2 Ride

透明エア、まだ食うのかよ」


「――ロ、ロ」


「わかったって」


 鉱物の池の氷を囓り、牛を二頭たいらげたばかりの大きなドラゴン――エアは鼻を鳴らしながら小さく鳴いた。

 溜息を吐きながら、持っていた丸鶏を口に放り込む。

 エアは、数匹の丸鶏を食べるとやっと満足そうに「ロン」と鳴いて目を閉じた。

 こいつと会ってから半年、体の割には小食なこのドラゴンは大きな問題を起こしていない。最初は警戒していた兄貴と親父もすっかり安心したのか、控えていた王都への遠征も再開するようになっていた。

 二人は先月から大型のドラゴンを駆除するために家を空けている。

 でも、寂しくはない。エアと毎日顔を合わせているお陰だ。今では多少意思疎通を出来るようになった。エアは飯をねだるときは、琴の弦を弾いたような音で返事をする。

 小食なのは、ほとんど動かないからかもしれない。

 病気なのかもしれないと、体を見て歩いた時もある。しかし、こいつは規格外のドラゴンだ。

 何が異常で何が普通なのかもわからない。下腹部が少し不自然に膨らんでいる気がするけど……脂肪か、栄養を蓄える器官なんだろうか?

 両翼の飛膜は薄いがしなやかで、張りがある。翼を支えている肢骨は先端が鋭いかぎ爪の形をしているが、研がれていないのか先端が丸まっているから触っても怪我をすることはない。

 乳白色の爪は、触ってみるとほんのり温かい。


 兄貴と親父が様子を見に来たときは、珍しく牙を剥いて、地鳴りのような音を出して唸ったものだから肝を冷やしたが……そのお陰で、こいつの世話は俺に一任されている。

 透明エア……初めて見たときはそこにいると気が付かなかった。静かに寝るだけのドラゴンに俺はそんな名前を付けた。

 名前を気に入ってくれたのか、何度も呼び掛けながら世話をしている内に、短く「ロン」と鳴いて返事をしてくれる。


「お前を見た時は自然の名を冠する龍グランドドラゴンだと思ったけど……大きいだけですごい力とかはなさそうだもんな」


 虫除けの香草を浸した水に、針龍のヒゲで出来たブラシを突っ込む。

 癖のある柑橘系のような香りがする水をたっぷり含んだブラシでエアの鱗を磨いてやりながら、独り言を言った。

 鱗は磨くと俺の顔や周りの景色を写すくらいに透明になる。けれど、エアが鱗を立てて体を僅かに震わせるとすぐに元の艶も色も失ったような地味な灰色に戻ってしまう。


「ロ、ロ」


「はいはい」


 大きな頭を僅かに動かしたエアが、自分の両翼を顎で指す。

 翼も磨けというおねだりだ。

 俺が体をよじ登りやすいように前脚まで出してくるのだから、抜け目がない。

 ドラゴンは体が大きくなればなるほど気難しくなるし、人間に慣れにくいなんて誰が言ったんだ。少なくとも、こいつはちがうと言い切れる。

 翼膜をブラシで磨かれて心地良さそうにいびきをかいている巨大なドラゴンを見ながらそう思った。


 ふと、エアが頭を持ち上げる。

 首を伸ばして、遠くまで見たエアが「ロ、ロ」と短く鳴いた。


「どうした」


 珍しい。

 これまでエアが頭をあんなに高く持ち上げるなんて、最初に出会ったときくらいだ。

 じっと街の方を見て動かないエアの頭を、ヒレを使ってよじ登る。


「―ロン」


 小さく鳴いたエアが、普段は閉じたままの翼を大きく開いた。頭を覆うように広げられた翼で視界が遮られる。


「なんだよ」


 文句を言ってすぐ、熱風が頬を撫でて通り過ぎていく。

 今は冬だというのに、信じられない熱さの風が通り過ぎたことに驚いて、声も出せずに居ると、エアが広げていた翼を下へ下げた。

 目の前に広がっていた森は焼け焦げて、炭と化した木が、黒い煙を上げながらぶすぶすと不穏な音を立てて崩れる。

 森の向こうに街があったはず……。でも、目の前にあるのは真っ黒に焦げた大地と瓦礫の山だ。


 何が起きたかわからない。瓦礫の山の上に赤い影が見える。

 大聖堂よりも大きいその影は、ゆっくりとこちらに近付いている気がした。


「ヤバい……自然の名を冠する龍グランドドラゴンだ」


 真紅の鱗、熱風、焼け焦げた大地。

 かつて読んだ本に書いてあったことを思い出す。

 アレは、噴火アグニ……。火山の麓に住むドラゴンがなんでこんなところに?


 図体だけはデカいこいつが、戦って勝てるとも思わない。


「逃げるぞ」


 エアの頭を叩く。

 こいつが動いても振り落とされないように、頭に生えた捻れ角をしっかりと掴んだ。

 噴火アグニの影が、大きくなる。鱗よりも少し明るい朱色の翼膜が見える。

 両翼を広げた噴火アグニが飛び立とうとしたとき、見覚えのある影が二つ空から降りてくる。

 兄貴と親父だ。二人が出かけていたのは、もしかしてこいつを倒すためか?

 でも、それならどうしてこんなところにまで……。


 空での機動力が劣る蛞鹿龍メルストロムが、地面に降りたのが見える。

 口から水を吐き出した蛞鹿龍メルストロムへ、噴火アグニが尾を振って煩わしそうに甲高い声で鳴く。

 二匹が距離を保ちながらにらみ合っている間に、孔雀龍フウァールがまっすぐにこちらへ向かって近付いて来た。

 自慢の両翼は端が焦げ、艶のあった嘴は僅かに欠けている。


「セレスト、そいつと逃げろ! 図体だけのデカブツだがいないよりマシだ」


 煤にまみれた兄貴の怒鳴り声が上から聞こえてきた。

 エアの上空を旋回している孔雀龍フウァールが「ケンケンケン」と喧しく鳴き立てると、エアが目を細めて街を見る。


「街の人は? っていうかなんであんなもん連れてきたんだよ」


「王都のやつらが手を出しやがったんだよ! 一緒にいた軍隊は全滅、噴火アグニは、気配を消して逃げた俺たちの後を追ってきてやがったんだ」


 兄貴は忌々しそうに言うと、街を見た。

 蛞鹿龍メルストロムが頭を下げ、ヘラジカのような角を噴火アグニに向かって突き出している。


「街の人達は?」


「番兵たちと、領主殿が助けようとしてるが……どうなるか」


 孔雀龍フウァールが冠羽を膨らませながら高く舞い上がる。


「オレも親父を手伝うために戻る。お前は逃げろ」


 ボロボロになって所々焦げている尾羽を靡かせて、旋回している孔雀龍フウァールから身を乗り出しながら、兄貴はそういうと、街の方へ戻っていった。

 矢のように飛ぶ孔雀龍フウァールが、炎を吐こうとした噴火アグニの頭を目がけて嘴を突き立てようとする。

 振り下ろされた紅い前脚が、親父の蛞鹿龍メルストロムを引き裂くのが見えた。

 勢いよく振り回した尾が、孔雀龍フウァールの綺麗だった右翼を打つ。バランスを崩した孔雀龍フウァールが絹を裂くような悲痛な鳴き声をあげる。


 頭が真っ白になる。街と反対側を見る。岩壁と、家がある。

 逃げなきゃ……と思うけど、手足が震えてうまくうごかない。

 逃げてどうなる? どこへ逃げるんだ?

 兄貴と親父はこのまま死ぬのか?

 唇を噛みしめながら、俺は噴火アグニの方を再び見た。


「――ロン」


 琴を弾くような音でエアが鳴く。まるで「大丈夫」と言ったような気がした。

 大きく体が揺れて、思わず角にしがみつく。エアが、半年間振りに一歩踏み出した。


「戻れって! 相手は自然の名を冠する龍グランドドラゴンだぞ?」


 蛞鹿龍メルストロムが角笛みたいな声を出す。首に噛みついている噴火アグニが体内から朱色の光を放っている。熱光線を出す前兆だ。

 噴火アグニは、体内に溜まった熱を光線にして放出して攻撃をする。噴火の名を冠する通り、その熱光線は、鉄も、大抵のドラゴンの鱗も溶かしてしまう。

 ああ、もうダメだ……と目を逸らした。

 その瞬間、初めてエアと会った時みたいな雷みたいな大きな音がした。地面も、空気も震えて空に真っ黒な雲が立ち籠める。

 驚いて空を見上げると、ざーっと音を立てて雨が降り始めた。


「――ロ、ロ」


 注意しろ、とてもいうようにエアが短く鳴いた。蛞鹿龍メルストロムから口を離した噴火アグニが両翼を広げてこちらへ滑空してくるのが見える。

 噴火アグニの体内が光る。

 さっきは翼で防ぐことが出来たけど……間に合わない。噴火アグニ自然の名を冠する龍グランドドラゴンの中でも機動力が高い。

 近くで飛び回りながら熱波を出されたら、体格で僅かに上回るエアに勝ち目はない。

 雨粒が、噴火アグニの体に落ちてすぐに蒸発している。湯気を纏いながら、真紅のドラゴンは口から赤い熱光線を吐き出した。

 エアの捻れ角が、光った気がした。

 次の瞬間、破裂音がして目を閉じる。

 急にお腹の中がひっくり返るみたいな感覚がして思わず声を上げる。

 熱い風が頬を撫でたけど、体は熱くない。

 恐る恐る目を開くと、俺は空を飛んでいた。黒い雲を突き抜けて、青空の中を飛んでいる。


「エア……飛べたのか」


「ロン、ロン」


 視線だけ俺の方を向けて、エアは自慢げに鼻を鳴らした。

 大きな両翼を広げたエアの真下から、赤いドラゴンが現れる。白い湯気を上げている噴火アグニは苛立っているのか、再び体内を光らせて熱光線の予備動作に入る。

 エアが体を大きく傾けた。しかし、噴火アグニはピッタリとエアの真下を位置取ってきて振り切れそうにない。

 小さく「ぐるる」と喉を鳴らすエアは、お腹を庇うように姿勢を何度も変えている。

 何度かエアが前脚や尾を使って噴火アグニを振り払おうとするが、執拗なまでに追跡をやめない。ドラゴンは獲物と、天敵以外には強い関心を持たないはずだ。

 自分と近い体格のエアに執着する理由が思い浮かばない。


「ロ、ロ、ロ」


 短く何度も鳴く。何かを要求するときの鳴き声。俺は、エアの角をしっかりと握った。

 足が浮く。エアが背中を下にして飛ぶと、噴火アグニは高度を上げて、エアの上を飛ぼうとする。

 この赤い龍は、さっきも孔雀龍フウァールを無視して蛞鹿龍メルストロムを攻撃していた。


「エア、もう少し耐えてくれ」


「ロ、ロ」


 急かすようにエアが鳴く。

 熱光線を何度も吐かれると思ったが、噴火アグニは幸いなことにずっとエアの腹側を飛ぶことに執着している。

 蛞鹿龍メルストロムが吐いた水と、さっきの雨……そして、噴火アグニの体を覆っていた湯気……何かがわかりそうな気がする。


「こいつは


 だから、蛞鹿龍メルストロムを嫌ったのか。でも、エアを追いかける理由にはならないはずだ。

 だってエアは水なんて使えない。

 そこまで考えて、エアを見る。大きく振った尾が、噴火アグニの頬を掠めた。

 怒って振り回した噴火アグニの尾に生えた棘が、エアの腹に突き刺さる。


「グラララァァアア」


 雷が落ちるような咆哮を上げたエアの捻れた角が、薄氷みたいに透明になった。

 剣同士が擦り合うような硬い音がして、エアの鱗が立ち上がっていく。


 色を失っていた透明エアが、色を取り戻した……そう思った。


 空色の鱗を持ち、燃えるような太陽の光みたいな瞳を備えた大きなドラゴン。

 天を突くように聳える二本の虹色の角で天気を操り、全てのドラゴンを統べる空の王。


「エア、落ち着け」


 太陽の光を受けて、七色に光る角にしがみつきながら、めちゃくちゃに飛び回るエアを宥める。

 ぶんぶんと尾を振る噴火アグニは、怒り狂うエアから離れる様子はない。

 もし、エアが、本当に空の龍なら、噴火アグニが執拗に狙ってくる理由もわかる。天気を操るドラゴンなんて、こいつの天敵でしかない。


「聞いてくれ」


 少し落ち着きを取り戻したエアの頭に腹ばいになって、俺はエアに語りかける。

 

「氷、わかるか? お前の好きな池に張ってるアレだ」


「ロン」


 不満そうなエアの声が響く。返事が出来るくらいに落ち着いたってことだと思っておこう。

 ペタペタと頭を片手で撫でながら、俺は話を続けた。


「アレを降らせてあいつにぶつけてやれ」


「ロ、ロ」


 エアが短く鳴く。俺はしっかりとエアの角にしがみついた。

 両翼を畳んだエアが、下に広がっている黒雲へ頭から突っ込んでいく。後ろを見ると、噴火アグニは俺たちの後を追ってきている。

 雲を抜けたエアは地面に降り立った。太陽も差さない、青空の中でもないのにエアの鱗は綺麗な空色のままだ。

 少し遅れて噴火アグニが姿を現わすと、エアは低い大きな声で鳴いた。透明な捻れ角が光って雷鳴が響く。

 冷たい風が首筋を撫でる。真っ白な息を吐くと同時に、白い羽毛みたいな雪が手の甲へ落ちてきた。

 

「ロ」


 慌ててエアの角を掴んだ。次の瞬間、猛烈な風に運ばれた雪が噴火アグニに向かっていく。

 かじかむ手で飛ばされないように必死にエアの角を掴みながら、噴火アグニへ目を向ける。体内から弱々しい光を放って口を開いた赤いドラゴンの熱光線は不発に終わった。

 太い角笛のような音がして、エアが急に翼を広げた。俺を隠すように両翼を開いたエアによってまた視界を奪われる。

 下を見てみると、エアの足下に広がった水が徐々に凍っていく。


「お前に助けられたよ……」


 親父の声が聞こえて、ほっと胸をなで下ろしながら顔を上げる。

 体をすっかり冷やされた噴火アグニは、親父の乗る蛞鹿龍メルストロムにのしかかられ、動けなくなっていた。

 よろよろと右翼を引きずりながら孔雀龍フウァールが意識を失った兄貴を嘴に咥えながらこちらへやってくる。


「ロン」


 満足そうに、穏やかな声をあげたエアの、大きな体がゆっくりと倒れた。

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