3
マリアが身体を上下させる度に、安物の二人掛けソファがギシギシと軋んだ。ジェイが下から腕を伸ばし、その揺れる乳房を弄んでいる。そこは地下街にある店『J』の奥まった一室だ。ソファのスプリングが鳴る音と呼応するかのように、マリアの切ない呻き声が部屋中を満たしていた。そして彼女が微かな痙攣と共に甘い溜息を漏らし、その日何度目かの高みに到達したことを知ったジェイは、マリアの括れた腰に腕を回して体を入れ替え、今度は自分が彼女を抑え込むような体位を取った。
しかしその瞬間、彼は部屋の片隅の暗闇に何者かの存在を感じ、その動きを止めた。それに気付かないマリアは、彼がいつものように焦らして遊んでいるものと思い、甘ったるい声を上げる。
「焦らしちゃ嫌。早くぅ・・・してぇ、ジェイ・・・」
ジェイは彼女の声には反応せず、部屋の隅を見据えたままゆっくりと上体を起こし、マリアから身体を離した。マリアは訳が判らず、思わず「えっ?」と声を漏らす。まだ状況が飲み込めない彼女は、驚いたような表情のままジェイの視線の行く先をなぞり、そして目を見開いた。
「ちょっとリョータ! そこで何やってるのよ!?」
マリアが先ほどまで自分が身に付けていたTシャツを身体に巻き付け上体を起こしたことを確認したジェイは、下に落ちていた下着を身に付けた。コンドームは使っていなかったようだ。ジェイがソファに腰かけるまでの間にも、マリアはその怒りをリョータにぶつけていた。
「まぁまぁ。どうした? 何かあったのか、リョータ?」
そう言ってジェイは、脇のテーブルに置いてあったマルボロの箱から一本取り出して口に咥えた。でもライターが見当たらない。立ち上がったジェイが辺りをキョロキョロ見回していると、リョータの身体に「ドンッ」とぶつかってしまった。
「おっと、悪・・・い・・・?」
ジェイの声は途中で立ち消えとなった。その代わり、目の前にいるリョータの顔をジッと見降ろす。リョータも、自分よりもずっと背の高いジェイの顔を見上げる。二人は肉薄したまま見つめ合っているのだ。もし二人がお互いに腕を回していたら、それはまさに抱擁する恋人同士のような状況だ。しかし二人の腕が相手に回されることは無く、身長差のある少年同士が向かい合ったまま沈黙しているのだった。
最初に口を開いたのは、やはりジェイだった。
「何故?」
そんな二人を不審な目で見ていたマリアが言う。
「何? どうしたの二人とも? 何を言ってるの?」
ようやくリョータが声を出した。この部屋に来て、初めて口を開いたのだ。ジェイは日に日に成長するリョータの声が、前回よりも若干、声変わりしていると思った。
「ジェイ・・・ あんた僕達の居場所を
リョータがジェイの胸の辺りをグィと押すと、ジェイはヨタヨタと後ずさり、そのままソファに座り込んだ。その弾みでスプリングが跳ね、Tシャツにくるまったマリアも上下に揺れたが、彼女の眼差しはじっとリョータの右手に固定されたままだ。
「どうしてそう思うんだ?」苦し気な声で問うジェイ。
リョータの持つハサミがジェイの心臓の下辺りを真横に切り裂き、その傷口から鮮血が噴出していた。リョータの右手も返り血を浴びて真っ赤に染まっている。ハサミの黄色い取っ手の部分はオレンジ色だ。マリアは口に手を当て、声を出すことも忘れたように目を剥いた。ハサミを開いた状態にすれば、それは二本のナイフが十字に重なり合っているようなものなのだ。
カナエの折り紙セットに入っていたそれを、カチャカチャと弄びながらリョータは言った。
「今日、僕達が遊園地に行くことを知ってたのは、ジェイ、あんただけだ」
ジェイは何かを思い出したような顔になったかと思うと、「フッ」と笑った。
「運良く、シンジ達が先に来てたから、僕達は捕まらなかったけどね」
「たまたまだとは思わなかったのか?」
「最初は思ったよ。たまたまだって。でも、この前のお濠に行った時もそうだった。あのシュニンって奴とマツオって女がやって来た。遊園地にもだ」
「そっか・・・」ジェイは俯いた。リョータは続けた。
「僕はあんたを信じたかった。信じる理由が欲しかったんだ・・・ 理由を聞かせてよ。どうして僕達を売ったの?」
「昔、世話になった人から頼まれたんだ」
二人はまた見つめ合った。今は立っているリョータが見下ろし、ソファに座るジェイが見上げている。その時リョータは、先ほどのジェイとマリアの行為を思い出していた。人にはコンドームを着けろと言うくせに、どうして自分はしないのだろう? そんな疑問が心に浮かんだが、どうでもいいことだと思い直す。
「もう一つ聞かせてよ。捕まった仲間は今何処に居るの?」
ジェイは蒼白な顔をしていた。傷口からの出血は止まらず、彼の腰かけるソファの座に広がる赤い染みが、徐々にその直径を増している。
「捕らえられて直ぐは、中野にある警察病院で検査を受けるんだ。そこで使えるかどうかの確認されるらしいが・・・ その後は何処に連れていかれるのかは・・・ 知らない」
「前に言ってた、セイショクノウリョクの話だね?」
「・・・そうだ」ジェイは眠そうな顔をしていた。失血によって意識が朦朧としているのだ。「おそらく今、日本中の大学病院やらが生産工場みたいな・・・ もの・・・ なのかも・・・」
「ジョージもそこで、家畜みたいに飼われてるってわけ?」
ジェイは自分の身体を起こしていることが出来ず、バタリとソファに沈んだ。そしてそれ以降、何の反応も示さなくなった。
リョータが「ふぅ」と息を吐き、二人の会話を黙って聞いていたマリアに視線を向けると、彼女の喉から「ヒッ」という気名が漏れた。
「マリア、あんたも
リョータの表情には何の感情も現れてはいなかった。罪人の主張に、義務的に耳を傾ける裁判官にすら思える冷めた表情だ。カナエのハサミを握りしめたまま、リョータは動かなくなったジェイとマリアの間に座った。
「違うっ! こいつが警察の手先だったなんて初めて聞いたよ! 本当だよ! 信じてよ!」
涙を流しながら主張するマリアのTシャツに手を掛けたリョータは、それをゆっくりと剥ぎ取った。マリアは顔を背けながらなされるがままに、それを受け入れた。だがその視線だけは、リョータの持つハサミから引き離すことが出来なかった。
「お願い・・・ 殺さないで・・・」
Tシャツの下から現れたマリアの身体は、カナエのものと比べると豊満で、いかにも大人の女ようだ。動くたびに波打つ柔らかそうな胸はカナエのものとは違ったし、下腹部の陰毛もカナエには無いものだ。リョータはその身体をしげしげと見詰めた。
「あんた、ジェイのことを愛してたんじゃないの?」
たしかマリアは十五歳くらいだったろうか? もしカナエが生きていて、あと五年もすればこんなにも艶めかしい身体つきになったのだろうか? そんな風に成長したカナエとの交わりを想像し、リョータは勃起した。
「冗談じゃないよ。こんな奴、愛してなんかいないさ」
マリアの意外な答えに、リョータはキョトンとした。
「そうだったの? じゃぁ、なんでセックスをしてたの?」
「アハハハ。そ、それはさぁ・・・」
マリアの困ったような顔は、次の瞬間には驚愕の表情に変わっていた。己の首筋をなぞる様に後ろから前へと滑った、ハサミの冷たい感触に驚いたのだった。
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