シュガーレス・レモネード

第7話 きっと遊ばれてるだけ

　──カタカタカタ。

『遊び目的　男　行動』

　──カタカタカタッ、タンッ。

『遊び目的で寄ってくる男性の行動一覧』

『すぐに可愛いと褒めてくれる』

『やたらと優しい』

『ボディータッチが多い』

『マメに連絡がこない』

『好きとは言ってくれない』

　会社のパソコンで検索エンジンを開き、こそりとフォームに入力したワードがそんな検索結果を表示する。ほぼほぼ武藤くんの行動と合致している項目の数々に、私はかくんと肩を落とした。

「……絶対遊ばれてるじゃん、私……」

　力無く呟いてパソコンを閉じ、トートバッグを掴むと溜め息混じりに弁当を取り出す。やっぱり武藤くんの事なんか気にしないでおこう。そう心に決めて、私はデスクの上で自作の弁当を広げた。

　──ヴヴッ。

　しかし、いざ卵焼きを箸でつまみ上げようとしたその時。不意に膝に置いていたスマホが震え、私は卵焼きを口元へ運ぶ事も忘れて即座に画面を確認してしまう。

　だが通知は期待したものと違い、再びしょんぼりと肩を落とした。

「……何だ。アプリの通知か」

「誰からの連絡を期待してんだァ？ 六藤〜」

「ぐえっ！？」

　独り言を呟いた瞬間、がしりと背後から首に回された腕。可愛くない声が漏れたと同時に豪快に吹き出され、ゲラゲラ笑い出した彼に頬が熱くなる。

「ちょ、ちょっと、佐伯くん！ びっくりするじゃん！」

「ウケる、カエルみたいな声出た！ ははは！」

「もうっ、急に首絞めるからでしょ！ ばか！」

「いやあ〜、悪い悪い。スマホが震えると逐一（ちくいち）期待した顔で画面見るけど、その度に期待と違う通知でしょぼくれてる六藤があんまりにも健気でねぇ。ちょっかいかけたくなるわけよ」

「な……！！」

　一連の動向が筒抜けになっており、元より熱かった頬は更に温度を上げる。「愛しのダーリンからの連絡はこず？」とニヤつく彼の揶揄に、「ばか！」と私は顔をそむけた。

「ち、違うから！ 別にあの人からの連絡待ってるわけじゃないから！」

「あの人って誰っすかぁ？ ほら、やっぱ誰か意識してんじゃん」

「っ……！ ち、違うったら……」

「どうせＡＹＡＴＯさんだろ。先週なんかあった？」

　小声で告げられた名前に、びくりとあからさまに肩が跳ねる。「わっかりやす」と笑った佐伯くんを睨むが、彼は怯む気配もなく私の隣の空いた椅子に腰掛けた。

　武藤くんと連絡先を交換してから、早一週間。いまだに連絡は一度もきていない。

「恋する乙女は大変ですなァ、あんな才能溢れるイケメン狙ってんの？ 不毛だわ〜」

「だから違う！ むと……っ、あ、ＡＹＡＴＯさんの事は別に何とも思ってないってば！」

「いや〜、どうだか。でもさ、あの感じは相当遊んでるっしょ。キープのセフレとかめちゃくちゃ居そう」

「いっ……！ る、と思う……」

　デリカシーに欠ける佐伯くんの発言に一瞬反論しようとした私だったが、否定しきれずに呆気なく認めてしまった。私は俯き、スマホの画面を見つめる。やはり着信履歴の通知欄に彼の名前はない。

「……遊ばれてるだけだと思う？」

　やがてぼそりと問いかければ、佐伯くんは深く腰掛けたワーキングチェアでぐるりと回転した。

　みなまで言わずとも、どうせ男女間の何かがあった事ぐらいは見透かされているのだろう。佐伯くんは「知らね〜」と肩を竦め、こちらに体を向けると私の顔を覗き込む。

「つーか、どこまでヤッたんだよ。最後まで？」

「……あんまり覚えてなくて」

「ワァオ、都合のよろしい女っすねえ。酔った勢いでゴリ押しされたんか。ちなみに告白は？ 次会う約束は？」

「されてない……」

「じゃあほぼ確定的にヤリモクだろ」

　ばっさり。最も懸念している結論をストレートに投げ掛けられ、私は「そうだよね……」と視線を落とした。

　一週間前、『中学の時からずっと六藤さんの事が可愛いと思ってた』と武藤くんに告げられた時、正直かなり動揺した。そして多分少しだけ嬉しいと思ってしまった。

　けれど、私達はもう大人。

　中学生の紡ぐ『可愛い』という一言と、成人男性の使う『可愛い』の一言では、意味合いも重みも全く異なる。

「……私も、キープのうちの一人なんだろうな……」

　小さく呟き、止めていた手を再び動かして甘い卵焼きを口に運んだ。佐伯くんはじっと私を見つめ、口を開く。

「なあ。今夜飲み行こうぜ、六藤」

「……え」

「好きなもん奢ってやんぞ。何がいい？」

「……やきにく」

「え、思ったよりガッツリいくじゃん。可愛げねーな」

　呆れた顔をされたが、すぐに頭をぽんと撫でられる。「りょーかい、残業になんなよ」と悪戯に笑う彼に何だか気恥ずかしさを感じて、「そういうの、イケメンしかやっちゃだめなんだよ」とか細く告げれば「じゃあ問題ねーじゃん」と調子のいい口が生意気に宣（のたま）った。

　事実、顔がいいので文句は言えない。それはそれでむかつくので腑にも落ちない。

「佐伯くんって、ほんと完璧すぎてむかつくよね……」

「褒め言葉として受け取っとくわ」

「ほら、むかつく」

　終始調子のいい彼に少し呆れる。けれど、佐伯くんと話すと心が軽くなるのも事実。

　男友達って今まで居た事なかったけれど、居たらこんな感じだったのかもしれないな……とぼんやり考えながら、私はまたお弁当を口に運んだのだった。

　＊ ＊ ＊

「そんでさァ〜、あのクソ上司が言うわけよ！ 俺が新人だった頃はうんたらかんたら〜、今では仕事だけじゃなく家事と育児にも協力して愛妻家でなんたらかんたら〜って。知るかっつーの！」

「あー、うん……」

「そう言いつつランチやら飲み会の時にゃ嫁の悪口ばっか言ってんだぜ！ 掃除の仕方が甘いだの飯の味付けが濃いだの最近は夜の誘いに乗ってくれないから不倫したいだのと！ 『俺は仕事も家庭も充実してて完璧な上司で理想の男だろ』的なアピールばっかしてくるくせに実は全部上辺だけで薄っペラペラ、ハリボテ育メンなのバレバレですから〜！！ やかましいんじゃボケ！！ 愛想笑いすんのも疲れるんじゃ！」

「佐伯くん、ちょっとお水飲みなよ……」

　仕事終わりに焼肉屋へと赴き、食べ飲み放題のコースを頼んでから早二時間。

　ラストオーダーも注文し終えて最後の一杯となった芋焼酎ロックをぐびぐびと飲み干し、顔を真っ赤に染めた佐伯くんはもはや完全に出来上がってしまっていた。そしてこの愚痴のオンパレードである。

　一方の私はと言うと、程々にカクテルを嗜んだ程度で酒類はほとんど口にしていない。ていうか目の前でこんなに酔っ払われてしまっては、私まで酔う訳にいかないじゃないか。

　ラストオーダーの際に頼んでおいた水を彼の傍に置き、「ほら、少し落ち着いて」と宥めながらコップを握らせる。

　珍しく飲みに誘ってくるから悩みでも聞いてくれるのかと思えば、とんでもない。逆にマシンガンさながらの愚痴が弾丸のように乱れ飛んできて困惑したのであった。色々溜まってるんだなあ、佐伯くんも……。

「佐伯くん……あの、そろそろお会計で大丈夫？」

「えー！？ もう帰んの！？ そりゃねえよ六藤〜！」

「あ、あはは〜、ちょっと酔っちゃったみたいで〜……」

「えー！！」

　騒ぐ彼を振り切り、タブレットでしれっと『お会計』の項目をタップする。佐伯くんは終始やだやだと駄々を捏ねていたが、会計は私の分までしっかりと支払ってくれていた。「奢る」という約束は覚えていたらしい。

　かくして数分後、渋る彼を連れた私は焼肉店を出たわけだが、佐伯くんはまだまだ愚痴が言い足りないようで。

「なー、六藤、もう一軒だけ！ もう一軒だけいこ！ クソみたいなクライアントの愚痴きいて！ お願い！」

「えー？ もうやめときなよ、佐伯くん……足元ふらふらしてるじゃない」

「ワイン飲みてえんだよ〜！ そこのイタリアンバルいこーぜ、六藤！ ほらほら！」

「ちょっとぉ！ だから行かないってばー！」

　強引に肩を抱いて誘導しようとする佐伯くんは、「いーじゃん、俺まだ帰りたくねーんだもん！ 一人暮らし寂しいんだよぉ！」と私に擦り寄って喚いている。

　知るか！ と一蹴した私は「離れてよバカ！」と突き飛ばしてみたが、「照れるな照れるな〜」とニヤつく彼に一層距離を詰められてしまって話にならない。

　この酔っ払いめ……！ と歯噛みしながら飲み屋街の真ん中で小競り合いを続けていれば、当然道行く人々からの視線も集まるわけで。私は羞恥に苛まれ、佐伯くんを強く押し返した。

「もー！ いい加減にしてったら！」

「あ、六藤の髪の毛いい匂いする〜。なにこれ、シャンプー？ 女の子っぽくていいじゃーん」

「こ、こらぁ！ ばか、そういうのセクハラ──」

「──何してんの」

　直後。背後から耳に届いた低い声。

　約一週間ぶりに聞いたその声に、私の胸はあからさまに跳ね上がった。

　振り向けばやはり、予想と違（たが）わぬ彼の姿。

「……っ！ 武藤、く……」

「あー！ ＡＹＡＴＯさん！！」

　しかし、私よりも先に佐伯くんが反応した。彼はぱっと表情を綻ばせ、「お仕事帰りっすかぁ！？ ぐーぜん！ なあ！」と私の背中をバシバシ叩く。

　私は表情を引きつらせ、「う、うん……」とぎこちなく答えるのが精一杯。武藤くんは無表情に私たちを見つめるばかりで何の反応も示さないが、酔っている佐伯くんは更に言葉を続けた。

「良かったじゃーん、六藤！ お前、ずっとＡＹＡＴＯさんに会いたがってたろ！？」

「なっ……！？」

「連絡こないからスマホ睨んで拗ねてたもんなぁ！ よかったよかった、これで万事解決じゃんごぐろうさん──って痛たたた！！」

「な、何言ってんのよ！ そんなわけないじゃん！」

　熱を帯びる顔を武藤くんから逸らし、余計な事を口走った佐伯くんの頬を引っ張る。痛がる彼を無視して恐る恐ると振り向けば、表情ひとつ変わらない武藤くんが黙って私達を見ていた。

「……あ、あの……武藤くん……」

「いってーな、何すんだよ六藤！ せっかくいい気分だったのに……、あ！ そうだ、ＡＹＡＴＯさんも今から一緒に飲み行きましょうよ！ それなら六藤も来るだろ！」

「はあ！？」

　とんでもない佐伯くんの提案に私は目を見開く。何言ってるの！ と即座に彼を咎めようとしたが、食ってかかろうとした私よりも先に武藤くんが声を発して答えた。

「──いいよ」

「……っ、え……？」

「別にいいよ、飲みに行っても。俺の職場があるの、すぐそこでさ。今仕事終わったとこで、ちょうど飲みに行きたいなと思ってたし」

　スニーカーの爪先をとんとんと鳴らし、武藤くんは無表情に頷く。佐伯くんはぱっと顔を上げ、嬉しげに破顔して「マジすか！ サイコー！ さすがＡＹＡＴＯさん！」と武藤くんの肩を引き寄せた。

「あそこのバル行きましょー！ ワインが安くてうまいんすよ！」

「どこでもいいです。つーか佐伯さん、あんま引っ付かれるとめんどくさいんでやめてください」

「わはは！ ＡＹＡＴＯさんストレートに言うわ〜！ ほら六藤、何ぼんやりしてんだよ！ 行くぞ！」

「……あ……」

　佐伯くんに手招きされ、私はじりっと地を踏み締めたままたじろぐ。どうしよう、どうしよう、と躊躇（ためら）っていた私だったが、不意に振り返った武藤くんと視線が交わった事で、体が勝手に動いてしまった。

　とんと地を蹴り、踏み出した一歩。夜の飲み屋街で一際目立つ檸檬色が、視線の先でゆらり、揺れる。

「う、うん！ じゃあ、もう一軒だけ……」

　へらり。笑って答えれば、武藤くんの表情が僅かに動いた。視界で捉えたのは、どこか不服気な彼の顔。

　その表情にひやりと一瞬背筋が冷えて、私は思わず息を呑む。けれどすぐに顔が逸らされ、何事も無かったかのように武藤くんは歩き出した。

（え……何だったんだろう、今の……）

　もしかして、ただの遊び相手でしかない女に付きまとわれるの、嫌だったとか？ ──そんなネガティブな考えが脳裏を過ぎり、私は視線を落とす。

（……そうだよね。私なんて、どうせ遊び相手の一人なんだもんね）

　どこか煮え切らない感情を抱えたまま、不安を隠すように一度強く握り込んだ両手。それでもまだ私は帰りたいと思えなくて、やがて顔を上げ、前を歩く二人の姿を追いかけて行ったのだった。