その頃、須藤と松尾は中野にある警察病院に担ぎ込まれた仲間を見舞った後の、新宿署に戻る途上の車中にいた。渋滞する甲州街道にあって、二人の乗るカムリは遅々として進まぬ車列に身を委ねている。ステアリングを握る松尾の横で須藤は、車をどんどん追い越して歩いてゆく歩道の人々の流れをボンヤリと見つめていた。

 「皆さん、命に別状は無くて良かったです」

 沈みがちなトーンで漏れた松尾の言葉にも、須藤が反応することは無かった。

 最も緊急を要すると思われた天本は、転落の際に後頭部を強打し意識不明となっていたが、脳に大きな損傷も無く集中治療室のベッドの上で意識レベルを回復しつつあった。今後、何らかの後遺症が発現しないか慎重な経過観察が必要ではあったが、おそらく通常の脳震盪という診断で落ち着きそうな様子だ。ただし、限定的な記憶の欠如が見られる可能性が高いと医師はみていて、実際、頭を打った前後の出来事は何も憶えていないらしい。

 一方、背中から銃撃を受けた竹内の方は、銃弾が主要な臓器を損傷しなかったことが幸いし、思ったよりも軽傷で済んでいた。勿論、意識もしっかりとしており、見舞いに来た松尾に対し、ちゃっかりと快気祝いの予約・・を入れるほどの軽口が飛び出すほどだ。同様に、左足を骨折した斎藤もいたって元気で、女性陣の二人が元気にしていると聞いて、その厳つい顔をほころばせたのだった。

 見た目、一番悲惨な状態だったのは今枝だったが、医学的に見ると三人の中で最も軽傷と言えた。顔面をボコボコにされて見るも無残な姿に変貌し、包帯でグルグル巻きにされた姿はピラミッドから這い出して来たミイラそのものだ。本人達には叱られそうだが、無事で良かったというのが、須藤の偽らざる気持であった。

 もし、この中の誰かが死んでいたら・・・ そう考えるとゾッとした。それは仲間の死という受け入れがたい現実に対する恐怖というよりもむしろ、その後の警察の姿勢の変化を憂慮したものだった。警察は身内・・への攻撃には過剰に反応する組織である。一般市民が犠牲となった場合に比べ、その案件につぎ込むエネルギーの差異は異常ともいえる。もしそうなった場合、奈落の子供達に対するスタンスが変化し、より凄惨な応酬に発展する可能性すら有ったのだ。子供に銃を向けるようなことは、二度とごめんだと須藤は思った。


 そんな思案に耽る須藤を見た松尾は、そろそろ潮時であることを感じていた。自分達がと向き合っているのか、その種明かしをせねば彼は納得しないだろう。彼女は前を走る ──いや、殆ど走ってなどいないが── 車のテールランプを見ながら、その重い口を開いた。

 「例の海底火山と子供達の関係ですが・・・」松尾はそう切り出した。

 彼女はまず自分が、厚生労働省と警察庁が結託して進めている、とあるプロジェクトに絡むいわゆる特命要員であることを告げた。そういった訳あり・・・の人間は松尾だけでなく、警察組織内に何名も入り込んでいて、それらを統括するのが各所轄に設けられた少年補導対策本部の正体だ。勿論、小捕対の行動指針は所轄ではなく、の意向を汲んで決定されるのだという。

 「主任も、この両者の繋がりは薄々感付いていると思います」

 「光合成型に変性すると、人体に有害化するんだったよな? つまり・・・」

 紫外線によって変性した細菌に晒された人間はその生殖機能を失い、それが世界規模の人口減少へと繋がっていることは判明事項だ。一方で、細菌が光合成型へと変化するということは、日光の届かない空間では生き延びられないことを意味し、そういった環境に暮らす人間には害が及び難いと言うことが出来る。そこで政府が目を付けたのが、地下で暮らすストリートチルドレン達だ。それは非人道的とも言える計画で、その性質が故に公には伏せられていたが、無論、これらの計画は首相官邸の旗振りの元に遂行されているものだ。政府は日本がかつての栄華を取り戻すための国策として、この計画を推し進めようとしていた。


 本計画の発効に先立つ一年ほど前、政府が奈落の子供達何名かのサンプル・・・・を検査した結果、予想通り彼らの精巣と卵巣は全くもって健康であることが確認された。つまり、あの海底火山が世界中に供給し続けている細菌の攻撃を受けていない新鮮な精子、卵子の供給源として、奈落に巣くう子供達が有用だと立証されたのだ。

 「厚労省が警察庁に話を持ち掛けた際、相手が未成年という事で最初に話が回ったのが生活安全課だったと思います。しかし、奈落の規模の大きさや、少年達の機動性の前に打つ手が無く、苦肉の策として刑事課を巻き込む形になったのは主任もご存知でしょう」

 「あぁ、憶えてるよ。なんで俺達が子供の相手をしなきゃいけないんだって、当時の刑事達は文句を垂れていたもんだが・・・」

 「人類が看過できない程の人口減少の憂き目にある時に、これで金儲けを考える日本人は異常としか言えませんが、日本国政府は強力な外交手段の切り札として、これら子供達の精子、卵子の闇ルートでの輸出を開始しています」

 「!!!」

 「アメリカやヨーロッパ、中国、ロシアに至るまで自国の衰退を目前にし、強気の外交姿勢を崩さない日本に対して譲歩を余儀なくされるのは火を見るより明らかでしょう。各国の存亡が日本から輸出される精子と卵子に依存するという状況になりつつあると言ってよいのです。

 海外では、東京のように大規模な地下に多くの健全な生殖臓器が残留している例は有りません。唯一、フランスのパリには東京ほどではないにしても同じような地下構造が有りますが、その存在が確認された1998年以降は立ち入り禁止となっており、有用な臓器が温存されているはずも有りません」

 「待て待て待て! 君は一体何を言ってるんだ?」須藤は松尾の言葉を遮った。「ってことは何かい? 俺達が今までやっていたのは、その精子と卵子の収穫・・だったってことか? 俺達はそんなことの片棒を担がされていたってのか!?」

 「言葉は悪いですが・・・ 今の主任のお言葉が、全てを言い表しています」


 日本のこの行為は非人道的であり、言ってみれば臓器売買に近い倫理的にも微妙なラインと言えたが、国が亡びかかっているという危機を前に、それに異を唱える国は現れなかった。足元に火の点いた者には、人権だの人道だのと呑気な綺麗ごとを並べている暇は無いということだ。自国の存続を望む国々は、日本の高圧的で屈辱的な外交政策を甘んじて受け入れるしかないのだが、唯一、韓国だけは敵対関係にある日本人のDNAに頼ることを良しとせず、それらの輸入を拒否し続けている。当然ながら各国は、自ら活路を見出そうと医学、生理学、生化学分野に莫大な費用と人をかけ始めているが、日本がどのような手段で健康な精子と卵子を量産・・しているのかは国家レベルの機密事項とされ ──諸外国は日本のバイオテクノロジーの成果であると誤解をしていた── いずれの国においてもその生産は成功していなかった。

 「ウグッ・・・」須藤は言葉を失ったが、松尾は構わず続ける。

 「この国にとって奈落は、健全な子供達を放牧するための牧場なのです。日本は種を残すためと言うより、外交上の優位性を確保する手段として、生命の量産計画を推進しています」

 日本人の精子と日本人の卵子から生まれる子供は、当然ながら日本人の外見を持っている。アフリカンでもなくアングロサクソンでもなく、世界中がモンゴリアン一色に染まるという状況は、想像しただけでも背筋が寒くなる状況だ。日本の一部の狂信的な民族主義者や選民主義者達が狂喜乱舞する光景が目に浮かびそうだが、そんな多様性を失った社会が長期間にわたって健全に発展し続けるなど有り得ないことを知るべきだろう。しかし国連すらも「生命の売買」を黙認する形で、人類の存続の道を選択したのだった。


 「その後の追跡調査から、生殖器が成熟する前に地下に潜らねば、子供といえど早々に細菌の餌食になってしまうことが判っています。とは言え、奈落にいる限り生殖能力を保持できるかと問われれば答えはNoで、地下に棲んでいても徐々に体が蝕まれることは避けようが無く、十五歳を迎える頃には地上生活者と同様の身体になってしまうと考えられています」

 「それが年嵩の子供が奈落にいない理由なのか? 年齢が上がるとドナーとして使えなくなってしまうから?」

 『J』のような店は都内の地下街に複数存在し、子供達の間引き・・・を担当していた。つまり、十五歳を過ぎた辺りになると、ジェイのような存在から秘密裏に告知がなされるのだ。お前はもう保護の対象ではなく、排除の対象になっていると。無論それはブラフで、排除の対象になったからと言って命が狙われるわけではない。しかし、日ごろから奈落の子供達の良き兄貴分、または姉貴分として良好な関係を築いておくことによって、子供達は皆その通告を受け入れ、奈落から自主的に姿を消すことになるのだった。そういった経緯から、厚労省出身の松尾が須藤顔負けの情報源を確保していたわけだ。

 「他にも、年齢が増すと狡猾化してきて、他の子供達確保の弊害になるという理由も無視できません」

 「そ・・・ そんな非人道的な行為が許されるのか!?」

 須藤の質問にも松尾が臆することは無かった。

 「それでは主任は、このまま人類が滅ぶ道を選びますか?」

 「・・・・・・」

 言葉に詰まる須藤を見て、松尾が可笑しそうに笑った。

 「心配しないで下さい。こういう私も、この仕事の全てを飲み下して納得しているわけではないんですよ。そこは主任と同じです」

 そう言うと、松尾は右にウインカーを出して路地の方に進んだ。そちらは二人が帰るべき新宿署とは逆方向だったが、須藤は黙ってそれを見守った。

 「答え・・・ 出ないんですよ」松尾はサバサバしたような、或いは諦めてしまったような口調だ。「私だって色々考えたし、悩みもしました。でも、いくら考えても、これが正解だっていう解に辿り着かないんです。非人道的ですか、私? 多分そうなんでしょうね」

 須藤はまっすぐに見詰められて視線を逸らした。それでも松尾の視線はジッと須藤の顔に留まったままだ。

 「人類が築き上げてきた価値観である『人道』に添う行動が尊い意味を持つのは、その行為を見ている人間がいるからですよね? ゴキブリしか生き残っていない世界で、それは意味を持つんでしょうか? 宇宙の果ての時空の地平線に放り出された宇宙飛行士が、人道的に行動する理由が有るとは、私には思えませんでした」

 カックンという具合に車を停めた松尾は、エンジンを切るとステアリングに右手を乗せたまま身体をひねり、助手席の須藤の方を見た。

 「同様に・・・ 非人道的な行いを続けた結果、人類が生存を果たしたらどうなるでしょうか? 私は良心の呵責に苛まれて、自身の罪の意識に圧し潰されてしまうかもしれませんね。不浄で醜く人としての尊厳を失った、生きるに値しない何者か・・・に身を落とすことになるんでしょう」

 ほんの少しだけ、沈黙が社内を満たした。エンジンカットの後の数秒間だけ点灯するルームランプが、ジワジワと暗闇に飲み込まれる様にその輝度を失っていった。

 「主任だったら、どちらにします?」

 須藤は再び、自分を見詰める松尾の顔を見た。街の灯りが忍び込む車中にあって、松尾の表情は凛とした石造のように浮かび上がった。須藤はその硬質な表情に魅入られ、何も言えなかった。そんな彼に松尾は問う。

 「高潔で綺麗なまま後腐れ無く消え去りますか? それとも、醜く悍ましい姿を晒しながら何かを残しますか?」

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