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駅で三人と別れた須藤は、彼らとは反対方向の西へと向かう総武線に乗って、ボンヤリと中刷り広告を眺めていた。仕事が引けて同僚達と飲んでいたはずなのに、仕事場である新宿まで再び戻って来て、そこ素通りして帰宅するのがなんとなく不思議な感じだ。新宿駅で快速に乗り換えようかとも思ったが、急いで帰る必要も無いし、まだまだ宵の口の人ごみに揉まれるのも億劫である。運よく空いた席に座れたので、須藤は各駅停車に乗ったまま自宅のある阿佐ヶ谷まで行くつもりだった。
「それに・・・」と須藤は思った。
松尾の口にした「奈落は子供達の受け皿」という発言が、彼の心をチクチクと刺激していた。ひょっとしたら、それこそが奈落を取り巻く状況の本質を言い表しているのではなかろうか。そう言われれば、心当たりが有るような気もする。
あれは去年の冬だったろうか・・・
*****
「行け行け行けーーーーっ!」
「わぁーーーーっ!」
奈落に歓声が巻き起こっていた。
「やっちまえーーっ!」
「タカヒローーーっ! 走れーーーーっ!」
「返討ちだーーっ!」
それはまるで小学校の運動会で徒競走に送られる激励や声援のようだ。
「負けるんじゃねーぞ! ソースケ! タカヒロなんてやっつけちまえっ!」
雨が降った時、特に局地的な豪雨の時には、奈落に様々な物が流れ込んで来る。無論、何が流れているのかをリアルタイムに知ることは出来ず、雨が上がって下水道内の水が引いた後に明らかとなるのだが。その多くは取るに足らないゴミの類が大部分を占めるわけで、猫の死体とか胸糞悪くなるような物だって混ざっている。だが時には
そういったゴミは文字通りゴミであって、おおよそ使える物など殆ど無いわけだが、奈落の子供達が心待ちにして止まない粗大ゴミが一つだけ有る。水が引いた後、子供達は我先にと寝ぐらから這い出してきて、それが流れ着いてはいないかとチェックするのだ。一番最初に見付けた者が、それを手にする権利を主張できるという暗黙のルールだ。
彼らが待ち望んでいる物、それは自転車である。電化製品とは違い、自転車は水没したくらいではその機能を失うことは無いし、たとえ壊れた部分が有っても素人なりに修理することが出来るというわけだ。
薄いベージュ色のママさん自転車にまたがるソースケが、黒っぽくてソースケのよりも車輪の大きな自転車を漕ぐタカヒロに体当たりを喰らわせた。それに合わせて、前部に取り付けられた自己発電のライトがグラグラと揺れて、湿り気を帯びた配管の内壁を浮かび上がらせた。二人はこの辺りの幹線配管を巡る自転車レースの真っ最中で、四周目、つまり最終ラップに突入していた。
「ハハハッ! 遅ぇよ、ソースケ!」
「うっせーーっ! この最終ラップで勝負だ!」
コース脇には他のグループのメンバー達も野次馬として観戦中だ。こういった不定期に開催されるお遊びは、地下に棲む彼らにとって欠くことの出来ない娯楽だ。それは、何の申し合わせも無く突然始まるのが常だった。
「オラオラ、モタモタすんなーーっ!」
「ぶちかませ―っ! ソースケ!」
「ぶっ飛ばせーーーーーーっ!」
無論、彼ら自身は知る由も無いことだが、観客達は警察によって(
最終コーナーを抜ける際、突っ込み過ぎて膨らんだソースケのイン側を突いて、一旦は先行を許していたタカヒロが前に躍り出た。最後の直線勝負だ。二人の駆る自転車は水飛沫を上げながら、ゴール地点に向かって突進する。待ち受ける(
「行けーーーっ!」
「わぁーーーっ!」
終いには、各自の声が混ざり合って一個の大きな声援の塊へと変化した。
「うぉーーーーーっ!」
ゴール間際にソースケが最後の体当たりを喰らわせた。タカヒロの自転車は一瞬だけ揺らいだが、身体も大きく体重も重い彼の身体はその攻撃を跳ね返した。自分の攻撃の反力をまともに喰らったソースケの自転車はコントロールを失い、その軌道が乱れたかと思うと、アッという間に転倒した。
水飛沫を上げながらゴール地点を通過したタカヒロに続いて、水溜りに倒れ込むようにしてソースケが滑り込んで来た。タカヒロはブレーキを「キキキッ」と鳴らしながら減速し、車のサイドターンのようにして停止したが、ソースケは水溜まりでひっくり返った格好で停まった。
「ガハハハハーーーーーーッ!」
ソースケは水溜まりで天を見上げながら、そのままの姿勢で大笑いした。肩で息をしながらタカヒロも笑う。
「アハハハハ。俺の勝ちだ、ソースケ!」
「くっそぉ! また負けた!」
潔く負けを認めたかに見えたソースケであったが、突然ガバリと身体を起こすと、このレースの審判兼進行役に向かって異議を唱える。
「今のはタカヒロの反則だろ!? ちゃんと見てたか、フミオ!?」
だが彼の主張は通りそうにもない。フミオはソースケに向かって「シッシ」と手を振りながら言った。
「ソースケのクレームによりビデオ判定を行います。シャカシャカシャカ・・・ ジャン!! 厳正なる審議の結果、勝者はタカヒロに決定しましたーーっ!」
「うぉぉぉぉーーーーっ!」
再び貯留槽が歓声で満たされ、タカヒロはガッツポーズを決めた。腰高の段差になっている作業用通路に腰かけていた観客の中には、そこから飛び降りてタカヒロとハイタッチを交わしている者もいる。ソースケは「くっそぉ」と言いながら、また水溜りに寝転がって大の字になった。
このグループのリーダーであるジョージは段差の手摺から出した足をブラブラさせたまま、ニヤニヤしながら勝負の行く先を見守っていた。その隣にはリョータがいて、更にその隣にシノブがいる。
「アハハハハ。負けを認めなさいよ、ソースケ! みっともないわよ!」
水溜まりで濡れ鼠のようになっているソースケを指さしながらシノブが笑うと、今度はリョータが叫んだ。
「そうだそうだ! かっこ悪いぞ、ソースケ!」
すると観衆の中から別の声が響いた。
「今度は俺だ!」ヒロシの声だった。
彼は観客席から飛び降りて水溜まりに歩み寄り、横倒しになっているソースケの自転車を抱き起した。
「次に俺と勝負するのは誰だ!?」
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