欺瞞の匣と蛇の夢

宮代魔祇梨

焦がれる空

 病室の窓から見える景色が、僕のすべてだった。

 外の世界を、僕は知らない。


 もう随分と長い間、ここにいる気がする。

 小児病棟。

 病を抱える子供たちが集められた病棟の一室で、僕は暮らしている。

 そう、と言うのが正しいだろう。

 勿論、僕は病気を治すために入院している。本来の家は病院ここではない。

 そう。わかってはいるのだが。

 病院ここで生活してきた時間は、あまりにも長すぎた。

 一年や二年の話ではない。とっくに数えることをやめているが、五年、十年、……いや、もっとか。

 ここに来る以前の記憶は、正直もはや曖昧だ。

 家族の顔さえ、もやがかかったように思い出せない。

 それもそのはず。どうやらこの病院は相当な僻地にあるようで、家族が面会に来るだとか、一時的に家族のもとへ帰るだとか、そういった機会には、とんと恵まれなかった。

 これはなにも僕に限った話ではなく、他の患者こどもたちも一様に同じだった。

 申し訳程度に手紙が届くことはあっても、それらにも当たり障りのないことしか書かれていない。

 ──会いに行けないことの詫び。

 ──長い入院生活や治療の一部は時につらいことも多いだろうが、貴方ぼくの身体や命のために必要なことだ。少しずつではあるが、快方へ向かっていると聞いている。だからもうしばらくの辛抱だ、という子供騙しめいた激励。

 ──良くしてくれる職員スタッフにはくれぐれも感謝を忘れずに、あまり困らせるようなことはせず、他の子供たちの模範となるような行動を心掛けるように、という安っぽいお説教。

 送り主であるらしい両親の人物像であるとか、外の世界のようと言うべきものであるとか、そういったたぐいの物事をそこから推し測ることは難しかった。

 世間の流行であるとか、都市における“普通の人の日常”というものはどのようなものかだとか、そういった他愛のない情報にこそ、僕たちは飢えていたのだけれど。

 陳腐な定型文しか記されていない紙切れなど、何枚送られてこようがさしたる価値はない。少なくとも、僕たちの興味を惹くものではなかった。

「……」

 んだ気持ちから少しでも逃れたくて、窓の外へと目を向ける。

 ちっぽけな僕の世界病室。その外は、僕にはどうしようもなく魅力的に見えた。

 窓の外には、今日も青空が広がっている。


『ここには本当に色んな子がいるから。……ごめんなさいね』

 そう言っていたのは、誰だっただろうか。

『少しだけでも開けられたらいいんでしょうけれど、身体の小さい子が通り抜けたり挟まったりと、思わぬ事故の元になるから。5階から落ちでもしたら、まずただでは済まないし。……それに、外の空気に子もいるからね』

 だからこれは仕方のないことなのよ、と、その誰かは困ったように笑っていたっけ。

 この病棟の窓は開かない。構造上、そもそも開くようにはできていない。

 確かに、年少者ちびたちは突拍子もない動きをする。年齢に関係なく、精神的に不安定な子もいる。それが偶発的な事故であるにせよ、ある意味意図的自殺企図であるにせよ、そうした危険の芽を取り除く意味で、全面嵌め殺しの窓には一定の合理性があるのだろう。

 ……換気空調システムが完備されているとはいえ、閉め切られたいち病棟が、空気の清浄さで外のそれに勝るかもしれないというのは、僕にはどうにもいまひとつしっくりこなかったが。


 眼下に広がる野原は緩やかな稜線を描いて、ちょっとした丘を形作っている。草木もぽつぽつと生えており、やや遠くには山も見える。

 有害な汚染物質を出すような工場も、廃棄物処理場も、特に見当たらない。……というより、窓から見渡す限り、他の建物らしきものは視認できない。

 道路はあるが、車通りはまばらだ。1日に片手の指で足りる程度しか通らない。

 人通りは、ないと言ってしまっていいだろう。

 単なる片田舎であれば、もう少しばかり車が通ったり、まとまった休暇の時期には観光客らしき人々の姿が見えたりしてもおかしくないはずなのだが、僕は生憎とそれらしい光景を目にしたことがなかった。景観が良いことは──比較対象を持たない僕の主観に過ぎないとはいえ──まず間違いないのに。

 だからきっと、ここは余程の僻地にあるのだろう。……少なくとも、家族がそう易々と面会に来られない程度には。



「まるでサナトリウムみたいだ」

 そう言っていたのは、果たして誰だっただろうか。


 サナトリウム。

 長期療養を必要とする人のための、治療施設とは名ばかりの療養所。


 古くは結核。

 それがまだ不治の病と目されていた頃に、として、清浄な空気を吸える環境の療養所で過ごしたのだという。しかし有効な治療薬があったわけでもない時代、そんなものはただの気休めでしかなかった。

 治る見込みなどあろうはずもなく。来るべき死を、ただそこで待つ。

 ──その死が、少しでも先でありますように。

 ──その死が、少しでも緩やかでありますように。

 ──その死が、どうか穏やかでありますように。

 ──その死が、どうか安らかでありますように。

 ただ、そう乞い願うのみで、死という結末に変わりはない。

 不治の病とは、往々にしてそういうもので。結核菌に侵された彼らにとって、死の影は、さしずめ隣人のようなものであったらしい。


 やがて治療法が確立され、治癒率が高まった結果。結核は、不治の病とまでは言えなくなったわけだが。

 以後も『サナトリウム』という言葉は、長期療養施設を指して使われてきた。

 中でも、特に代表的と言えるのは──精神病棟だろうか。

 ……こちらもどことなく陰鬱というか、穏やかでないと言うべきか。どこかかげのあるイメージがついて回る。


 ここを「まるでサナトリウムみたいだ」などと言ってのけた彼だったか彼女だったかは、果たしてどちらを想像していたのだろうか。それを推し測ることは、もうできないのだが。


 景観だけは良い、世間から隔絶された辺境の地。

 いつ終わるとも知れない、長期に渡る療養生活を送る患者こどもたち。

 ……快方へ向かうという確証さえ得られない、僕たち。

 ……なるほど。この場所は確かに、ある種サナトリウムと言えないこともないのだろう。


 家族から口減らしに売られただとか、未認可・非合法の治療の実験台にされているだとか、そういったいささか突飛にも思える噂話にも事欠かないのは、小児こどもの想像力や話好きゆえなのか、あるいは閉鎖的な環境の病棟がそうさせるのか。

 なにせ、この病棟では、できることが限られている。おおよそ娯楽と言い表せる類のものが、極めて少ないのだ。


「……」

 ふ、と息を吐いて、眼下の景色に目を細める。


 広大な野原を、思い切り走ってみたい。

 青い空の下、外の空気を思い切り吸って、この肺腑を満たしたい。


 我ながら、なんともささやかな願いだ。しかし、病室ここではそんなことさえ叶わない。

 うってつけの光景が、窓の外すぐそばに広がっているというのに、決定的でどうにもならない隔壁が僕を阻む。

 もどかしくて仕方がなかった。


 外の世界に、どうしようもなく焦がれるけれど。

 嗚呼、なのにこんなにも、空の青さが忌々いまいましい。


 ──いつか、きっと。


 そう思うことでしか生きる希望を見出だすことができない、そんな無力な自分がいっそかなしくすらあった。

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