Jitoh-23:凄惨タイ!(あるいは、択一の刻/酢取らぁなアヴェントゥラ)


 次の日から、「特訓」がさも当たり前のように始まったのだが。


<神聖なる投擲は、神聖なる下半身に宿る……>


 水以上の得てはいけない何かを得たかのような、深海に潜む未だ発見されていない奇怪な魚のような(どんなだろう)静なるイキれっぷりを発揮し始めた鉄腕は、意気揚々と朝四時という非常識極まる時間にヘルパーさんのミニバンでやって来て、学寮内の、既に把握を終えていたらしい俺らの部屋にキュイイと電動車椅子を器用に操ってやって来るや否や、簡易的な鍵を苦も無く解除すると、


<……>


 寝てるベッド脇にて、叩き起こすというわけではなく、ただじっくりとねぶるようにその精密なる金属の腕を繊細なアプローチにて上下動させ、適齢期なる我々の就寝中の不可抗力によってそそり立っている威力棒をまるで熟練の絶技に精通したような巧みな指さばきにて精通させようとしてくるのであった……


 天国で地獄、という最悪の目覚めを寸でで回避した俺が、着替えて玄関まで来いという野郎の有無を言わせぬ命令に従ってしまったのは逆らったらヤバいという危機感からであるが、廊下に出た瞬間鉢合わせたのは、向かいの扉から同じようによろぼい出て来たJ ョナサン君であったわけで、その快と不快がないまぜになったような複雑な表情の巨顔を目の当たりにした瞬間、息子のJョージⅡ世君が暴発したのだろうな、とは直感で把握できたがそれ以上深くは立ち入らず、特にその絵面を思い考えることはやめた。


<キサマらに必要なのは、盤石たる足腰だ……限られた時間、まずはそこを徹底的に強化する>


 流石に日の出前には人影どころか猫の姿も見られない、取り囲む木々が本当に呼吸をしているかのようなさざめく呼吸音のようなハミングに包まれた広大な駐車場の一角に整列させられた俺と以下一名に、鉄腕は厳然たる軍曹のようにそうのたまうのであった。本日その改造車椅子の車高は普通に座っているくらいまで下げられていたが、それよりも気になるのは前部に取り付けられた、自転車の前半分のようなハンドルと前輪を有する追加装備アタッチメント……いやな、予感がする。


<走って走って下半身をとにかく厚くしろ!! 特に喫煙者、身体に染み込んだニコチンとタールを全部吐き流せ>


 箱根の山道に匹敵する、斜度もくねり方もきつい下り坂を、明らかに制限速度六キロ/時を超えているだろう、公道を走行していいのか分からないがとにかく結構な速度でカッ飛ぶ電動車椅子を左手側に装着されたジョイスティックみたいな操縦桿を指の間に挟んで操りつつその手で喋るという離れ業を見せながら、その前をのたのたと走る俺らのケツを、躊躇せずそのしなる鉄腕にて打擲してくるのであった……


 ひと昔前感のある練習風景だったが、適度に清浄な湿度を含んだ緑の中の空気を性急に肺に出し入れすることによって、不安になるほどに頭は冴えキマっていく。崖寄りギリギリに申し訳程度に引かれた歩道と車道を区切る白線の上を、下手するとガク折れてしまいそうな両膝をだましだまし細かな体重移動で前後左右に負荷を散らしてスっこけないように注意しつつただ足を交互に出すことに注力していると、視界が狭まるような急激な「無」みたいな時空間が自分の脳内に展開してくる。


 禅のような感じ、と括ってしまうのもなんだが、意識が脳から離れていくにつれ、身体に感じるしんどさも遠のいていくような……時間にしてどのくらいだったかは分からない。距離にしては橋の近くまでいつの間にか来てるからおそらく五キロくらいか。あっという間だったな……あれ他の奴らはと思い振り返ると、だいぶ後方にのたのたとその巨体のくねらしほどにはこちらに接近してきていない、スポーティなタンクトップとランパンという走るに特化した格好をしてきたものの色のチョイスが双方白一色だったために往時の大将よりも大将感を醸した輩が、尻に打擲を受け過ぎてバグったか衝撃を受ける度に上げられる野太い悲鳴の語尾にアフンという鼻にかかったような艶めきを徐々にまぶしつつ息を荒げながら迫ってくるというなまじの悪夢よりもナイトメア指数が高めの光景をこちらの網膜に灼き付けようとしてくるので静かに目を逸らして呼吸を整えることに専念する。まだ肺の奥がぴしり痛みを訴えてはくるが、身体を動かすってのは案外気分がいいな……


 そこから今度は河原の砂利ばったところを連続ダッシュさせられ、膝も足首も馬鹿になりそうなところで上半身のワークに移り、わざわざ川の水面に顔を漬け込む腕立て伏せなんかをやらされているところでようやく俺はいったい何をやっているのだろうとのもっともな思考がぷこりと立ち昇る。が、


<このクソカスどもが!! さっさと動け!! ××穴を××××してやろうかッ!?>


 だんだん軍曹感が増して来たよなこいつ……たぶんこういうのに憧れてたんだろうね、相変わらず弛緩した顔をだらりとさせてるけどその濁った眼が心なしか鈍く光を放っておるものね……


 来た道をまた走らされるが今度は上りだ。単純に心肺ともう重く固まってきた太腿につらい。無心になろうとするものの、先が見えているつらさってのは精神にくるよな……だが無茶苦茶に運動するってのは何かやっぱいい……とか思っていられたのも最初のうち(ここまでが本当に『最初』だった)だけであり、


 山道を走り廻され、行く所々で公園の遊具を使った地味な筋トレやらを強いられながら、とにかく身体を酷使するのが目的らしく、野郎は一向に手を緩めようとはしないのだが。初日からこれだと流石にツブれっちまうよぅ……


 日はとっくに昇り切り、陽光はざわめく葉の滴を反射してそれは美しいものの、それでこの身体の痛みと倦怠感が収まるわけでもねえよなあ……


 そろそろ足元が覚束なくなってきていた俺らが辿り着いたのは、ん? 昨日来た小学校じゃねえか。日曜だから正門は当然閉まっていたが、その前にスエット姿で寄っかかる人影と、車椅子にぴんと背筋を伸ばして座っている人影が。


「おつかれやで~、はいはいレモンの蜂蜜漬けや、いやん何かこんな青春チックなやつやってみたかったん、なんかええな~」


 歌うような感じで声を投げかけてきつつ、なんでか上機嫌の国富(今日は頭にレモンイエローのバンドみたいなのを付けてデコを露出しているが何か新鮮でどきっとする)が、何かいい匂いのするタオルをまず自分の首から外して俺のだらだらの顔を拭ってきてくれるのだが……けっ、分かりやす過ぎるアメと鞭かよしょうもねえ……なんてことは勿論思わずに、されるがままになって、これじゃ荒げた呼吸と脈動がいつまでたっても収まらねえとか詮無い思いに囚われていきそうになるが、傍らのエビノ氏(今日は亜麻色髪を後ろでポニテ風に括っているが厳然と新鮮で厳然にどきっとする)の、あ私も黒酢とりんご酢合わせた特製ドリンク作ってきたんです、の言葉に色めきたったJョセフ君とその至高の甘露を奪い合うように身体を張ったディフェンスでお互い相手を押し出そうと四苦八苦していたら、はいレモンちゃんやで、と国富が何故か寒気を感じさせる満面の笑顔でプラフォークに刺した輪切りを差し出してくるけどそこは口じゃあなく俺の左眼球ですよ?


 ともかく一息入れて、体育館の一般公開時間までその辺の地べたに寝そべり体力の回復を図ってのち、いよいよボールを使っての練習が始まったわけだが。


<一秒間に……十回の投球ができるようになれ>


<つぎは十分間球を投げ続けて、十分間球を投げられ続けろ>


 意図がまったくもって分からない、周囲の小さなお子たちを引かせるだけの反復運動をさせられるだけなのであった……


 そんなこんなで始まったこの特訓……こんな感じで六週間も保つのか非常に不安ながらも、頂点を目指す俺らの挑戦は始まったのであったが。

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