四,やっかいな事態
『二人が誘拐されたのは八日前、先週月曜のことです。すぐその夕方に犯人から一方の家に身代金要求の電話がありました。一方の家というのは、お金持ちの方の家です。子ども二人分、五千五百万円の要求がありました。明日中に金を用意して引き渡しに備えろと。電話を受けた家はもう一人の家に連絡して、子どもたち二人がいっしょに誘拐された事実を確認すると、相談の上、警察に一一〇番しました。
人質の安全を最優先ということで銀行からお金を借りて身代金を用意しました。
犯人は相手に準備の間を与えないよう素早く事を運ぼうと考えたのでしょう、用意した金を千百万円ずつ五つのカバンに分け、翌日の夜八時までに駅の五カ所のロッカーに一つずつ入れ、その鍵をその上に置いておけと電話で指示しました。金が手元に来たら人質は帰してやると一方的に告げて電話は切られました。
二人の父親は要求通りにそれぞれのロッカーに金の入ったカバンを入れ、鍵を上に置いていきました。
八時を過ぎるとそれぞれのロッカーに怪しい風体の男たちが現れ、上に置いてあった鍵を使ってロッカーを開け、カバンを取り出し、そのままホームへ歩き出しました。ホームでは帰宅のラッシュは過ぎましたが、まだ混雑の残っている状態で、電車に乗り込もうとする男たちに見張りの刑事たちは焦りました。金だけ持って行かれて、もし捕まるリスクを恐れて人質を殺害されたらと恐れ、電車に乗り込んだところで強行逮捕しました。
これは失敗でした。五人の男たちは全員ネットの掲示板で雇われただけの臨時の運び屋でした。それぞれ別のロッカーの鍵を持っていて、先の駅のロッカーにカバンを入れ、そこに入っている謝礼五万円を受け取る手はずになっていました。五人はいずれも雇い主の素性はまったく知りませんでした。
犯人は逮捕できず、人質に通じる手がかりは全く得られず、警察の大失態でした。
犯人からも取引は中止するという電話が掛かってきて、両家では金切り声を上げての大騒ぎになり、警察は徹底的に非難されて、二日空けて再び犯人から電話があったときには娘が無事帰ってくるまでもういっさい手を出すなとすごい剣幕で、こちらも引き上げざるを得ない状況でした。
しかし、困ったのは被害家族も一緒です。
一度は身代金として金を貸した銀行も、警察が手を引いたことで身代金が回収できない危険を考えて再び金を貸すのを渋ったんです。警察の協力を得られないことで二つの家でも身代金の分担を巡って争いが起こりました。アパート暮らしの娘の親が、うちの娘はお宅のお嬢さんの巻き添えに誘拐されたのだ、うちの負担はおまけの五百万円だろう、と言い、一方のお金持ちの家も……実はこちらも家は大きくて立派なんですが、旦那さんの勤めていた会社が倒産して格下の中小企業にやっと再就職したばかりで、経済的な余裕はなかったんです。この点犯人のリサーチ不足でしたな。うちの娘こそ、あんたんところの不良娘に連れ出されたせいで誘拐されたんじゃあないかと、すっかり喧嘩腰になっちゃいまして。二人が誘拐されたのは、ご存じでしょう、映画館の入っているあのショッピングセンターに向かう途中だったようでして。
銀行は金を貸すのを渋り、両家で分担を巡って争い、犯人はいつまでも揃わない身代金に苛立ちを募らせ、監禁状態が一週間に渡って幼い人質の状態が心配され、手出しを禁止された警察としては居ても立ってもいられない状態なんです』
と、のんびり交番で番をしている巡査は言い、
『身代金はやっとお金持ちの家が家を担保に銀行から借りられることになったようですが、一度目の失敗で犯人側も相当慎重になっているでしょうから、予断を許さない状態ですな』
と長い話を締めた。
耳を寄せていっしょに聞いていた紅倉が
「写真が欲しい」
と言い、芙蓉が要求すると、
『本当に、絶対に約束を守ってくださいね?』
と引き受け、
「こちらから情報があったらラッキーと思ってください」
と電話を切ると、女の子二人がいっしょに写った写真が送られてきた。
「先生」
と紅倉に見せた。
休日の写真だろう二人ペアでモデルみたいなポーズを取って、プリクラが趣味だけあって髪型も服もおしゃれでお化粧もしているようだが、二人ともまだあどけない、小学二年生の顔つきをしている。
紅倉は、
「ちょっとあなた」
とぼんやりしたサンタのお化けを呼んだ。
「ほら、あなたの捜しているのはこの二人よ」
と、紅倉は芙蓉の携帯をお化けに向けさせた。サンタお化けは写真を見ながら、いまいちピンと来ないように顔をしかめた。紅倉は強い調子で言い聞かせた。
「あなたの記憶を戻してあげる。思い出しなさい、あなたは刑事だったのよ? 敏腕刑事のあなたは、幼児誘拐事件を捜査していて、身代金の受け渡し現場にサンタクロースに変装して張り込んでいた。身代金が犯人に渡り、犯人を追跡したあなたは、尾行に気づいて逃走した犯人を追って、犯人にピストルで撃たれて命を落としたのよ」
ぼんやりしていたお化けの顔が、だんだん引き締まってきた。
「さあ、自分の仕事を果たすのよ! この子たちが正義の味方のサンタ刑事が駆けつけるのを待っているわ! この子たちの居場所を捜し出せるのはあなたしかいないわ。正義のサンタパワーと刑事の執念で監禁されている場所を捜し出すのよ! 行け!」
紅倉は式神を使役するみたいに空に指を振り立て命じた。キリッとした顔つきになったサンタのお化けは、
しゅわっち!
と、背中に担いだ袋をマントに、スーパーマンみたいに空へ飛んでいった。
なんとも呆れた目で空のかなたへ消えていく赤い姿を見送った芙蓉は、疑いの目を紅倉に向けて訊いた。
「相手が記憶喪失なのをいいことに。少しでも成功の可能性はあるんですか?」
「さあね。でも、信じる者は救われるって言うじゃない? もうすぐクリスマスだもの、きっと天が味方してくれるわよ」
と、紅倉は携帯の女の子二人の写真を額に当て、転写すると、
『サンタクロースに助けを!』
と、二人に向け全方位にテレパシーを放った。
ふうと息をつき、
「やれることはやった。後は、わたしたちも運を天に祈りましょう?」
と立ち上がり、芙蓉も
「はい」
と立った。
そうだ、クリスマスなのだ。子どもに悲劇が起こってはいけない。
芙蓉も強くそう願った。
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