第184話 賞信罰必

 金当目きんとうもくの攻城兵器部隊を壊滅させた楽衛がくえい徐檣じょしょうは、東門より椻夏えんか城内へと入城した。

 本来、城外の北20里(約8km)の地点に構えていた陣営へ帰還する手筈だったが、全耀ぜんようの軍に場所を特定され占領された為、やむを得ず椻夏に戻ったとの事だ。


 軍師・宵は、帰還したばかりの楽衛がくえい徐檣じょしょう王礼おうれいの執務室へ呼び付けた。

 宵は羽扇うせんを持った手とは逆の手でそっと腹をさする。少し前から酷い胃痛に苛まれているのだ。


「お呼びでしょうか、軍師殿」


 部屋に入って来るなり楽衛がくえい徐檣じょしょうは拱手して言った。

 まだ鎧兜も脱いでおらず、泥や返り血さえも拭き切れていない。


「2人とも、まずは無事に戻られて良かったです。お疲れ様でした」


「ありがとうございます。しかし、金登目きんとうもくもその配下の武将も討ち取れず……」


 あまり元気のない返事をする楽衛がくえいに対して、徐檣じょしょうは何故か自信満々の笑みを浮かべ、部屋の外に待たせていた兵士を呼び、その兵士から白い布に包まれたものを受け取った。


「ほら見てください、軍師殿。あたしは斬ってきましたよ」


 言いながら白い布を解き、中のものを床にゴロンと転がす。


「嫌っ!!??」


 宵は悲鳴を上げてその場で跳び跳ねると同時に、急いで羽扇で視線を隠した。


「はははは! 驚き過ぎですよ、たかが敵将の首じゃないですか! 東門の郭吉かくきつの首です! 3合です! たったの3合で郭吉を槍で突き殺したのです!」


 徐檣じょしょうは恐怖に打ちひしがれている宵を嘲笑い、自慢げに3本の指を立てて見せる。

 上座に座る王礼も顔を引き攣らせているのにお構いなしだ。


「わ、分かりました。とりあえずその首を片付けてください。床の血も拭いて」


「誰かー、 首を片付けて床の血を拭いて」


 徐檣じょしょうはつまらなそうに部屋の外の兵士に雑用を命じた。

 すると、素早く兵士が首を片付け、床の血を拭うと、宵は恐る恐る羽扇から顔を覗かせる。


徐檣じょしょう殿。今後私に敵将の首を見せる事はやめてください」


「確認しなくていいの?」


「大丈夫です。貴女が敵将を討ち取ったのなら貴女の部下の兵士が見てるでしょうから」


「あっそ」


 徐檣じょしょうは明らかに不機嫌になり、腕を組んでそっぽを向いた。

 その態度を見た宵は、また腹をスリスリとさする。そして大きく息を吸うと襟を正して徐檣じょしょうを見た。


徐檣じょしょう殿、今回の私の命令を覚えていますか?」


「はい、『金登目きんとうもく軍の攻城兵器部隊を攻撃せよ』」


「それだけではない筈ですが」


「それだけですが?」


 喧嘩腰の徐檣じょしょうに、宵は冷や汗をかきながらも目を逸らさないように彼女の肉食獣のような瞳を見つめる。

 すると、宵の質問の意図を悟った楽衛がくえいが溜息をつき拱手した。


「軍師殿のご命令は『金登目きんとうもくには攻撃するな』でした」


「そうです」


 宵が頷くと徐檣じょしょうは腕を組んだままふてぶてしい態度で口を開いた。


「あぁ、それか」


「おい、徐檣じょしょう! 先程から軍師殿に無礼な態度を!」


 見かねた楽衛がくえい徐檣じょしょうを咎めるが、徐檣じょしょうは意に介さずそっぽを向く。


「確かに金登目きんとうもくには攻撃するなと言われましたが、あそこで攻撃しなければ楽衛がくえい殿の鉄騎隊は壊滅してましたよ? 上官の危機に臨機応変に対応するのが副官の役目。何が悪いのです?」


「報告によれば、貴女は部隊を一部放置して僅かな手勢のみで金登目きんとうもくに突っ込んだそうではありませんか。そしてその後、貴女は率いた手勢も放置し、そのまま単騎で金登目きんとうもくと交戦し、あろう事か包囲され、逆に楽衛がくえい殿が救出せざるを得ない状況を作りました。自軍の安全を省みない、とても危険な行為です」


 宵の気を遣った優しい声色の言葉を聞いた徐檣じょしょうは、キッと宵を睨み付ける。


「現場にいなかったお前・・が偉そうにあたしに説教すんなよ!」


 とうとう徐檣じょしょうはキレた。

 想定内の事だが、宵の胃痛は益々悪化する。今にも吐きそうだ。


徐檣じょしょう!! やめろ!!」


 楽衛がくえいの制止も無視して徐檣じょしょうは弱々しく腰の引けている宵へとさらに詰め寄る。


「攻城兵器部隊は壊滅! 楽衛がくえい殿も無事! 兵も半分以上帰還した! 何が問題あるの?? お前の思い通りにならなかったからって、立場の弱いあたしに八つ当たりなわけ?? 意味分かんないんだけど?? あたしは敵将を討ち取ったのよ? 褒められはしても、怒られる筋合いはないわ!!」


「たとえ貴女が──」


「あたしは閻のみんなの為に頑張って敵を倒して……なのに……何で褒めてくれないのよ!!! 馬鹿軍師!!!」


 激昂する徐檣じょしょうに怖気付く宵だったが、羽扇をギュッと握り締め勇気を振り絞った。


「私の祖国に伝わりし『三略さんりゃく』にはこうあります。『戦いの全く勝つ所以は、軍政なり』。そして『六韜りくとう』には『賞を用うるには信を貴び、罰を用うるには必を貴ぶ』……」


「お前はいつもそうやって難しい言葉を偉そうに……」


 そして、ついに羽扇の先を怒る徐檣じょしょうに向けた。


徐檣じょしょう、軍令違反により、棒叩き20回」


 突如言い渡された宵からの厳罰に、激昂していた徐檣じょしょうは一瞬何を言われたのか分からないような顔をしたが、すぐにまた鬼の形相へと戻った。


「ふ、ふざけるな!! あたしに罰を与えるの!? 何でだよ!! ねぇみんな!! この軍師は逆賊だ!! 功を立てた臣下を不当に罰するつもりだぞ!!」


 半狂乱の徐檣じょしょうを部屋の外から入って来た2人の兵士が取り押さえた。


 すると楽衛がくえいが片膝を突き拱手する。


「軍師殿! 確かに徐檣じょしょうは軍令を犯しましたが、敵を倒し、私を窮地から救いました! どうかその功に免じて今回は見逃してください!」


 拱手しながら必死に頭を下げる楽衛がくえい

 その後ろで憎しみの眼差しを宵に向ける徐檣じょしょう


楽衛がくえい殿が言うなら……では、今回は徐檣じょしょうの立てた功に免じて見逃しましょう。ですが、次の軍令違反は軍法にて裁きます。下がりなさい」


 宵が羽扇を振ると、徐檣じょしょうは兵士を振り解き、部屋から出て行った。


「軍師殿、感謝いたします」


 楽衛がくえいがそう言って部屋を出ようとしたのを宵は呼び止めた。


楽衛がくえい殿。すみません。徐檣じょしょう殿をお願いします」


「お任せください」


 楽衛がくえいは全てを悟っているかのような表情で頷くと、怒れる徐檣じょしょうを追い掛けていった。



「軍師よ、大丈夫か?」


 静観していた王礼おうれいが気遣いの言葉を掛けてくれたが、宵はろくに返答も出来ずに軽く頷いただけで口を押さえながら部屋を後にした。



 ♢


 ポタポタと頬を伝う涙が床に跡をつける。

 嗚咽を漏らしながらフラフラと自分の部屋へと戻った。

 寝台に顔を埋めて宵は1人咽び泣く。色々な感情が混ざり合って収拾がつかない。


 心優しい宵には分かっている。

 徐檣じょしょうは敵将を討ち取った事を褒めて欲しかったのだ。なのに宵に褒められるどころか罰を言い渡された。理解出来なかっただろう。


鍾桂しょうけいです」


 不意に部屋の外から鍾桂しょうけいの声がした。


「何?」


 宵は寝台に顔を付けたまま、部屋の外の鍾桂しょうけいに問う。


「入ります」


「え、ちょっと……」


 許可を出していないのに、鍾桂しょうけいは宵の部屋に入って来た。


「馬鹿な俺でも分かる。宵が何で徐檣じょしょうにわざわざキツく言ったのか」


鍾桂しょうけい君……聞いてたんだ」


 顔を上げた宵は鍾桂しょうけいの真剣な顔を見た。

 鍾桂は黙って頷く。


「親友と同じ顔の徐檣じょしょうに、あんな事好き好んで言う筈ないもんな。軍令を破った徐檣じょしょうに、軍という組織の何たるかを教えたんだろ? 楽衛がくえい殿が止めてくれる事を見越してさ」


 宵はコクリと小さく頷くと、口を開く。


「『賞信罰必、耳目の聞見する所に於いてすれば、則ち聞見せざる所の者も、陰に化せざるはなし』。『賞罰明らかなれば、すなわち将の威行わる』。褒めるだけじゃ駄目。ちゃんと罰も与えなきゃいけない。今はそれも私の仕事だから……軍の規律を保つ為に」


 鍾桂しょうけいは宵の隣に来ると腰を下ろし、片膝を突いた。

 そして、宵の顔を見ながら、ニコリと微笑む。


「間違った事はしてないよ。だから泣くなよ。徐檣じょしょうもいつか分かってくれる」


 鍾桂しょうけいはいつも優しかった。

 今一番欲しい言葉を、鍾桂しょうけいは宵に掛けてくれた。それだけで宵の心は救われた気がした。


「ありがとう、本当に……」


 宵は不意に鍾桂しょうけいに抱き着くと、咄嗟の事にバランスを崩した鍾桂しょうけいは後ろに倒れて、宵もそのまま覆い被さって倒れた。


 2人はその体勢のまま動こうとしない。

 鍾桂しょうけいは我に返ると、起き上がろうとしたが、宵が動く気配がないので仕方なくそのままの体勢でいる他ない。


 そしてしばらくの間、2人は倒れたままだった。

 鍾桂しょうけいの腕が、優しく宵を抱き留めていた。




 ***


 椻夏えんか北側~全耀ぜんよう軍陣営~


 閻軍に攻城兵器を破壊された日の夜。

 糜喬びきょう全耀ぜんようの幕舎にやって来た。


「我が軍の攻城兵器は8割がたが破壊されました。発石車はっせきしゃは全滅。あとは衝車しょうしゃだけです。幸い、兵に被害はありません」


 全耀ぜんよう糜喬びきょうを見もせずに、机の上に広げた地図上の碁石を動かしている。


「あっという間だったな。発石車の射程距離を敵は知っていた。的確に火矢を浴びせてくるとはな。金将軍の軍の損害も同じくらいか?」


「いえ、金将軍の軍の損害は攻城兵器に留まらす、その兵器を動かしていた部隊は全滅、金将軍の本隊も数十騎失ったそうです」


「何? こちらは兵器の損失だけだと言うに、随分とやられたな」


「はい。まるで我々と金将軍で攻撃方法を意図的に変えているようです」


「何の為に?」


「それは……金将軍は『大刀旋風だいとうせんぷう』と謳われた猛将ですから、閻も全力で攻撃したのでしょう」


「解せぬな。まるで我々が大した脅威ではないかのようだな」


 気まずそうに俯く糜喬びきょう全耀ぜんようはそれをチラリと見たると鼻で笑った。


「それより、全将軍。徐檣じょしょうですが」


「接触出来たのか?」


 今度はしっかりと顔を上げてしっかりと糜喬びきょうを見る。


「いえ、報告によれば、徐檣じょしょうは金将軍の武将の郭吉かくきつを討ち、金将軍自身と戦場で刃を交えたそうです」


「何だと!? 徐檣じょしょうは? 負けたのか?」


 糜喬びきょうは首を横に振る。


「勝負はつかずに両者撤退しています。徐檣じょしょう椻夏えんか城内に入ってしまいました。申し訳ございません」


「そうか……城内に入ったか。そうなると接触は難しいな。また出撃してくれたら良いが」


「引き続き徐檣じょしょうの動きには警戒しておきます」


「済まないな。糜喬びきょう


「いえ、徐檣じょしょうろうの人間です。必ず説得して連れ戻します」


 糜喬びきょうはそう言うと部屋を後にした。


徐畢じょひつよ。お前の娘はとんだ跳ねっ返り娘よ」


 全耀ぜんようは、机の上の碁石の中に1つだけ置いていた黒い碁石を手に取ると、そっとそれを握り締めた。



 ***


 椻夏えんか南側~金登目きんとうもく陣営~


 椻夏えんかの東側に陣を敷いていた郭吉かくきつ徐檣じょしょうに討たれた。

 その穴はすぐに別の指揮官を派遣し埋めた。失った兵は金登目きんとうもく軍の本隊から割いた。

 初戦は敗北と言わざるを得ない。

 高々、校尉と輩の娘が率いる部隊に、大刀旋風だいとうせんぷうと恐れられた歴戦の猛将が負けたのだ。

 金登目の心内が穏やかである筈がない。


「朧から斬血ざんけつの残りの者達を全員呼び寄せろ。閻の軍師、宵はすぐにでも消さねばならん」


 金登目きんとうもくは、帷幕に呼び寄せた副官の賀震がしんに命じた。

 しかし、賀震がしんは苦い顔をする。


「お言葉ですが、斬血ざんけつの使用は周大都督しゅうだいととくに固く禁じられております。それに、一度斬血を投入しましたが、返り討ちにされたではありませんか」


「だから何だ? 斬血の使用は朧王がお認めになっておられる。大都督など知った事か!」


「しかし……」


「斬血を殺したのは陸秀りくしゅう達、元斬血の落ちぼれと徐檣じょしょうの裏切り者共だろ? 聞くところよれば陸秀りくしゅうは今は椻夏にはおらん。ならば斬血に対抗出来るのは徐檣じょしょうだけだ。今こそ好機ではないか!」


「斬血を呼び寄せたとしても、少なくとも10日は掛かりましょう。その間、城への攻撃はしないという事でしょうか?」


「攻城兵器がない今、真正面から突っ込んだとしても、宵がいる限りは突破は出来んだろうな。斬血が到着するまでは椻夏えんかを徹底的に包囲し、兵糧も伝令も入れさせぬ」


 殺気に満ちた金登目きんとうもくの目を見た賀震がしんは、モサモサとした自身の顎髭を触りながら小さく頷く。


「斬血さえ到着すれば、今度こそ勝てる」


 金登目きんとうもくがそう言った時、伝令の兵が帷幕の前にやって来て入室を求めて来た。


「入れ」


「報告します! 全将軍の軍の損害ですが、35台の発石車が壊滅! しかし、兵自体の損害は少なく、負傷者26、死者はおりません!」


 兵士の報告を聞いた金登目きんとうもく賀震がしんは目を見開いて兵士を見た。


「馬鹿な、死者はいないだと? 全耀ぜんようには我々と同様の攻撃を命じた。同じように城を攻めて、兵にこれ程の損失の差があるとは……」


 金登目きんとうもくが言うと賀震がしんが顎髭を撫でながら口を開く。


「我々は楽衛がくえい徐檣じょしょうに攻撃されました。その違いでしょう」


「いや、そもそもだ。楽衛がくえい徐檣じょしょうは北西に陣を敷いて隠れていたと全耀ぜんようから報告があったではないか」


「ええ、それが何か?」


「北西の陣営から、全耀ぜんようが布陣している北門、西門を素通りして、我々が布陣する南門と東門を攻撃して来たのだぞ? 妙だとは思わんか?」


「確かに……妙ですな……まさか!」


「そうだ。全耀ぜんようめ、閻と通じておるぞ」


「そんな……しかし、何故全将軍が?」


徐檣じょしょう……だろうな。俺が斬血を使い、徐檣じょしょうを殺そうとしたからだろう。それで俺に恨みを抱いたに違いない……」


「だとすると、こちらがいつ寝首を搔かれるか分かりませんな」


 金登目きんとうもくは机をバンと叩くと立ち上がった。そして報告に来た兵を指さす。


「おい! すぐに全耀ぜんようの軍に忍び込め! 奴の行動を監視し、逐一報告しろ!」


「ぎ、御意!」


 兵士はすぐに走って帷幕を飛び出した。


賀震がしん! 他にも何人か全耀ぜんようの軍へ監視の兵を入れろ! 奴が閻と内通していれば、斬血の到着を待ち始末させる。奴の軍はお前が引き継げ!」


「はっ! そのように!」


 賀震がしんもすぐに帷幕を飛び出した。


 1人帷幕に残った金登目は抑えきれない怒りを抱いたままその場を行ったり来たり歩き回る。

 そして机の前で立ち止まると腰の剣を引き抜き、一閃。

 ガタンと音を立てて机を両断すると、剣を叩き付けるように床に突き刺した。


「どいつもこいつも……必ず殺してやるぞ……見ておれよ」


 憎悪に燃える金登目きんとうもくの眼光がギラリと光った。


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