第四章:モルモット

 「ジェイ! かくまってよ!」

 『J』の裏口から、リョータが転がり込んできた。店舗部分のソファに座ってマルボロを吹かしていたジェイが、大袈裟に驚いて見せる。

 「誰かと思ったらリョータじゃないか。今日はお濠の方に行くって言ってなかったっけ?」

 「うん。でも大人・・が・・・ 多分、巻いた・・・と思うんだけど・・・ じゃなく地下鉄のトンネルを使って逃げたんだよ。裏をかいてね。でもあいつら、には目もくれず追って来たんだ! まるで僕達の行き先を知ってるみたいだった!」

 入って来るなりまくし立てるリョータをいさめるように、ジェイは笑う。静かだった店内が、いきなり賑やかになった。

 「オッケー、オッケー、心配すんな。今日、マリアは出掛けてるから、ほとぼりが冷めるまでここにいたらいい。取り敢えずコーラでも飲んで落ち着け」

 テーブルの上に乗せていた足を降ろすと、ジェイはそう言って冷蔵庫の前まで歩いて行き、中からペットボトルのコーラを一本取り出した。

 「うん、ありがとう。だからね、僕達、お濠に行くのをやめて途中から穴に入ったんだ」

 「僕達?」ボトルを持ったまま振り向いたジェイは、リョータの後ろにもう一人、誰かがいることに気が付いた。

 「その子がカナエかい?」尋ねるジェイにリョータは頷いた。「フミオから話しは聞いてるよ」

 カナエはジェイを警戒するように、リョータの後ろから覗いている。その様子を見たジェイはクスリと笑うと、もう一度振り返って、冷蔵庫から追加の一本を取り出した。そして右足の側面で冷蔵庫のドアをバタンと閉めると、「ペプシでいいよな?」と聞いた。リョータは「うん」と答えたが、カナエは黙ったままだ。だって彼女は、ペプシという物の存在を知らなかったのだった。


 「追って来たのはいつもの奴らかい?」

 ジェイは先ほどまで座っていた席に戻り、再び煙草に火を点けた。リョータとカナエは、ジェイの前に仲良く並んでコーラを飲んでいる。シュワシュワと泡が弾けて、細かな水滴を放つ不思議な飲み物に、カナエは心を奪われているようだ。

 「そう。確かマツオって名前の女の人と・・・ あのオッサンの方は何て呼ばれてたっけな・・・」

 リョータが考え込むと、横からカナエが小さな声で言った。

 「シュニン・・・」

 「そう! シュニンだ!」リョータはカナエの顔に向けて人差し指を突き出した。「確かにそんな名前だった! ってか、変な名前だね、シュニンって」

 その時、カナエが大きな音でゲップをした。

 「げぷ~・・・」

 この歳でこんな生活をしているということは、炭酸飲料など飲んだことが無いのかもしれなかった。カナエは恥ずかしそうに頬を赤らめた。ジェイは笑いを堪えながら言う。

 「普通のジュースの方が良かったかな?」

 カナエは赤い顔のまま、黙って首を振った。


 カウンター脇に置かれた箱からは、聞いたことの無い曲が流れていた。リョータにとってそれは、不思議な魔法の箱だ。ジェイはそれをラヂオと呼んでいて、彼によれば電波という物に乗って音楽が運ばれてくるのだと言う。しかしリョータには、電波がどういった物なのか、まるでピンと来ないのだった。そもそも、音楽が何かに乗ってやって来るという言葉の意味が判らない。地下なのでその電波とやらの状態が悪いらしく、聞こえてくる音楽はガサガサとしたノイズにまみれていたが、大好きな音楽を奏でてくれるラヂオが、リョータは大好きだった。これさえ有れば、わざわざ秘密の場所 ──カナエと出会ったあの場所── に行かなくても音楽を聴くことが出来るのだ。

 その銀色の箱の横には丸いつまみが有って、それを回すと目盛りの刻まれた小窓の中で赤い棒が行ったり来たりして、その位置によって違う曲が流れてきたり、或いは人の声が聞こえてくるようになるのだ。箱の上部からは、ピカピカしてツルツルした鏡のような棒が突き出ていて、その角度を変えると音楽が聞こえやすくなったり、聞こえにくくなったりすることもリョータは知っている。更にリョータは、おそらく彼しか知らない ──リョータ以外はジェイしか知らないに違いない── 秘密を知っていた。それは、その箱から突き出た棒は、長くしたり短くしたり出来ることだ。彼の仲間の誰も知らない、そんな秘密まで知っているリョータではあったが、電波に乗ってやって来る音楽が、その箱の中にどうやって仕舞い込まれているのかまでは判らなかった。

 いつの日か自分の部屋にもラヂオを置きたい。そんな小さな夢を、いつかは叶えたいとリョータは思っていた。ひょっとしたらジェイが新しいラヂオを手に入れて、古いのが要らなくなったりするかもしれない。もしそうなったら、リョータは真っ先に手を上げるつもりだ。いや、今のうちに予約・・を入れておくべきか? でもそんなことしたら、いかにもおねだり・・・・しているみたいじゃないか。とにかくジェイがラヂオを新調するような素振りを見せたら、すかさず行動に出るべきだろう。その為にはジェイの動向を注意深く見守る必要が有るのだ。

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