ショク

「──きみ」


 呼び声に振り返ると、病室の入り口にひとりの少年が立っていた。

 身体の線の細さや色素の薄さ、肩近くまで伸びた髪もあいって、ボーイッシュな少女にも見える。実際、造り物のように端正な顔も、少女のようにあどけなかった。

 そんな顔と同様に、やはりあどけなさを残していたものの。それでも確かに変声期を終えているのであろう、甘く掠れたテノールが、彼がであるらしいことを端的に示していた。


「……」

 記憶の糸を手繰り寄せてはみるものの、しかし僕は彼にてんで見覚えがなかった。

(こんな綺麗な子、一度見たら忘れないと思うんだけど)

「? おーい」

 見えてる? と問われ、僕は「あぁうん」とたどたどしく頷く。

(不思議な色の目だな)

 漠然とそう思った。

 光の加減や角度によって、赤みがかっているようにも、緑がかっているようにも見える瞳。

 全体的に浮世離れした美しさを持つ彼にあって、その瞳はとりわけ印象的であるように感じられた。

(アレキサンドライト、だっけ)

 確かそんな特徴を持った石があると、図鑑か何かで読んだことがあるような気がする。

 眺めているだけで魅入られて、どこか別の世界へと連れて行かれてしまいそうだ。

「あ、もしかして。俺に見惚みとれちゃった、とか?」

 揶揄からかうような笑みを浮かべる彼。

 やはりその一挙一動は、初対面にしてはどうも妙に親しげだ。

 一足飛びに懐に飛び込んでくる遠慮のなさ。

 豊かな表情を彩る、あかみどりの入りじる不可思議な色の瞳。

 勿論彼の容姿が中性的かつ美しいことは疑いようもないのだが、彼を蠱惑的コケティッシュに見せているのは、むしろその振る舞いによる部分が大きいだろう。

 見惚れていなかったと言えば嘘になってしまうかもしれないが、しかし僕は慌てて首を振った。

「ふぅん、そう?」

 まぁ俺はどっちでもいいんだけど、と彼は一旦言葉を切った。

「あの、君は──」

「俺はレイ」

 誰? と僕が問いを紡ぐ間に、彼は簡潔に名乗った。

「名字は、そうだな……月隠つごもり、とでもしておこうか」

「レイ、くん?」

「そ。あ、でもくん付けはなんかだな。レイって呼んで」

「レイ。きみは、もしかして?」

「んー。そうとも言えるし、そうでもないとも言える、かな」

 どこかはぐらかすような口調だ。

「見覚えは……ないだろうねぇ」

「……ごめん」

「いや、君が謝るようなことはなにもないさ」

 彼は鷹揚に首を振る。

「なにせ、こうしてようになったのも、つい最近のことだからね。そういう意味では、確かに俺も新入りと変わりないさ」

 何やら含みのある言い回しだな、と思った。

 明らかに歳下に見える彼の物言いは、良く言えば妙に大人びている。……悪く言えば、どことなく不遜というか、芝居がかっているというか。

「ま、だからこうして皆に挨拶して回ってるってワケ」

「……」

 よろしく、と差し出された手に咄嗟に手を伸ばしかけて、しかし僕は戸惑う。

「あぁ」

 得心がいったように彼は笑う。

「『不必要な接触は控えること』、『自分以外の病室に立ち入る場合は原則職員スタッフを同席させること』、だっけ?」

「……うん」


 この病棟にいる子が抱える病気はさまざまだ。そう聞いている。

 しかし、ここでは病名や特性を理由にしたヒエラルキーやいじめの発生を危惧して、極力患者こども同士では病気のことを話題に出さない決まりになっている。


 だからこそ。

 もし、患者こどもの誰かと迂闊に接触したり、ふたりきりになったりしたとして。その誰かが、極端に免役力が低かったり、骨や組織が脆かったり、あるいは精神的に不安定であったりしないという保証はない。傍目に見てわかりやすい子ばかりではない。

 例えば、今。求められるがままに、彼と握手をしたとして。それをきっかけに彼が重篤な感染症を起こしたり、握ったその手が僕の手の中で砕けたり、握手をするフリをしてそのまま隠し持っていた凶器で──あるいは素手でありながらも、想像だにしない膂力で──危害を加えられたり。そういったことが起こらないという確証もまた、ない。


 ゆえに、そういったトラブルを未然に防ぐべく、患者こども同士が身体的に接触することも、談話スペースでもない誰かの部屋でふたりきりになることも、基本的には禁止されている。

 それがこの病棟における、ルールでありマナーなのだった。

 まして、多少なりとも気心が知れている間柄ならまだしも、僕と彼とは初対面だ。当然、警戒もする。


「……ルールでありマナー、ねぇ」

 宙に彷徨わせたままになっていた、逡巡する僕の手を、彼は掴まえた。

「な、」

「良いじゃん、別に」

 思わず硬直する僕に、彼はなおも語りかける。

「そういうの、あくまでそうってだけでしょ。ただの挨拶に、誰も目くじらなんて立てやしないって」

 僕のそれよりも、一回り小さな手。おずおずと握り返してみても、それは砕けることはなく確かにそこにあった。

 しなやかで柔らかい。やはり華奢だな、と思う。日焼けしていなくて病的に生白いのは、僕も同じなのだけれど。

 その感触を確かめながら、僕はゆっくりと息を吐いた。


「そういえば君、いくつ?」

「十七。……多分、だけど」

 答えがどこか心許こころもとないのは、長すぎる入院年月ゆえに、それで合っているという自信がなかったためだ。

「ふぅん。そろそろもうって感じの歳じゃないね。ま、俺も大概人のことは言えないんだけどさ」

 あっけらかんと良い放つ彼に、少し腹立たしく思いながら問い返す。

「そう言う君は何歳なのさ」

「あは。……何歳に見える?」

 妙になまめかしいような、それでいてやはり揶揄からかっているような、なんとも言い難い表情で、彼は僕に問うた。

「や、そうは言っても僕より歳下でしょう。……そうだな、十五歳ぐらい?」

「ふぅん。……そう見える?」

 からからと彼は笑う。

「え。違った? もしかしてもっと下とか?」

「いや? まぁ当たらずとも遠からずだよ。そういうことにしておく。それにしても……ふふ、十五歳、ね」

「な、なんだよ……」

 何がおかしいのか、やはり笑い続ける彼に、僕は思わず少しむくれてしまう。

「んーん? なんでもないよ。……ふふ」

 ……。

 なんでもなかったら、こんなにもあからさまに面白がっているような反応はしないと思うのだが。

「ねえねえ、それよりもさ」

 彼は興味深そうに僕の顔を覗き込む。

 そうして一段階声のトーンを落とすものだから、いったい何を言うのだろうかと思えば。

「……好きな子、とか、いたりする?」

「は」

 予想外の方向からの問いに、僕は思わず動きを止める。

「そ、そんなの、……なんで初対面の君に言わないといけないのさ」

 咄嗟に取り繕いにかかるが、自分でもわかるほどに、声にも動揺が滲み出ていて。

「……へぇ。ふぅーん?」

 いるんだ? とにんまりと笑う彼。不可思議な色の瞳がきらめく。

「……ふふ。その反応。いいね、まさにって感じで」

 顔を背けて、僕は「ああもう」と頭を掻いた。

「言っておくけど。別に、……す、好きとか、そういうのじゃないから」

 余計なこととはわかっていても、つい言い訳がましく言葉を重ねてしまう。

「ふぅん?」

「も、もういいだろ。このことは終わり」

「えー」

 彼はわざとらしく頬を膨らませて抗議してみせた。……あざとい。

「レイ。君こそどうなのさ?」

「あー、それ訊いちゃう?」

「不公平だろ、僕ばかりイジられるの」

 彼は一転して思案顔になり。またしても爆弾を落としてみせた。

「うーん、は何人かいるかな。……も含めて」

「は?」

 どう反応したらよいものかと戸惑う僕とは対照的に、ニンマリと笑ってみせて、彼は続ける。

「ほら俺、君ぐらいの年頃の友達いないからさ。単純にのもあるけど、それにしてもこの性格だろ?」

「あぁ……確かに」

 それこそ最近まで病室の外を出歩くことすらままならなかったらしい彼に、人間関係や色恋沙汰にまつわる問いを投げかけるのは少々こくだったかもしれない。……今回の場合、彼自ら話を振ってきているので、自業自得と言えば自業自得なのだが。

「確かにって」

 わざとらしく傷付いたような顔を作ってみせるレイ。

「あぁ、そういう意味じゃないんだけど。まぁでもそうだね、してるよ、レイ」

「だろ?」

 切り替え早いな。

「……。僕が言えたことじゃないかもしれないけどさ。君、どうも一言多いというか、なんというか……」

 わかっていたことだが、捉えどころがない子だ。良くも悪くも。

 彼は両手を軽く広げ、やれやれと首を振る。

「気を悪くしたなら謝るよ。俺、どうもそういう性分みたいでさ。でもまぁ、良かったら仲良くしてよ」

「はいはい」


 そうしてしばし適当にあしらっていると、彼は不意に「あ」と声を上げた。

「レイ? どうかした?」

「いや、……うん。少し話しすぎたかな。そろそろかも」

「え」

 確かに、話し込んでしまっていたかもしれない。挨拶と言い訳するには、少々苦しい程度には。

「や、君まで巻き添えにするのは、さすがに俺も寝覚めが悪いな。はこれぐらいにさせてもらって、そろそろ侵入者おれは退散することにするよ」

 彼はそれだけ言って、ひらひらと手を振った。

「ま、今後ともよろしく頼むよ。またね、

「え。あ、ちょっと待っ──」

 呼び止めようと思ったときには、既に彼は姿を消していた。


(……結局、

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