「ふつう」の回
猫の茶碗という落語がある。茶屋に住み着いている猫に餌を食べさせる器が高価なもので、その茶屋に偶然寄った商人が、その器に気が付き、何とか器を安く手に入れようと考える。しかし、高価な器は手に入らず、逆に商人は茶屋に大金を払ってしまう。という噺だ。
茶屋の主人は、器が高価なものだと知りながら粗末に扱い「時々、大金が入るから」と確信犯の発言をするところが、気持ちいい落ちになっている。
ずっと海を眺めていたら落語を思い出していた。落語なんて興味がないからちゃんと聞いたことがないのに、猫の茶碗だけは覚えている。新宿の末広亭か上野の鈴本演芸場で見たような気がする。誰かに連れて行ってもらった。そのあとドジョウを食べて帰った記憶がある。
あの日から、私も妻も何事もなかったように普通に過ごしている。変わったところは、お互いに寝たふりをしなくなった。夜も楽しく過ごすようになった。そのため妻と話す機会が増えた。
妻は養子として上原になった。転校生として小学校に入学して共同生活をはじめ、周りと同じに見えるように少しづつ体を変えていってたけど面倒くさくなり、小6から身長や体重を変えてないといった。
私は、沖縄県に来てからつい最近のことまでを順に話した。大きな盛り上がりをなくし当たり前の日常のように話してみた。ただ一つだけ、特殊能力についてはガッカリしていることだけしっかりと伝えた。妻は笑うだけだった。
妻はすべての言語を同時通訳できる能力がある。妻が同時通訳に気付いたのはテレビを見ている時にいろいろな国の言葉が脳内ですぐに理解できたからで、テレビを見ていなかったら能力に気が付いてなかったかもしれないといった。はじめて海外に旅行に行ったときは、相手の話していることはどんなに早く話されても理解できるけど自分の伝えたいことが言えなかったからもどかしい思いをした。と当時に、その時気が付いたことが、文字が全く読めなかったから悲しくて、つまり、同時通訳はできるけど、文字になると全くわからないから翻訳とかはできない。生きていく上では何の役にも立たない能力だと自虐的に嘆いた。
私の特別な能力はいつ目覚めるのだろう?なんて頭のどこかで思いながら妻の話を聞いていた。落語の落ちのようなどんでん返し的なものが能力として目覚めたら最高なのにな。
海を見つめながら、波と落語は似ていると感じた。同じように見えるけど、同じものは一つもない。
「うまい」
隣にいる妻がこちらを見て微笑んでいた。
猫の茶碗的なことは起こらないと思う。誰かの裏をとれる程、私は賢くない。そもそも猫アレルギーということを忘れていた。
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