第七章:金木犀の香り

 「ガセじゃないのか?」

 奈落の少年達が遊園地に来る理由が解せない。まさかジェットコースターに乗って遊ぶわけでもあるまい。都営三田線水道橋駅の階段を降りながら、須藤は後ろを振り返った。松尾は「さぁ、どうなんでしょう」という態度を、顔の表情と身体の仕草で表明した。

 後楽園遊園地周辺には複数の駅が存在するが、少年達が闊歩する地下へのアクセスに使えるのは、三田線の水道橋駅、大江戸線の春日駅、並びに南北線の後楽園駅である。丸の内線とJRは地上駅なのでそもそも地下への入り口とはならないし、後楽園駅は遊園地の反対側なので、一旦地上を歩いてから地下を通って戻ってくるような形になって無駄が多い。勿論、周辺のビル群には地下階を持つものも多く、そこからの侵入も可能な場合も有るのだが、その際はビル所有者に話を通す必要が有るなど、色々と面倒が多い。従って地下鉄の駅という公共の施設を使って地下に潜るという選択が最も無難なのだ。駅であれば、プライバシーだ、企業機密だなどと面倒臭いことは言わずに、通してくれる場合が殆どである。遊園地の北側へアプローチするなら大江戸線か南北線が便利だが、須藤達は南側、つまり水道橋寄りの三田線から進入を開始した。


 遊園地の最寄り駅とは言え、平日ならば人の出入りはそれほど多くはないと踏んでいた須藤と松尾だったが、今日は東京ドームで野球のナイターが有ることを見落としていたようだ。オレンジ色のメガホンを手に持ち、同色の法被を着た巨人ファンの親子連れやカップル、黄色と黒のコーディネートで決めた阪神ファンの老若男女が群れを成して地上に向かって階段を上って来る。中には球場に到着する前から『六甲おろし』で気勢を上げている若者の一群もいるようで、既にビールでご機嫌のようだ。

 その群衆に逆らうように、須藤達は階段の端の方を申し訳なさそうに降りて行った。

 「俺が子供の頃は・・・」

 人混みが上げる騒音に負けないように、後ろを歩く松尾に向かって須藤が大声を上げる。

 「後楽園球場ってのが有って、オヤジとよく試合を見に来たもんだよ」

 「それって東京ドームのことですか?」松尾も負けじと声を張り上げた。

 「いやいや、ドームが建つ前の話さ。さすがに巨人戦はチケットが手に入らなかったから、行けたのは日ハム戦だけどな。日ハム戦なんか、当日にフラッと来たって余裕で入れたもんさ。デーゲームなら外野席で横になって、日光浴しながら昼寝をしてるオヤジとかも居たなぁ」

 「日ハム!? それって日本ハムのことですよね? からかうのはやめて下さい、いくら私が野球オンチだからって、日ハムが北海道の球団だってことくらい知ってます!」

 「いや、だからさ、あの頃は日ハムがここにいたんだよ。ジャイアンツと一緒に。あの当時は規制が緩くてさ、試合中にコンロで直火を焚いて焼き肉食ったり、流しソーメンやったりする連中だっていたんだぜ」

 「そんなこと有るわけないじゃないですか。だってそもそも、日ハムはパ・リーグですよね?」

 「・・・」

 半端に知っている分だけ、かえって手に負えないというやつだ。明らかな疑いの目を向ける松尾を無視して、須藤は話題を変えることにした。しかしその前に、地下鉄の駅員に話を付けねばならない。須藤は改札横の窓から上半身を出している駅員を捉まえて、警察手帳を見せた。それを見た若い駅員は、「全て承知しています」というように頷くと身体を引っ込め、脇のドアから姿を現した。そして地下へと続く通路に案内を始めながら、須藤達に向かって世間話を始めた。

 「今日はジャイアンツ戦ですから、人が多いです」

 「あぁ、そのようだな・・・ あんた、何処かで逢ったことが有るかな? 警察への協力も、随分と手慣れた感じだが・・・」

 「私、ここに配属される前は新宿三丁目駅勤務だったんですよ。刑事さん達が地下に入る際のお手伝いをさせて頂いたことも有りますよ? 覚えていませんか?」

 「あぁ・・・ そうだった・・・ かな・・・ あの辺の新宿線の駅には世話んなっているからな。すまん、あんたの顔までは覚えていない」

 「ははは、お気になさらずに」

 駅員はそう言って、グレーに塗られた金属製の扉の前に到着した。そこには黒い字で「軌道連絡口」と書かれある。ここを入れば、地下鉄の線路内に立ち入ることが可能なのだ。駅員はポケットから鍵の束を取り出すと、そこから慣れた手付きで一つを選び出し、それを鍵穴に差し込んだ。「カタン・・・」という音と共にロックが外れ、駅員は二人を招き入れる様な体勢でそれを開けた。

 「すまんね」と言って須藤が駅員の前を通って、暗闇に足を踏み入れた。それから少し遅れて、松尾が「ご協力、感謝いたします」と言って続いた。ドアのところで二人を見送っていた駅員が声を張り上げた。

 「もしこの扉からお出になる時は、そこに有るインターフォンで呼び出して下さい! 駅員室への直通になってますので!」

 須藤は「あぁ、判った」という風に右手を上げ、上着のポケットから取り出した懐中電灯のスイッチを入れた。

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