十五年前・・・


 目の前で、周が拝むようにして跪いた。須藤は不快な虫けらを見るような眼で見降ろしていた。場所は新宿。大通りから数ブロック入り込んだ所にある、薄汚れた雑居ビルの一室。ジメジメとした雰囲気が漂う繁華街の裏側に、その醜悪さを凝集させたかのように佇む古い建物だ。いくつかの入居している会社は聞いたことの無いような怪しげな物ばかりで、それらの入り口はどれもが重苦しく閉じられたまま人の気配は無い。会社とは名ばかりで、叩けば埃が出るような業務内容に違いなかった。

 「頼むよ、須藤の旦那。娘と約束したんだ。授業参観には必ず行くってさ。それが終われば出頭するって約束するからさ。約束だよ」

 薄暗い室内で周の表情をハッキリと掴むことは出来なかったが、己の哀れさを演出しながら心の中でペロリと舌を出しているような印象が湧いた。そんな茶番に俺が騙されるとでも思っているのか? そう考えただけで、腸が煮えくり返りそうな思いがした。

 「ふざけるんじゃない、周。お前みたいなヤツの頼みを聞かにゃならん道理が何処に有る? 自分がこれまで、どれだけ多くの人に迷惑をかけて来たか考えたことが有るのか? もし考えたことが有るんだったら、どうして自分の願いだけは聞き入れて貰えると思えるんだ? そんな都合の良い話が有るとでも、本気で思ってんのか?」

 そもそも、何故俺がこんなチンピラを相手にしなきゃいけないんだ? いくら組織の資金源になっていると言ったって、こんな案件は二課の担当じゃないのか?

 「そ、そりゃぁ済まねぇって思ってる」

 この時代、捜査四課の担当領域はその様相を大きく変えていた。かつてなら暴力団関係の四課として知られていたが、日本に多くの外国人労働者が流入するようになって相手にすべき組織も変貌を遂げている。今の日本の闇社会は、従来からの暴力団に加え、中国系、東南アジア系の組織、更には、いわゆる不良グループがそのまま拡張したようなギャングが乱立し、混沌とした様相が須藤達の頭痛の種となっていた。

 須藤の目の前で姑息に這いつくばる周は、そういった時代背景に乗じて勢力を拡大している中国系マフィアの息が掛かっている。とは言えこの男は、マフィアの構成員とすら呼んでもらえないチンピラで、言ってみれば下請けや孫請けのような扱いだ。通常ならそういった類の仕事は、先に挙げたギャング達が引き受ける場合が多いが、ギャングはギャングなりの価値観で行動するため、時には飼犬が飼い主に咬み付く様な事態が起きる。それを嫌うアジア系組織では、同系列の人間を雇うことも多いのだ。

 「済まねぇだと? 済まねぇって言ったのか、今? じゃぁ、貴様が年寄りから巻き上げた金は今、何処に有る? 今の年寄り達は若い頃に年金を払うだけ払わされて来たんだ。ところが、自分達が実際に貰う段になったら、とうの昔に国の年金システムが破綻していたってことが明るみに出た。結局、貰えるはずの金も貰えず、七十五歳以上のジジババはサッサと死んでくれと国から見限られた世代なんだよ。そんな年寄りが細々と生きてゆくために、泥水をすする様に貯めたなけなしの金を騙し取って『済まねぇ』だと? 不良が子供のお小遣いをカツアゲしたのとは違うんだぞ、判ってんのか!?」

 「俺は・・・ 俺は言われた通りに動いただけで・・・」

 「だから見逃してくれと?」

 周の言葉を最後まで聞くことも無く、須藤は自分の言葉を被せた。言葉を失った周は、再び拝むようにして土下座の姿勢だ。

 「明日だ。明日の授業参観だけだ。お願いだ。一生のお願いだ」

 「ふざけるなっつてんだろ!」

 そもそも警察がここに目を付けたのは、ビルの管理会社が実体の無いダミー会社であることが判明したからだ。その架空会社の周辺を洗ったところ、同じ新宿区内で営業する中華料理店主が実質的なオーナーであることが判明した。その店は以前より、中国系マフィアの根城になっている疑いが有るとして監視の対象となっていたため、雑居ビルに入る会社も同様に捜査のメスが入ったのだった。

 須藤は周の襟首を掴んで無理やり立たせ、壁に向かって投げ飛ばした。家具が散乱する盛大な音と共に周はひっくり返ったが、直ぐに起き直ってまた土下座の体勢に戻る。

 「頼むよ、旦那。この通り。後は捜査に協力するから、お願いします」

 その結果、このビルの一室に頻繁に出入りする周の存在が確認された。その後の綿密な捜査によって、周が「オレオレ詐欺」まがいの手口で金を集め、マフィアの資金源となっていることが突き止められたのだった。

 周の卑屈な態度が、なおさら須藤の神経を逆撫でした。自分は捜査四課の刑事だ。ヤクザ相手に死線を乗り越えてきた自負が有る。なのに今、俺の目の前で跪いているこの男は何だ? 組織が活動資金を潤すために犯した、チンケな詐欺事件の使いっ走りじゃないか。俺はこんな小物をしょっぴく為に刑事になったんじゃない。須藤はその怒りを周にぶつけた。

 「協力する気なんか無くたって、ゲロ吐くことになるんだよ。てめぇはよ!」

 今度は胸ぐらを掴んで床に叩き付けた。するとその瞬間、須藤は周の上着の胸ポケット辺りに、何かが入っているのを感じた。何だ? チャカほどは重くないが、不思議な感触だ。違和感と言ってもいい。ドスとも違うような・・・。その時の周は、その胸ポケットに仕舞った物に気を取られているような仕草だ。

 「うぁぁぁ、しまったぁ・・・」

 そう言って右手を上着の中に差し入れた瞬間、須藤の鬼気迫る大声が響いた。

 「その手を止めろ、周ぅぅぅっ!」

 その声に驚いた周が顔を上げると、腰から抜いたニューナンブを構える須藤の姿が目に飛び込んで来た。あまりのことに周の動きが止まった。

 「悪いことは言わん。その右手に持っている物を静かに床に置け」

 「い、いや・・・ 違うんだ、旦那。これは・・・」

 「いいから、さっさとしろっ!!!」

 須藤の血走った目は、それが脅しではない事を教えていた。年寄相手の詐欺容疑とは言え周が所属するのは東アジア一帯に勢力を広げるマフィア組織とみられている。違法な武器密輸などにも触手を伸ばしているとみられ、無謀な反撃を試みてくる可能性は捨てきれない。

 周は床に膝を付いた体勢のまま、左手は上に掲げ、右手は内ポケットの中身をゆっくりと引き出した。そして怯える様な目で訴えた。

 「旦那、落ち着いてくれ・・・ これはそんな物じゃねぇ」

 「うるさい! 喋るな! 今度喋ったら、貴様の額に穴が開くぞ!」

 周の右手が甲まで露になった。指先はまだ上着の陰だ。そしてソロリソロリと指が姿を現し、遂にその指先が掴んでいる物が姿を現した。それは長い棒状の物に見えた。棒の長手方向に沿って縞模様の様なものが有り、その先はまだ上着の中だ。須藤は構えた銃の照準を周の顔面に固定したまま唾を飲み込む。

 何だ? あれは何だ? 薄暗くてよく見えないが、ヌンチャクの様な武器の類か? 周はその名前が示す通り中国籍だ。従い、日本人には馴染みの無い武器を所持している可能性は捨て切れない。そういった武器で殺害されたほとけは、凶器の特定を行う鑑識泣かせだと聞いたことが有る。須藤はこういった用心深さで、これまで幾多の修羅場を切り抜けてきたのだ。

 更に周の右手が引かれると、遂にその先端にキラリとした金属光沢が覗いた。そして次の瞬間、その金属部分が弧を描くような軌跡でスッと下に移動した。直ぐさま須藤は反応した。その動きから、彼はそれを鎖鎌のような中国系の武器と判断し、その滑らかな軌跡がそのままこちらに向かって伸びて来ることを察知した。


 パン、パン、パン・・・


 煙る硝煙の向こうで周が後ろに倒れた。火薬の匂いが鼻を衝く。手応えは有った。しかし須藤は用心深く、床に横たわる周に銃を向けたま素早くその横に移動した。そしてその体勢を維持したまま、周が握る武器を左足で蹴飛ばした。カサリという音を残し、その武器は周の手の届かない所へと滑っていく。しかしそれは、須藤の命を奪いかねない殺傷能力を持っているはずの武器にしては、なんとも拍子抜けの軽い音だった。須藤の足はその重さも殆ど感じなかった。

 須藤は素早くしゃがみ込み、周の首筋に左手を添えた。その間も右手の拳銃は周の頭に向けられている。脈は無い。胸に三発の銃弾を喰らった周は、痛みを感じる暇もなく絶命していた。周の死亡を確認して初めて須藤は大きく息をつき、そして安全装置を戻したニューナンブをホルスターに仕舞った。

 「ちっ・・・」

 被疑者を射殺してしまって、また課長にどやされるな。そう思い立って須藤は舌を鳴らして顔をしかめた。とは言え、元々この男は組の中でも最下層の人間だ。ただの現金引き出し役でしかない周は、おそらくこの詐欺事件の全体像は把握していないだろうし、捕らえても得る物は少ないに違いない。苦労が多いわりに実りの少ない獲物と言えたが、少なくとも詐欺グループ、ひいては須藤の担当する中国系マフィアの活動に限定的・・・ながら打撃を加える効果は有りそうだ。須藤は虚ろに天井を見上げる死体に一瞥をくれると、先ほど蹴飛ばした異様に軽い武器を確認しに、部屋の隅へと移動した。


 壁の前に転がっているそれを見付けた須藤は、その目をしばたいた。何度、目を凝らしてみても、それが何なのか須藤には判らなかった。そしてしゃがみ込み、手に取ってみる。

 それは金メダルだった。勿論、2020東京として国を挙げた招致活動に浮かれ騒いでいた、オリンピックで授与されるはずだった本物ではない。おそらく子供が工作の時間に作ったのだろう、段ボールを貼り合わせて厚みを稼いだ直径十センチほどの円盤だ。それには金色の色紙が貼られていて、油性マジックで兎の絵が描かれていた。円盤に空けられた穴に赤白青の三色に着色されたリボンが通してあり、首に掛けるための環を形作っている。須藤に投げ飛ばされた時に、周の内ポケットの中に有ったそれは変形してしまったのだろう。妙な具合にひしゃげた、いびつな形の金メダルだった。

 軽いはずだった。そして裏側には、子供のつたない筆跡で「メイファン」とあった。それがどういう意味なのか須藤には判らなかった。

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