「俺、フミオ。このグループでは一番年上で、今十四歳。お前は?」

 紺色のトレーナーに身を包んだ、リョータよりも年嵩の少年が自己紹介をした。

 「カナエ・・・」

 「カナエかぁ。何歳なの?」

 フミオの服は所々に開いた穴からほつれた糸を垂らしている。下はくすんだ緑色のジャージで、両脇に入った白線は、今は茶色く染まっていた。

 「よく判んない・・・ この前の冬まで三年生のクラスにいた・・・」

 「んじゃぁ・・・」そう言ってフミオは、爪垢の溜まった指を折って数えた。

 「まだ十歳かな。コイツはリョータで、同じ十歳だ」

 フミオがリョータの肩をポンポン叩いてそう説明すると、リョータが不貞腐れたように抗議する。

 「もう十一歳だよ」

 「そっか、十一か。悪い悪い」と言いつつ、ちっとも悪そうにはしていない。

 そこはリョータ達のねぐらだった。何に使われていたスペースか判らないが、地震か何かで崩れた壁の向こうに有ったその部屋を発見したのは、このグループのリーダー格であるフミオだ。下水道の一角にあった崩落した部分を掘り起こすと、ひびの入ったコンクリートが姿を現し、それを打ち崩した先に有る数部屋の地下室を見つけたのだ。勿論、彼が見つけた入り口は、今では巧妙なカモフラージュによって隠蔽されており、そうと知らない人間が見ても、まさかそこに地下室への連絡通路が有るとは思わないはずだ。

 彼らはその建物の全体像を把握してはいなかったが、それは非生産的だという理由で郊外に移転を余儀なくされた、とある大学のキャンパス内に建つ閉鎖された図書館だった。その敷地も徐々に開発・・のあおりを受け、かつての森に囲まれた学び舎の風情は損なわれつつあったが、この図書館はまだ辛うじて当時の姿を留めていた。地上階は、かつては学生達で賑わったであろう図書室の体であったが、その地下は閲覧用の書棚に並ぶことの無い本の書庫として機能していたに違いない。そのエリアの中央を走る廊下を挟んだ二部屋が向かい合う、計四部屋からなる地下一階である。史跡的な価値が有りそうな建物であっても、その地下階は後年に基礎部分の下に増築されたものが多く、地下室自体は無機的な事務所の様な雰囲気だ。各ドアの上には、部屋の名前などを書いた紙を差し込む樹脂製のホルダーが装備されているが、そこには何も入っておらず、今はただの透明なプレートが埃を被っているだけである。空っぽになった書棚が、人ひとりがやっと通れるくらいの間隔で並ぶ風景は、かつてはここが、脈々と受け継がれてきた人類の英知や理想を守るべき砦であったことを思わせた。ただし当の住人達には、そんなことを気にしている様子は一向に見受けられないのだったが。


 各部屋は六畳ほどの広さしかなかったが、下水道に比べれば天国と言えるくらいの恵まれた居住空間と言える。廊下の突き当りに有るトイレの上の階段を登れば地上に出られるはずだが ──いまだに大学が水道局に水道料金を払っているわけでもないだろうが、なんとそのトイレ、洗面所は今でも水が流れて使えるのだ。つまり、この地下室に住んでいる限り、飲料水の心配をしなくても済むのだった。それは、他の少年達のグループには無い、彼らだけの秘密の特権だった── 地上への出入り口は外側から施錠され、そこは下水道経由でしかアクセスできない隔離された空間となっていた。

 「俺たちの他に、ソースケとノボルっていう仲間がいて、二人とも十二歳・・・ だったと思う。今は食料調達に出てるから、もう暫くすると帰って来るよ」

 それを聞いたリョータが苦々しく言った。

 「歳なんて関係無いよ。僕達は兄弟でもないし、学校に行ってるわけでもない」

 「確かにな。カレンダーとかが有るわけじゃないから、自分の誕生日すら判らないしな。ひょっとしたらリョータ、お前まだ九歳とかじゃねーの? ばぶーつって。あははは」

 「歳なんて関係無いって言ってるじゃん!」

 ここで初めてカナエがクスリと笑った。フミオの軽口にご立腹だったリョータも、その姿を見て途端に機嫌が良くなった。フミオが以前『J』から貰って来たランタンの電池を、新しいものに取り換えながら説明を続ける。

 「奥の右側の部屋が俺の部屋。んでその向かいがこいつらの部屋なんだ。こいつらまだお子ちゃま・・・・・だから一人で寝るのが怖いのさ。だから三人つるんで寝てるんだぜ」

 またしてもリョータが突っかかろうとしたが、フミオの言うことがあながち的外れでもないので、言葉に詰まるリョータだった。電池を入れ替えたランタンのスイッチを押して、問題無く点灯することを確認したフミオは「よし」と言った。

 「この玄関部屋・・・・の向かいが空いてるから、カナエはそこで寝たらいい。毛布なら余分なのが有るし」

 しかしカナエは、そのフミオの提案に首を横に振って拒絶の意志を表した。

 「えっ。嫌なの? マジ? 一人じゃ嫌かぁ・・・ じゃぁ俺と一緒に寝るか?」

 しかしカナエは、またしても首を振った。

 「だよな。じゃぁこいつらと同じ部屋で良いのかい?」

 するとカナエは、黙ってリョータの傍に擦り寄って、彼の腕にしがみ付いた。その行動の意味するところは明白だ。リョータはびっくりしてシドロモドロとなった。

 「えっ・・・ あの・・・ 僕・・・」

 リョータが困ってカナエの顔を覗き込むと、その視線を避けるように彼女は顔を背けた。それでもリョータの腕に絡みつく自分の腕を離そうとはしないのだった。

 「えぇ~っ! そうなの~っ! マジかぁ!」

 フミオは大袈裟に驚いて見せると、意を決するように頷いた。

 「よし、判った。んじゃぁ、この部屋の向かいはリョータとカナエの部屋だ。後で本棚を動かして、スペースを確保しよう。大丈夫、他の二人には俺から伝えておく。心配すんな」

 別にソースケとノボルの事を心配しているわけではない。リョータが心配しているのは、カナエと二人で一つの部屋に住むことだ。それがいったいどういう意味を持つことなのか、これからどういったことが起こるのか、リョータにはさっぱり判らない。そんな戸惑いを感じたからではないだろうが、フミオがリョータに向かってちょっと真面目な顔を向けた。

 「リョータにはチョッと早いと思うんだが、こうなった以上、教えておかなきゃいけないことが有るんだ。後でリョータだけ、俺に部屋に来てくれないか?」

 「何の話?」

 「うぅ~ん・・・ 何て言うかな・・・ 女の子と一緒にいる時の注意事項・・・・みたいなもんかな」

 「注意事項?」

 リョータには何のことだか判らない。再びカナエの顔を覗き込むと、両目を見開いて首を振り、自分にも判らないと態度で示した。しかしその困惑気味な表情も直ぐに、リョータと一緒にいられる喜びの笑顔に取って代わられた。嬉しそうな笑みを湛えたカナエは、恥ずかしそうにリョータの顔を見詰め返した。

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