第164話 呂郭書の思惑

 厳島光世いつくしまみつよ陸秀りくしゅうは、閻帝国えんていこくの都・秦安しんあんに入ると、南門にて間諜かんちょう清華せいかの護衛として潜り込んでいた杜忠とちゅうという男と合流した。

 道中、斬血ざんけつの襲撃はなかった。陸秀達仮面の部隊が斬血の主戦力を殲滅してくれたお陰だろう。


「清華殿は司徒しと董陽とうようの屋敷におります」


「案内してください」


「御意」


 杜忠は静かに拱手すると、光世と陸秀を連れ、秦安の街の人混みの中を掻き分けて進んだ。


 しばらく歩くと、立派な屋敷の前に到着した。


「ここか」


 刃の部分を布でぐるぐる巻きにした大刀を担いだ陸秀が馬上で呟いた。

 門の前には衛兵が2人、槍を持って立っており、往来に目を光らせている。


「清華殿は食材の買い出しの為に夕刻に一度だけ屋敷を出ます。その時に接触できます」


「分かりました。では、私達は屋敷が見えるあの店でお茶でも飲んで待ちましょうか、陸秀殿」


「そうしよう」



 それから杜忠とは別れ、光世と陸秀は近くの茶屋に入り清華が屋敷を出て来るのを待った。


 日が傾いてきた頃、光世は飲んでいた茶の湯呑みを卓に置いた。


「清華ちゃんだ」


「あの娘か」


「陸秀殿、お勘定よろしく」


 光世は清華から目を離さないようすぐに立ち上がり店を出た。

 まだ街は人が多い。目立つ格好でもない清華を見失えば見つけ出すのは困難だ。


 店の脇に繋いでおいた馬には乗らずに、自らの足で道を歩いて行く清華を追う。


 腰までの長い艶やかな黒髪。

 久しぶりの清華の姿が徐々に近付いて来る。

 そして、光世は清華の肩に手を置いた。


「清華ちゃん」


「……!?」


 突然声を掛けられた清華は目を丸くして振り向いた。


「光世……様!?」


 驚くのも無理はない。清華には光世がここに来る事は伝えていないのだから。


「久しぶり……良かった。元気そうで」


 別れる前と変わらない姿に、光世はようやく安堵してその愛しい細い身体を抱き締めた。


「本当に光世様!? 何で? どうしてここに??

 1人で来たんですか??」


「1人じゃないよ。めっちゃ強い護衛を連れて来てる。……詳しい話は後でするから……話す時間作れるかな?」


「分かりました。では、こちらへ」


 清華は辺りを警戒しながら、人を縫って進み、人気のない路地裏に光世を誘った。陸秀も少し離れた所から光世と清華を追って来ていた。



 ***


「それにしても光世様〜お変わりなく、あたしはとっても嬉しいです! 宵様と桜史おうし様はお元気ですか?」


 人通りのない路地裏で3人だけになると、清華は嬉しそうに光世の両手を握った。路地の入口には陸秀が辺りを警戒しながら立っている。


「うん、元気だよ。2人とも清華ちゃんの事心配してたよ」


「あ……その節は申し訳ございません……」


「大丈夫。怒ってはいないから。それより、私がお願いした事、どんな感じ?」


「あ、はい。一昨日大都督だいととく呂郭書りょかくしょ将軍の陣営に董星とうせい様と行って参りました。そして、今朝、光世様へ状況報告の書簡をしたため送ったところです」


「さすが、清華ちゃん、仕事が早い! 私宛の書簡は宵が受け取る手筈になってるから大丈夫。とりあえず、その書簡に書いた事、今教えてくれる?」


「かしこまりました」


 清華は頷くと、光世に呂郭書と話した事を詳細に語り始めた。



 ***


 葛州かっしゅう椻夏えんか


 清華からの書簡を受け取った瀬崎宵せざきよい貴船桜史きふねおうしを自室に呼んで、その内容をあらためた。

 書簡にはこう記されていた。


大都督だいととく呂郭書りょかくしょ将軍は董炎とうえんの命令で都・秦安を出ましたが、靂州れきしゅうの東の天譴山てんけんざんの麓で軍を止めた切り動くつもりはありません。呂将軍は、董炎のまつりごとに不信感を抱いており、朧軍ろうぐんの侵攻で閻帝国が弱った所で内紛を起こそうと画策しておられます。既に呂将軍の反逆を疑った董炎は太尉たいい孫晃そんこうを仕向けましたが呂将軍がそれを捕えており、国内の軍権は完全に呂将軍のものとなっております』


「これは……!」


 宵が読み上げると、桜史は顔を上げて言った。


「私達にも運が向いて来たんじゃない? 貴船君!」


 嬉しそうに笑う宵の顔を見た桜史だったが、すぐに難しい顔になった。


「いや、でもそんな上手い話があるかな? 呂将軍が清華さんにそんな重大な秘密を打ち明けるだろうか……」


「董星を抱き込んでいるから、信頼したのかも」


「董星が董炎側の人間の可能性は捨て切れない。清華さんも騙されているかもしれない。安易にこの情報を鵜呑みにするのは危険かな」


「……うん。……続きも読んでみよう」


 宵は桜史の話も一理あると思い、また清華の書簡に目を落とす。


『“脆弱だった地方の閻軍が、戦慣れした朧軍を食い止めている現状はただ事ではない。”と、呂将軍は戦が始まった当時からそう感じておられましたが、宵様が軍師中郎将ぐんしちゅうろうしょうの位を拝命された時にその存在をご認識され、宵様が朧軍と対等に戦える極めて有能な軍師である事を確信された事で、今の戦況に合点がいったようです。いずれ時が来れば、宵様と話がしたいと、そう仰っております』


 書簡はここまでだった。

 宵はまた顔を上げ、桜史を見た。


「この話を信じるには、まだ判断材料が足りないと思う」


 桜史は相変わらず難しい顔をして言う。


「そうだね。でも、分かった事がある。呂将軍はとても聡明な将軍だという事」


「なるほど」


「董炎の悪政に反旗を翻し、命令に背いて天譴山の麓で軍を止めた。その行動は、軍を都から離し董炎の監視下に置かず、完全に秦安の軍を掌握する事に成功している。秦安のある靂州から完全に脱していないのは、兵糧の確保を容易にする為。恐らく董炎は呂将軍が孫晃を捕らえた時点で兵糧の供給を止めたと思うけど、それでも長期間に渡り軍を保っているのは別ルートから兵糧を得られているという事。もしかしたら、既に呂将軍の80万の軍は完全に独立した軍隊として機能しているのかもしれない」


「確かに……大司農だいしのうの董星と手が組めたなら、さらに兵糧に関しては融通が効きそうだね」


「うん。この書簡にある、呂将軍の真意がどうであれ、定期的に秦安から届く呂将軍の軍の状態はこの書簡にある状態と一致しているわけだし、呂将軍は今のところ私達の脅威にはならない事は確かだと思う」


「ならどうする? 呂将軍の軍をどう使うか。呂将軍は瀬崎さんと話したいと言ってるし」


「軍略に使うか、政略に使うか……って事だよね」


 桜史は頷いた。

 宵はまた書簡に目を落とし静かに文章を読み直す。


 そしてニコリと笑って顔を上げた。


「両方だね!」


「両方……」


 珍しく桜史には宵の考えが読めず、うーむと唸った。



 ***


 椻夏えんか郊外の南部、金登目きんとうもく全燿ぜんよう陣営


「宵、光世、桜史。奴らは只者ではない。信じられない事に俺の送り込んだ斬血が全滅した。やったのは死に損ないの陸秀りくしゅうだ」


 軍議の場で金登目は深刻な顔でそう切り出した。

 全燿は他の将校達と共に軍議に同席している。


 金登目が新たに放った斥候の情報によれば、光世は何故か秦安へと向かったという。その護衛に就いていたのは朧軍の裏切り者、陸秀だ。斬血を殺ったのは陸秀だと、金登目は確信していた。

 椻夏の閻軍の中に、暗殺に特化した特殊部隊である斬血を倒せる者など徐檣じょしょうくらいしかいなかった筈なのだ。


「光世と陸秀が椻夏を離れたならば、多少は戦力が落ちたと言っていいが、油断は禁物だ。椻夏の東西南北の各城門には守備隊が張り付いている」


「城門を破りますか?」


「いや、全燿将軍。こちらが仕掛ければ必ずや軍師の策に嵌るだろう。ここは包囲戦に持ち込み、敵が疲弊するまで待つ事にしよう。軍師がいようと所詮は戦慣れしていない素人の軍勢よ。精神的に追い詰めればまともな判断も出来なくなるだろう」


「では、椻夏を包囲する準備を始めます」


「ああ、頼むぞ。兵糧は洪州こうしゅうから来る。存分に奴らを締め上げてやろうぞ!」


「「御意!!」」


 金登目の命令に、全燿含む武将達は勇んで拱手した。


 ♢


 幕舎を出た全燿のもとに、部下の斥候がやって来て跪いた。


「報告します! 徐檣殿の事ですが……」


「何だ!? 徐檣がどうかしたのか??」


 徐檣の名前に全燿は目の色を変えて斥候に迫った。


「は、はい。実は、先日の斬血の襲撃時に徐檣殿も襲われていた事が判明しました……」


「襲われていた? 斬血は徐檣を助け出す為に送り込んだ筈だろ? 何故そんな……」


「徐檣殿が抵抗したからなのかは分かりませんが、とにかく、徐檣殿も命の危機に晒されていた事は間違いありません」


「金登目は徐檣もろ共斬血に暗殺させるつもりだったのか……」


 有り得ない事ではない。金登目ならやりかねない。少しでも抵抗するようなら殺してしまえと命令するだろう。初めから徐檣を救出するつもりはなかったのかもしれない。


「徐檣は、無事なのだな?」


「はい、今は楽衛がくえいの副将として軍に加わっています」


「何だと!?」


 全燿は頭を抱えた。

 徐檣は完全に閻軍に心を寄せ、今まさに朧軍に牙を剥こうとしている。


「分かった、もう良い、行け」


 全燿は斥候を追い払うと大きく息を吐き、白い雲がゆっくりと流れている青空を見上げた。

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