信濃町にある安い居酒屋で四人がテーブルを囲んでいた。雑居ビルの一階。道路に面した一連の店舗の右端に有る、昔ながらの赤提灯をぶら下げた大衆的な店だ。会社帰りのサラリーマンで賑わうこの店を訪れた三組の客のうち、一番奥に陣取っているのがSJ2とYY1の合同チーム・・・・・である。刑事事件を担当していた頃であれば、こんな風に同僚と呑む時間を持つことなど有り得なかったのだが、今では青少年の補導という任務である。それこそ公務員的・・・・に五時上がりでアフターファイブを満喫できるというものだ。しかしマル暴上がりの須藤にとって呑みといえば、捜査中に一人で食事がてら引っ掛ける軽いものを指し、このような同僚達とのいわゆる飲み会・・・が、何となく居心地が悪いのだった。

 須藤は長い間、相棒というものを持たなかった。それは警察内の規定というかルールからは逸脱している処遇だったが、若い頃の彼は敵にも味方にも容赦無く挑みかかる凶暴性を内に秘め、両刃のナイフのように周りの人間を誰彼構わず傷付けた。従って誰とも組まずにやって来たのだ。いや、組ませる相手が居なかったのだ。仕事は出来るが、人付き合いは出来ない一匹狼。そんなアウトローの処遇としては、他に選択肢も無かったであろうことは容易に想像がつく。

 そんな須藤が、今では少年達を相手にしている。あの当時、街で彼を見かける度に『冷徹の須藤』と言って恐れ慄いていた歌舞伎町界隈のヤクザ達は、今の須藤を見たらどう思うのだろう。しかも若い女を相棒にして。そう。松尾は須藤にとって初めての相棒なのだ。そして彼の年齢を考えれば、きっと彼女が最後の相棒となるのだろう。


 「ぶぅーーーーっ!」竹内が思わず口に含んだビールを吹き出した。「スタンガンですって!? おたくの課長、頭悪いんじゃないの? ウチのも酷いけど、SJのはもっと酷いのね!」

 ポッチャリとした体形で、ヒヨコ柄のエプロンでもしていれば保育園の保母さんのように見える竹内が呆れて言った。彼女は四谷署の生活安全課から、同署内のYY1に転属してきた経歴を持つ。松尾よりも少補対の経歴は長く、頻繁に共働しているうちに親しくなった仲である。松尾は一つ年上の竹内を姉のように慕っていた。そんな松尾が須藤に向かって大袈裟にため息をついた。

 「主任、何とかして下さいよぉ~。私、もう嫌です。あんなバカ相手に貴重な時間を浪費するのが耐えられません! 毎週の定例会議だって、課長が課長のために行う、課長の会議じゃないですかぁ。自分が偉そうなことを言いたいが為に召集される我々って、いったい何なんですか?」

 可愛らしい顔に似合わず既に三杯目のジョッキが空になりつつある松尾は、たいそうご立腹のようだ。まぁ、この赤提灯に来ている時点で、その心の内は女子と言うよりも、むしろおっさんに近いと見るべきなのかもしれないが。須藤は焼き鳥に七味唐辛子を振りかけながら、相棒の愚痴に相槌を打った。

 「まぁそう言うな、松尾。ああいう奴はどの世界にもいるもんさ。警察だけじゃなく、一般企業だって同じようなもんだろ」

 しかし、須藤のその発言を聞いて、彼の向かいに座る今枝が目を丸くした。

 「おいおいおい。スーさんも丸くなったもんだな。昔は新宿署の須藤が通れば、歌舞伎町の極道達が道を開けたもんだったが・・・」

 そんな昔話を持ち出してきた今枝は、竹内の相棒である。捜四で暴力団を相手にしてきた須藤に対し、今枝は捜一出身だ。捜査一課と言えば殺人事件などの凶悪な犯罪、つまり強行犯を専門に扱う部署で、須藤とはまた違った修羅場をくぐって来た男だったが、須藤同様、引退間際という年齢に達し外見上の凄味は影を潜めている。

 「大袈裟だよ、今さん。俺はただ、がむしゃらにやっていただけさ」

 今枝は笑いながら続ける。

 「そんな俺達も、定年前とは言え楽な仕事を仰せ付かったもんだな。俺は今でも時々思うよ。ホシを追ってた頃が懐かしいってな。スーさんもそうじゃないかい?」

 「い、いや・・・ 俺は・・・」

 「そっか・・・ そうだったな・・・ すまん、余計なことを言っちまった」

 そんな二人の様子を見た松尾は、須藤が若い頃の何か・・をいまだに引き摺って生きていること確信した。それは他人が、決して踏み込んではいけない領域なのだろう。お互いの昔を知る二人が、何だか妙な雰囲気になってしまったので、竹内は場を明るくしようと話題を変えた。

 「それより私、刑事部に異動してきて思ったんですが・・・ 奈落の子供達は、なんで十五歳くらいを上限として、それより年上の子が居ないんでしょうか?」

 竹内の提示する疑問に須藤も同意した。

 「そうなんだよ! 俺もそれが不思議だったんだが、誰もその理由を知らないんだよ! もし少年たちが奈落で育ってゆくんだったら、十七と十八とか、あるいはもっと大人の二十歳以上の奴らがいてもおかしくないだろ? 彼らは何処に行っちまうんだ?」

 それを受けて今枝も、日頃感じている疑問を口にした。

 「それもそうだが、警察が少年達を本気で取り締まろうとしているとは、俺にはどうしても思えないんだよなぁ・・・。本当に彼らを根絶しようと考えているんだったら、もっと違う手が有るはずだろ?」

 確かに、という風に頷きながら須藤が言葉を継いだ。

 「じゃぁ何かい? 今さんは、警察が少年達をあえて奈落に・・・ 何て言うんだろう・・・ 閉じ込めてる? そんな風に思ってるのかい?」

 「さすがに、そこまでは言わないけどね・・・」

 「強いて言えば・・・」熱く語り始めた老刑事二人に割って入ったのは松尾だった。

 「警察って、少年達が奈落に落ちてゆく過程には手を打てないじゃないですか。彼らって失策政治のあおりを受けて、経済破綻した社会から零れ落ちて来るわけで、それって警察がどうこうできる話じゃないですよね?」

 「そうだな」須藤は松尾に同意する。

 「ってことは、そういった少年達が発生するのは致し方無いとして、奈落は彼らの受け皿として機能していると見る事も出来ますよね?」

 「おい、松尾。君は随分と捻くれた見方をするんだな。じゃぁ君は、少年達を路頭に迷わすくらいだったら、奈落を存続させた方が得策だと、警察がそう考えていると思ってるのかい?」

 「そうは言ってませんが、そういう側面もあるのではと」

 「うぅ~ん・・・」そう言って考え込んだのは須藤だけでなく、その場にいた全員だった。松尾の言う側面を鑑みたとき、奈落に巣くう子供達には救いなど無いではないか。いったい我々は何をやっているのだ? 何をやらされているのだ?

 「いずれにせよ俺達がやっている事の裏には、何かが隠されているような気がするな。ただそれが何なのか、ヤクザ相手の仕事しかしたことの無い俺には皆目見当が付かないが・・・」

 重くなった雰囲気を変えたのは今枝だった。

 「この手の話は、SJ3のあいつ・・・」

 「浮田か?」

 「そう! その浮田が得意なんじゃないのか? あいつは知能犯専門の捜二出身だろ?」

 「私、知的でダンディーな浮田さんのファンです!」

 竹内が全く関係の無い話を持ち出し、重苦しい話題に終止符を打った。須藤は苦虫を噛み潰したような顔だ。

 「ケッ。浮田と協働するくらいなら、ウチのバカ課長の方がマシだよ」

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