ぐな目に、安直な想いが無いことを察した彼は

“心得を5つ“

これが守れないなら、教えられない。

と、真剣な目で言った。


心得①

マジックは自分から“見てくれ“と言って披露しないこと。相手から“見せてくれ“と言われたら一つだけ見て貰うこと。多くても二つ。

それ以上は、マジシャンの自己満足になるから。


心得②

常に“見て頂いてる“という気持ちで披露し、お客様の事を想うこと。

“マジックは騙されてるようで不快“と感じる人もいると意識すること。


心得③一つのマジックは、最低200回練習してから披露すること。


心得④種明かしはしないこと。


心得⑤同じマジックを二度続けて披露しないこと。


そう言って、じっと、俺の目を見つめる。

数秒。

返答が俺から無いので、誤解を生んだ。

“残念だけど、守れないなら“と口にするのを遮って

“覚えました“と言った。


“は?“


“心得、5つ“


“、、全部、覚えた?“信じられない。と言った表情だが。


口に出してみる。

①から順に。

一字一句とまではいかないが

その心得が何を意味するかを考えれば、自然と覚えられた。


そして再び頭を下げる“教えて下さい“

こうして、俺は“道化“としてのスキルを高める機会を得た。


俺の手を見て、達人は

“カード、向いて無いね“と言った。

“コインなら出来そうだ“と続けた。


君の手は、カードの束を扱うのに、小さすぎる。


そう言われた時、ふつふつ、湧き上がるモノ。

“身体的“な“才能“の壁が、俺のやりたいことを邪魔する。

ぶっ壊してやる。


“カードがやりたいんです“

“他人より、出来ることが少ないぞ“

“カードがやりたいんです“

“習得出来るか保証しないぞ“

“カードがやりたいんです“


後から思い出すと、オウムになったような自分。


そこから新品のトランプを購入し、一組、握ってみる。


短い指。

“指輪が可哀想ね“と、女からバカにされたこの大嫌いな指は、練習中に、何度もカードを床に落とした。


別段、器用でもない人が、100回ほど練習すれば習得できるシンプルな技術さえ、習得できたのは2つくらいなもので

それも、人の何十倍も練習した。


壁。努力で壊せない壁。

一度、家の鏡に身を移した。

“なんでだ“

なぜ俺は、こんなにも。

負の感情など、完全に克服したつもりだった。

悔しい。悔しい。

悔しい。悔しい。悔しい。

俺の全身を移した鏡に両手をついた。

“どうして“


“今後“唐突に脳裏に、言葉が過ぎる。

“頑張って頑張って、それでもダメって時はね“

なんだ。だれの言葉だ。

“もっと頑張らなきゃ。なんて思っちゃダメよ?“

“心が壊れちゃうからね“

“マインドを変えるの“


【マインドを変える】

“君は初対面の天才だ“と断言してくれたおじ様の顔が浮かぶ。

その人とは別に、“マインドを変える“なんて言葉を教えてくれた人。

誰だ。

数秒。その後、ハッとする。

年上で先輩のバーテンダーであるバイトの女性。

アサミさん。


あの時は、窮屈だから、テキトーにあしらっていた“容姿の整った女性“との“不毛な会話“だった。

いつだ。

どういう話をしていた。



“タロちゃん、私のこと嫌いでしょ?“


こいつもか、と思った。

ユミ、とかいう小娘と同じことを言う。

アサミという名の年上の女性は、よく“お客様“としても店に来た。


バーカウンターを挟んでいるから、まだ割り切りやすい。

“お客様“だと思えば、大丈夫。


“好き嫌いで、アナタを見ていませんので“

ユミに返した言葉をそのまま。けれどその時より穏やかな口調で。


“と、言うよりも“

アサミはグラスの縁を、何の気なしに指で撫でる。

長く、細い指。綺麗に整えられた爪。

彼女の本業は“ネイリスト“だった。

“女の子が嫌いなんじゃない?“


瞬刻。ほんの一瞬。自分の表情が笑顔のまま固まる。

“ユミちゃん、すごく心配してたわ“

“【タロっちに嫌われてるのかな】って“

こいつら、陰で。

それは俺の“コンプレックス“の根幹を大きく揺さぶる事象だ。


【ねぇ、あんたさ陰でなんて言われてるか知ってる?】

【陰気】【無能】【チビ】【ダサい】【変人】

【お前なんて死ねばいい】


クソ共。

お前らに何が分かる。


“ねぇ“

アサミが心配そうに俺を覗き込んでいた。

俺は、今、どんな顔をしてるんだ。


“たぶんだけど“

“ここにいる女の子は、みんなタロちゃんのこと好きだと思うわ“


耳を塞ぎたい。

そんなわけあるか。

お前ら、女は、俺の友人を殺したんだ。

懺悔の手紙、その文面が音となって脳裏に響く。

“すまない、約束、守れずに“

“俺は、ダメだったよ“


お前はダメじゃなかった。

俺よりもずっと、優れていたじゃないか。

俺と同じ“土竜“だった友人は、それでも確かに朗らかに生きた。

努力に努力を重ねて、有名な大学に入っていた。

勉学に勤しみ“秀才“であったアイツは“人生最大の恋愛“に殺された。

上手く手の平で転がされ、くだらない女に捨てられ、自らの努力が無駄だったと嘆いて、死んだ。


努力が無駄な訳がないだろ。

“壁“は壊すんだよ。

“美醜“だろうが“才能“だろうが、積み上げた努力で超えられない訳がないだろ。

そうだろ。


気づけば、泣いていた。

アサミがいることも、忘れていた。

バーカウンターの中で、ある種、舞台の上で初めて。

声を殺して泣いた。


“なんで“そんな声が口から漏れる。

アサミは、黙っている。

その深い、深い沈黙からは

“なぜ、目の前の人は悲しんでいるのか“を考えている。それが分かる。

その沈黙の末、彼女の洞察は、俺の深部に届かなかった。

そして、それは彼女も悟ったようだ。


“何があったのか、聞かない“

その代わり

“私の想いを聞いてちょうだい“


アナタは、ここの店長として立って

とんでもない仕事量をこなして

難しい人間関係にも臆せず

常にお客様に全力のサービスを心がけている。


“手“


みせて。と、俺に言う。


“手に目が行くの“ “職業病みたいなので“


ネイリストの彼女は、俺の手の変化を、都度都度、感じていたらしい。


“ビルドの練習“

ビルド。単純に言えば、酒を棒でかき混ぜる、アレだ。

“どれだけやれば、こんなことになるの“

バースプーンと呼ばれる細長い棒を。

グラスの中でかき回す【基礎中の基礎】


それを繰り返し、繰り返し。

しかし、積み上げた【努力】はホクロほどの“タコ“を作り、それが潰れて、カサブタになり、それが剥がれて、血が滲み、カサブタを作る暇もないので、それはいつしか


【本物のホクロ】になっていた。


“誰も、アナタをバカにしてない“

アサミさんは俺の手を握った。

“今はわたしを、信用してくれなくてもいい。一つだけ覚えて置いて欲しい“


“頑張って、頑張って。それでも無理だった時“

“もっと頑張るんじゃなくて“

“頑張り方を変えるの“

“マインドを変えるの“

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