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須藤と松尾は住吉町に向かって靖国通りを西に歩いていた。新宿署からであれば、新宿三丁目駅から都営地下鉄に乗って曙橋液まで一駅の距離だが、丁度二人は東京医大付近をパトロールしていたため、徒歩で直接行くことにしたのだった。タクシーを使う手も有ったが、この時代の東京都心は救いようの無い交通渋滞が蔓延っていて、事態打開の糸口さえ見つからない状態だ。動かないくせに排気ガスだけは垂れ流し続ける車列を横目で見ながら、須藤と松尾はただ黙々と歩くのだった。その二人をバカにするようにならされるクラクションが須藤を苛立たせた。
「それは確かな情報なのか、松尾?」須藤がとげとげしく問う。
「本部から降りてきた情報なので、取り敢えず信じるしかないですが・・・」
松尾は済まなそうに言葉を濁した。確かにそんな話を松尾に振ってみたところで、彼女が答えられるはずは無い。だが最近、どうしても払拭できないモヤモヤが須藤を捕らえて離さず、つい厳しい態度になってしまいそうな自分に気付くのだった。
「そりゃまぁ、そうなんだが・・・」
「合羽坂下の辺りだそうです」
「いや、俺が腑に落ちないのは、どうして本部がそんな細かい所まで知り得るのか、ということなんだが・・・」
松尾は困った風に顔をしかめるだけだ。
「そうだったな。君に聞いても判る筈は無いよな」
二人は曙橋駅に続く地下鉄の階段を下りながら、そんな会話を交わしていた。地下鉄は最も判り易い奈落への入口なのだ。須藤は駅員に警察手帳を見せ、捜査への協力を要請した。
「線路側への立ち入りの際はくれぐれも注意して下さいねぇ。センサーに反応すると、電車が止まってしまいますんでぇ」
空調の効いた駅員室から出てきた若い男は、二人を案内しながら、そんな風に釘を刺した。それから作業用通路へと続く鉄扉のロックを解除すると、二人に向き直って面倒臭そうに「どうぞ」と言った。言われなくても判ってるよ、という風に片手を挙げると、須藤はサッサと薄暗い地下軌道内へと足を進めた。松尾はそんな須藤をフォローするかのように、馬鹿丁寧に「ご協力、感謝します」と頭を下げてから、それに続いた。
それはいきなりだった。通過する都営新宿線の車窓から漏れる明かりが軌道の内壁をボンヤリと浮かび上がらせ、その薄明りを反射する子供の顔が暗闇にポッカリと浮かび上がったのだ。しかしそれは、須藤達から線路を挟んだ反対側だ。地下鉄の車輪が通り過ぎる合間に、途切れ途切れに覗く反対側の柱の陰に、その顔は有った。
須藤はすかさず松尾に合図を送った。彼女は須藤が指し示す方に視線をやると、通過する電車の向こうにそれを認めた。
「リョータです」
通過電車が上げる轟音によって、こちらの声がリョータに届くはずも無いのだが、松尾は心なしか声を潜めてそう言った。須藤にすら松尾の声は届いてはいなかったが、その唇の動きから彼女が発した言葉を理解した。二人は柱の陰に身体を潜め、電車が通過するのを待った。それが通過次第、リョータに向かって躍りかかる準備を整えたのだ。
しかしその時、リョータの顔がふいにこちらを向いて須藤と目が合った。電車の窓が通過するのに合わせて、上り軌道と下り軌道の間に等間隔で立つ柱の影が、右へ左へとメトロノームの様に揺れた。それに併せてリョータの顔も瞬く様に揺れている。彼は子供らしい笑顔でニコリと笑うと、サッと身体を翻して電車から漏れる明かりの届かぬ闇の中へと消えてしまった。
「クソ・・・ 見つかった」
須藤は呟いた。柱の陰から出た須藤は線路脇に立って、電車が通り過ぎるのを待っている。松尾はつい「危ないですから下がって」と声を掛けるが、それでも須藤は呆然としているかのように走り過ぎる電車を見送るのだった。
「・・・」
轟音と共に通り過ぎる電車を前にする須藤の背中に、そっと松尾の腕が伸びてきた。それは一瞬の躊躇いを見せたかに思えたが、意を決するようにして須藤の肩にポンと置かれた。
「主任、近過ぎます。危ないから下がってください」
「んっ・・・ あぁ、そうだな・・・」
松尾に諫められる様に安全な所まで下がった須藤であったが、下り電車が終わる前に上り電車がやって来て、結局、丸々二本の通過を待つ羽目になった。二本目が通過するや否や、二人が線路上に躍り出て、リョータが消えた暗闇に向かって駆け出したことは言うまでも無いが、時すでに遅しの感は否めない。最初にリョータの横顔を発見した時の高揚感は、二人を置き去りにして電車と共に走り去ってしまっていた。
「どっちだ? 下水管か、地下鉄か?」
「地下鉄です」
「どうして判るっ?」
「女の感です!」
リョータの姿を見失って三十分が過ぎていた。このままでは埒が明かないと判断した須藤が言う。
「松尾、本部に連絡を入れてみろ。何か情報を掴んでいるかもしれん。なんてったって本部様だからな」
「判りました。主任はその辺で少し休んでて下さい」
警察にとって地下鉄最大の魅力は、電話や無線機などの通信手段が地上と同じように使えることだ。それは駅周辺だけでなく、駅間の軌道上でも同じである。
「俺を年寄り扱いするな」
と言いつつも、軌道脇のケーブル類が通る側溝の様な部分の蓋の上に「よっこいしょ」と言って腰を下ろす須藤は、どう見ても体力的に厳しそうな雰囲気だ。それを横目で見ながら松尾はスマホを耳に当てた。
須藤は壁にもたれ、その冷たいコンクリートが体の熱を吸収するのを心地よく感じていた。地下鉄のひんやりした空気も、汗をかいた身体から熱を奪ってゆく。そして見上げる暗闇の中に、先ほど見たリョータの映像をプロジェクターのように投影してみるのだった。その時、須藤は初めて気が付いた。リョータの奥にもう一人、誰かの顔が有ったような気がする。誰だろう? まだ認識されていない子供だろうか? 須藤は上を見上げたまま軽く目を瞑ると、煙草が吸いたいと思った。禁煙を始めて随分と経つのに、まだ吸いたいのか・・・
「主任! 市ヶ谷駐屯地付近で動きが有るそうです!」
松尾の鋭い声が、須藤を現実に引き戻した。
「本当か? さすが本部様だな。まぁ、それがリョータかどうかは判らんが、とにかく行ってみるか」
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