第9.5章 異国創始演義の秘密

第177話 瀬崎潤一郎の日記

 ~東京~



司馬しば教授、都子みやこ。見付けた!」


 病院の待合室に駆け込んで来たのは宵の父、孝高よしたかだった。手には茶色い表紙の本を持っている。


 街の大学病院の平日の昼間という事もあり、院内は患者とその家族でごった返している。


「これだ」


「それは……お父さんの日記?」


 孝高から渡された茶色い革の表紙の付いた手帳を見てすぐにピンと来た都子は、それを手に取った。


「済まない、孝高君。私の方では何も……」


 申し訳なさそうに司馬は頭を下げた。


「気にしないでください、司馬教授。この日記に有力な情報が書いてあったので読んでみてください。『異国創始演義いこくそうしえんぎ』について、8月12日のところです」


 興奮した様子の孝高に急かされ、都子は該当のページを開いてみる。横から司馬も眼鏡をクイっと上げて覗き込んだ。


『8月12日 研究の為の半月程の中国出張から無事に帰宅した。たかだか半月とは言え、宵に会えないのはかなり寂しい。私も歳を取った。研究より孫の方が大事なんだと確信した』


「お父さんらしい……お父さん、宵の事凄く可愛がってくれてたからね」


「そうなのですね。瀬崎教授は大学では威厳のある研究者でした。このような文章を見れるとは、中々に新鮮です」


「問題の部分はその次です」


 孝高が言うので、都子は日記を声に出して読み進める。


『ところで、四川省しせんしょうのとある村の露店で3千元(約6万4千円)で買ったボロボロの2巻セットの竹簡。文字が書かれていた形跡があるが、読み取る事は出来ない。売主の男は生活する金がないので代々伝わる家宝を買ってくれと言っていた。竹簡に書いた世界を別次元に作れるらしい。まあ、それを信じて買ったわけではないが、彼の生活の足しになれば良いだろう』


「お父さん、人が良過ぎよ。そんな怪しいものにお金を出すなんて……」


 言いながら、都子はページを捲る。

 だが、次のページの日付は翌日ではなかった。確認の為、前日までの日記をパラパラと見てみたが、やはり毎日日記を付けているので、数日日記を付けていないのは不自然である。


『8月20日 先日手に入れた竹簡の検証に時間が掛かってしまい日記をサボってしまった。だがそれだけの価値はあった。あの男が言っていた事は本当だった。おそらく、誰に言っても信じないと思うが、ここにその詳細を書いておく』


「これ……って」


 都子は孝高と司馬の顔を見た。

 2人は黙って頷く。


『私は試しにボロボロの竹簡に筆で想像の国の設定を書いてみた。自分が行ってみたい三国時代をモチーフとした国だ。名を「閻帝国えんていこく」と名付け、四方に隣国も創造した。戦が起こらぬ平和な国。そんな国を創作してみたのだが、この後信じられない事が起こった。突如として竹簡が光り、私は森の中に転移していた。持ち物はボロボロの竹簡のみ。ついになっていたもう1つの竹簡は手元にはない。竹簡に文字を書いた時、手に持っていなかったからだろうか』


「これ、転移って、宵の時と同じ現象なんじゃ……」


 都子が司馬の方を見て言うと、司馬は眼鏡を上げながら頷いた。


厳島いつくしまさんや貴船きふね君の時とも同じかもしれない」


 さらに都子は日記を読み進める。


『私はその森の出口を探し、しばらく探索した。すると、村を見付け、そこで人を見付けた。だが、私は驚愕した。その姿はまさに三国時代の人のそれだったのだ。それを見て私は確信した。ボロボロの竹簡の力は本物だ。私が創造した世界が現実に現れ、私自身がその世界に転移したのだ。私は科学者ではないので、この馬鹿げた現象が何なのか、どういう理屈なのかは分からないし興味もない。ただ目の前に広がる三国時代の世界に心躍らせ、一刻も早くこの世界を探索したいという想いだけがあった。ワクワクしないわけがない。私はこの世界を楽しむ事にした。この不思議な竹簡は「異国創始演義いこくそうしえんぎ」と名付けよう』


「ほんと、お父さんらしい。こんな状況で……」


 都子は生前の父の事を思い出し、思わず微笑む。


『この世界は閻帝国というらしい。私の創造した通りだった。ならば平和な世界だから安心して暮らせそうだ。途中、楊良ようりょうという孤児の少年に出会った。三国時代がモチーフ故に国教が儒教になっていた。そのせいで楊良は苦しんでいた。私は彼に兵法を教えた。今は平和だが、時が進むにつれ、戦が起こらぬとも限らない。必要にならなければいいが』


 都子は指で文をなぞりながら、司馬と孝高に聞こえるように音読し日記を読み進めていく。


『楊良は飲み込みが早かった。普段儒教くらいしか学ぶ事がなく、勉学に飢えていたようだ。万が一、戦が起こっても、彼が私の兵法を駆使し軍師となれば閻帝国は守られるだろう。私は彼に兵法を教え終わったタイミングでこの国を去ろうと思った。流石に2年も閻帝国で過ごしていたら、孫の宵が恋しくなってきた。随分と楽しめたからな。悔いはない』


 都子は指を止め顔を上げた。


「2年?? そんなにお父さんがいなかった時期なんてなかったわよ??」


「俺もそれは疑問に思った。でも、その真相

 は続きを読めば分かる。元の世界への帰還についても書いてある」


 孝高の言葉に、都子はまた日記へと視線を戻した。


『元の世界への帰還方法は、閻帝国の設定を記載した異国創始演義に帰還方法を書いて設定するだけ。その方法は閻帝国を創造した時とは別の異国創始演義(仮に下巻と名付けよう)に書いておいたからその通りになったようだ。つまり、異国創始演義に書いた事の全てがそのまま実現されるという事だ。私の場合は「この世界の住民に、自分の知り得る兵法を教える」という目標にした。それを達成した時、私はこちらの世界に帰って来たのだ。それにしても、無事に元の世界へ帰還してから気付いた事だが、こちらでは私が消えてから7日程しか経っていなかった。2年もいたのにだ。つまり、向こうの時間の流れととこちらの時間の流れは違うという事だ。実に興味深い』


「時間の流れが違うんだ。確かに中国から帰って来て1週間くらい大学の研究室に籠っていた事があったわね。まあ、数週間家を空ける事なんてしょっちゅうだったからあまり気にしてなかったけど……」


「つまり、瀬崎さんが意識を失ってから今日で4日になるから、向こうでは1年近くの時間が経っている……という事か。それにしても、瀬崎教授は一体瀬崎さんの帰還にどんな目標を……」


 徐々に明らかになる異国創始演義の仕組み。都子と司馬はさらに文章を追う。


『異国創始演義の事は学会には発表しない。あまりに現実離れした代物だ。悪用する輩も出て来るだろう。何せ書いた事が全て自分の思い通りになってしまうからな。これは個人で楽しむ為に使う事にする。ただ、私は老い先短い。もう永くはないだろうから、これは宵の為に使う事にしよう。あの子はまだまだ甘えん坊で自立してはいない。「兵法」という、私の変わった趣味に興味を持ってくれた孫だ。あの子が軍師になりたいと思っている事は知っている。現実世界でその願いは叶わないだろうが、閻帝国ならばその夢は叶えられるかもしれない。まあ、閻帝国は平和な国だから戦は起こらないと思うが』


 都子はここまで読むと手で零れる涙を拭った。

 孝高は都子の肩に優しく手を置く。


「お父さん……宵の事、本当に考えてくれてたんだ」


「そうだよ。だから、お義父とうさんが作った世界で宵も宵の友達も死ぬ筈がない。必ず戻って来るよ。都子、9月30日の日記を読んでみて」


「うん……」


 孝高に言われ、都子は日記のページを捲る。


『9月30日 ようやく宵の為の世界が完成した。その前に、異国創始演義の仕様を調べて色々分かった事がある。まず、閻帝国への行き方だが、創作者以外は自由に行き帰りが出来るが、それ以外の者の出入りについてはこちらで設定する必要があるようだ。そこで私は竹簡の文章の音読を鍵にした。だが、それだけでは関係のない者まで巻き込む可能性があるので、文章の中に自分の「名」が含まれている者のみが行ける仕様にした。つまり、宵だけが行ける世界だ。帰り方は一筋縄ではいかないようにした。「5つの試練」。宵に足りないものを5つ、閻帝国にて達成しなければ帰れない。だが、この5つの達成は難しいものではない。短期間で達成出来る筈だ。達成する度に手元の異国創始演義に達成した目標の文字が増え、5つ目を達成した時に文章は完成する。その完成した文章を音読すればこちらの世界に戻れる。これで宵も三国時代の世界観を楽しめる筈だ。まあ、実際に宵が異国創始演義を見付けるのは、私がこの世を去ってからだろうが……』


 異国創始演義について触れられていたのはこの日で最後だった。


 司馬はまた眼鏡をクイっと上げた。


「なるほどな。瀬崎教授はご自身で異国創始演義を抱えていたんだな。私も学内を調べたが、何も資料がなかったわけだ。手帳の方にヒントを残していたとは。よく遺しておいてくれましたね、都子さん」


「父の遺言だったんです。宵が家を出るまでは遺品を処分しないようにと」


「そういう事でしたか。だから異国創始演義が宵さんに渡った」


「理屈は分かりませんが、実際に起きている現象と同じ事が書かれているから信じない方が難しい。宵達は戻って来る事は出来るが、今の我々に出来る事は何もない……って事ですよね、司馬教授」


 孝高は難しい顔をしている司馬教授に縋る様に問う。


「うむ……」


「いえ、出来る事はあります」


 都子が言った。


「私は宵に夢の中で会えます。そして話も出来ます。だからそこで宵に今の事を伝えます」


「しかし、5つの目標については具体的には書かれていなかった。異国創始演義の下巻にも記されていなかったとすると、瀬崎教授の頭の中にあるだけでもその目標設定は有効なのだろう。目標が何なのか分からなければ……」


「司馬教授。目標が何であれ、うちの宵なら必ずやってくれますよ。厳島さんと貴船君も一緒に連れて必ず戻って来ます」


 孝高が確信に満ちた顔で言うと、司馬も深く頷く。


「そうだな。君達が諦めない限り、皆無事に戻って来る。私も最後まで付き合わせてもらうかな。私にはもう何も出来る事はないが」


「一緒にいてくださるだけで充分です。司馬教授にはお仕事もあるのに……」


 申し訳なさそうな都子の顔を見て、司馬はニコリと微笑んだ。


「瀬崎さんは私の敬愛する瀬崎教授のお孫さんで、私の教え子ですから。そばにいさせてください」


 優しい司馬の言葉に、都子も孝高も嬉しそうに頷いた。

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