そんな彼らをこっそり監視する目が有った。いや、正確には耳と言うべきか。見通しの効く屋外ではなく、細かく入り組んだ地下でこっそり覗き見るなどということは実質的に不可能だ。配管を伝って響くターゲットの声を頼りに、ジワリジワリと距離を詰めて行くしかないのだった。

 彼らは新宿署セグメントの合同チームである。普段は別々に行動しているSJ1から4の各セグメントが、無線で連絡を取りながら徐々に包囲網の網の目を狭めていた。

 「随分と賑やかだが、奴らは何やってるんだ?」

 「ありゃぁ運動会ですかね。楽しそうで何よりですよ」

 浮田と岩佐が無線を通して交わす軽口を、須藤はイヤフォンを通して聴いていた。

 SJ1からは岩佐と渡辺。この時点でのSJ2は須藤が一人だ。彼は捜四時代の名残りで、相棒を持たない単独行動が許されていた。そしてSJ3には浮田と林に加え、後に須藤の相棒となる新人の松尾が同行。SJ4は井ノ口と柏谷という布陣である。


 少年達が集まっている貯留槽からは、太いものだけでも八本の側孔が伸び、うち四本は貯留槽の床面と同じ高さに、残る四本は床面から二メートルほどの高さに開いている。直径五十センチ程のものまで合わせれば、その総数は十数個といったところだろうか。各側孔は更にその先で分岐を繰り返し、ここから離れれば離れる程、選択し得るルートの総数は指数関数的に増えてゆく。それらのうち、子供達がどこを伝って逃亡を図るかは刑事達には判らないし、勿論、真下の大貯留設備へと下る配管も存在していて、彼らが下層へと向かう可能性も捨て切れない。場合によっては上層へと動く事態も想定しておかねばならないだろう。

 このような状況で全刑事が一斉に踏み込んでしまっては、空いているルートを教えている様なものなので、最初はごく少数で突入することになる。そうやって、逃げる子供達を待ち伏せて確保するという手が用いられることが多い訳だが、この場合、刑事が待ち伏せているルートを彼らが選択するか否かは、殆どギャンブルに等しいと言えた。刑事達がいかに経験を積んで、少年達の行動を予測しようと努めても、決まって彼らは大人達の思惑の上を行き、いつだって驚くようなルートを使って消え失せるのだった。

 たとえ読みが当たったとしても、女性刑事が張っているルートに、成人男性に近付きつつある年嵩の少年が逃げ込んだ場合、首尾良く捕まえられるかと言えば、そう簡単な話ではない。とは言え、男女ペアの行動を基本としてしまうと、待ち伏せポイントの数が半減して確保効率が極端に低下するので、ギリギリの土壇場で各刑事は単独行動を余儀なくされているのだった。

 このような理由から、刑事達には護身用の拳銃の携帯が義務付けられているが、これまで奈落の少年達を相手にした発砲案件は発生していないし、これからも発生しないだろうと考えられている。


 「全員その場で止まれーーーっ!」

 「止まりなさい、あなた達!」

 事前の打ち合わせ通り、SJ3の三人が北側と西側の側孔から貯留槽へ躍り出た。しかし少年達が止まるはずも無い。無論、刑事側も少年達が大人しく言うことを聞くなどという幻想は抱いていなかった。

 「わーーーーっ!」

 蜘蛛の子を散らすように少年達が一斉に走り出した。右から左に走る者。逆に左から右に向かう者。彼らは、それこそ申し合わせたかのように無秩序に慌てふためいた。しかし、東に延びる側孔の奥で、真ん中の貯留槽の様子が僅かに窺える地点にまで前進して来ていた須藤は、警察を混乱させるために少年達がわざと無茶苦茶な走り方をしているように思えるのだった。その証拠にバラバラだった少年達の動きが一瞬にして纏まり、統制の取れた三つのグループにアッという間に分かれたのだ。バタバタと走り回っている(ように見えている)間に、彼らは何らかの手段で意思の疎通を図り、そして行動を決定したに違いない。


 一つのグループは南の側孔に逃げ込んだ。そこは幹線配管の一つで、当然ながら刑事が待ち構えている。少年達は、警察がこれほど大掛かりな連携行動をするとは思っていなかったのか、SJ1が手ぐすねを引いて待っている南に、まんまと五名ほどの少年達が消えた。

 二つ目のグループも同じく五名程度であったが、彼らは上を選択した。貯留槽の壁面にコの字に取り付けられた梯子を使い、スルスルと登り始めたのだ。

 「くそっ! あんな梯子が有ったのか!」

 こっちにはSJ3が対応中だ。

 「待ちなさい! あなた達っ!」

 「待つわけねーだろ!」

 松尾は新人ということでこの捕り物に直接の参加はせず、本部との通信確保にあたっていた。林が子供達に続いて梯子に取り付いた。

 「おばさん、滑るから気をつけろよーっ!」

 最後尾の少年が彼女をおちょくると、林はムキになって言い返す。

 「おばさんだとーーーっ! お姉さんと呼べーーーっ!」

 「無理しちゃダメだって。あはははは」

 少年は追手を気にする様子も無い。捕まる気持ちなどサラサラ無いのだ。笑いながら梯子の脇に空いている小口径管の側孔に手を突っ込み、そこに溜まっていたヘドロを掴み上げると、それを下から迫ってくる女刑事の顔に向かって投げつけた。

 「きゃっ・・・」

 梯子を掴んで両手の自由が効かない林は、そのヘドロをまともに喰らった。一瞬にして視界を失った彼女はズルズルと降下を開始し、その下から登って来ていた浮田の上にワタワタとだらしなく落ちてきた。

 「わっ・・・ 林、しっかりしろ!」

 しかし、さすがの浮田も彼女の体重を支え切ることは出来ず、一緒に床まで落下した。床に大の字になった浮田の身体の上に林がドサリと落ちて来て、虚を突かれた形の浮田は、胸が詰まってその目を白黒させた。とは言え大した高さから落ちたわけでもないので、二人とも無傷で済んだのは幸いだったのだろう。

 三つ目のグループは十名ほどの大所帯で、彼らは下へと移動を開始した。しかしそれは、下層の貯留槽への逃亡ではなく、刑事達が全く予期していなかった、謎のマンホールだった。

 「何ーーーっ! そんな所にもっ!?」

 比較的体格の好い林の下で、いまだにもがいている浮田がそう叫んだ。最初の一人が蓋を開けると、その穴に向かって子供達がどんどん飲み込まれていく。風呂の栓を抜いた時の排水口よろしく、水に浮かぶ髪の毛が吸い込まれてゆくのを見ているかのようだ。

 「都の下水道局は何をやってるんだ! あんな配管、何処にも記載がなかったぞ!」

 自分の上に乗っかったまま、戦意喪失して使い物にならなくなっている林を浮田が引き摺り下ろした頃には、既に子供達の姿は何処にも無かった。一種の静寂が訪れていた。「あぁ・・・」という林の情けない声以外には、もう何も聞こえない。


 其々のグループが上、下、南に逃亡したという事は、SJ2とSJ4の三名がが張っていた東はハズレ・・・だったということだ。獲物が罠にかからなかった三人は直ぐさま貯留槽に向かって駆け出したが、貯留槽に到達する頃には、林を介抱する浮田と本部との連絡確保に忙しい松尾の姿しか無かった。あっという間だった。

 SJ4の井ノ口が叫んだ。

 「ジョージはっ!?」

 少年達の中でも、リーダー格のジョージだけは決して逃してはならないターゲットである。彼はジョージの確保をより確実なものとする為、他のセグメントを支援するつもりのようだ。ヘドロをまともに顔に食らい、視界を失った相棒を抱きかかえている浮田は、南側の壁面に穿かれた側孔を指差した。

 「SJ1が張っていた方だ!」

 それを聞いたSJ4の二人は、ジョージの追跡を開始する。上手くいけばSJ1との挟み撃ちに出来るかもしれない。


 須藤はSJ4と共にジョージを追うべきか一瞬迷ったが、そちらには既に四名の刑事が対応している。やはり、南以外に逃げた少年達を追うべきだろうと考えた。とは言え、上に逃げた連中の通った配管は直径一メートルにも満たない中口径管だ。あそこを這って進んでも、彼らに追い付くことは不可能だろう。ここはやはり下か・・・

 「それにしても、こんな所にマンホールだと?」

 その時、須藤は気が付いた。このマンホールが行き着く先は、この貯留槽に続くポンプ室だ。間違い無い。そこなら自分の持ち場だった東の側孔を通って走れば、子供達よりも早く辿り着けるはずだ。ポンプ室に先回りできれば、下に潜った十名を一網打尽にできる。須藤は口早に浮田に説明すると、直ぐに東に向かって駆け出した。

 しかし、それを浮田が制した。

 「スーさん! 署に帰還せよとの命令だ!」

 想定をあまりにも外れた言葉に、須藤の脳はそれを理解することを拒み、一瞬、言葉を失った。

 「深追いはするなと本部から無線が入っている。(ひぐま)のリーダーを確保したら撤収しろとの命令らしい」

 本部との連絡係を務めていた松尾からの伝達だった。浮田は何の表情も顔に出さず、淡々と本部の意向を須藤に告げたのだ。須藤の心に言いようの無い怒りがムクムクともたげてきて、そして爆発した。

 「馬鹿なっ! 何を言ってる!? 奴らを根こそぎ確保する好機なんだぞ! 千載一遇のチャンスだ! 本部は現場のことなんか判っちゃいないんだ!」

 「たとえそうであっても命令は命令だ。言いたくはないが、職制的にはスーさんよりも俺の方が上役だ。これ以上の追跡は認めん。俺の指示に従ってもらうぞ、スーさん」

 その時、南側の側孔からSJ1とSJ4の合同チームが、確保した少年達四名を引き連れて ──一人はとり逃がしたようだ── 貯留槽に戻ってきた。その中にはリーダーのジョージが含まれていたのはお手柄・・・なのだろう。彼は不貞腐れた様に、明後日の方向を見上げていた。まるでそこに、己の進むべき道が有るかのように。そこに未来が見えているかのように。


*****


 リーダーであるジョージを失った結果、(ひぐま)が(からす)と(むじな)に分裂した。これが昨年末の大捕り物の顛末だ。総武線に揺られながら、須藤はそんな事を思い出していた。

 それまで新宿の子供達と言えば(ひぐま)を指し、その大きな図体は警察にとってみれば ──追うにしても監視するにしても── 与し易い相手だったのだ。それが小さなグループに細分化されたことで、警察側も力の分散を余儀なくされ、統制の取れた動きが取りづらくなってしまった。警察はあの事案を成功事例と捉えていたが、須藤にしてみれば大失敗だ。リーダーを確保したとはいえ、あの巨大なグループからたった四人を確保しただけなのだから。最初から近隣の分署に協力を依頼し、もっと大掛かりにやれば全員の確保だって可能だったはずなのに、まんまと十人をとり逃がしておいて、何が成功だ。大失態じゃないか。

 あの不自然な命令は、一網打尽にするチャンスを潰そうという本部の思惑だった。間違い無い。故意に邪魔をしたんだ。警察は本気で奈落を清掃・・しようとは思っていないのだ。須藤は今、そう確信していた。


 でも、だったら何故、少しずつ小出しにするように少年達を確保させるのだろう・・・

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