第163話 光世、発つ
別れの日の朝。
手元に残ったのはこの史登の形見の扇子だけである。
宵と
光世はボーッとしながらその扇子をパタンと閉じると、腰帯に挿した。
そして、不意に光世は閻服の
史登から貰った扇子以外に、もう1つだけ手元に残ったものがあった。
「結局、私は
自分自身に呆れながらも、光世はその卑猥な造形物を凝視する。
「光世~! 何それ~?」
背後にはいつの間にか部屋に入って来ていた宵が不思議そうな顔で光世を見つめていた。
突然声を掛けられた光世は咄嗟に
「何隠したの? 見せてよー」
「やめろー見世物じゃないぞ!」
目の色を変えて宵に掴まれた袖を振り払おうとするが、宵も意固地になって離さない。
「私と光世の仲に隠し事なんてないでしょ! てい!」
暴れる光世の
「何これ高そうな……ん? ……あ……」
取り上げたモノを目の当たりにした宵は顔を真っ赤にして固まる。
そして光世をチラチラと見る。
「それは……清華ちゃんが送って来たの。使い方分かんないし……欲しいならあげよっか?」
開き直った光世は宵から目を逸らして平静を装ってそう言った。
すると、宵は口元を白い羽扇で隠してクスリと笑った。
「清華ちゃんがねぇ……。光世さぁ、私の事ムッツリとか馬鹿にしといて自分の方がムッツリじゃん。使い方分からないのに何で動揺するのよ? 筆頭軍師であるこの私にそんな嘘が通じるわけないでしょ」
「うぐ……」
「でも良かった。光世もちゃんと健全な女の子だった」
「な、何言ってんの? いいから貰ってよ」
「私はいいや。こういうの使わないから」
「は? ズッル! 宵は健全なんでしょ? 毎日お肌艶々にしてるくせに!」
「あ……だから、こんなゴツイのは使わないって意味だよ。痛そうだもん。私にはまだ早いから、はい、返す」
「ゴツくないでしょこんなの! 軟弱者!」
「
何の前触れもなく部屋に入って来た
宵の背後に立った桜史は2人の様子がおかしいのを不審に思い宵の顔を覗き込む。
「……どうかしたの? 2人共」
「何でもないよ、さ、光世、迎えに来たって」
「う、うん、今行く」
光世はそそくさと荷物を纏めた
「
2人切りになった部屋で宵は頬を赤く染めながら苦笑を浮かべて桜史に問う。
「うん、何も……」
「そう……あ、でも貴船君て見ても見てないフリするしな~。私のスカートの中見たのに見てないって言うし」
「いや、あれは本当に見てない」
桜史は即答したが、バツが悪そうに宵へすぐに背を向けた。
「
「え? パンツ……」
桜史はそう呟いてすぐに口を押さえた。
「やっぱ見たんじゃん。私の誘導に引っ掛かるとはまだまだだね、軍師ボーイ」
宵はそれだけ言うと固まってしまった桜史の背中をポンと叩いた。
「別にいいから、行くよ」
「不可抗力なんだよ」
「もういいってば~」
この世の終わりみたいに絶望する桜史に、宵は子供をあやすが如くの慈愛に満ちた微笑みを見せる。
光世も桜史も宵と同じ世界の人間。日本で生まれ育ち、同じ兵法に興味を持ち、楽しい事や辛い事を共有して来た。例え離れても、必ずまた集まり一緒に帰れる。根拠はないが、何故だか宵にはそう思えた。
♢
「然らば、行って参る」
馬上の
対する光世の荷物は行李が1つだけ。元の世界風に例えると大きなキャリーケースが1つだけと言ったところだろう。その行李が光世の乗る栗毛の馬の背に括り付けられている。
「陸秀殿、光世をお願いします」
宵は羽扇を持った手で礼儀正しく拱手して頭を下げた。
隣の桜史や、見送りに来ていた
しかし、同じく見送りに来ていた
「光世、私聞いてない、
「ごめんね、
「そう……でも、私は納得してない」
「そんな事言わないで。貴女には貴女の仕事が、私には私の仕事がある。そうでしょ?」
「私が……光世の護衛になった方が安全……」
「でも、
光世の言葉に、徐檣は何も言い返せずに下を向いた。
「それじゃあ、行くね。皆さん、お世話になりました。次に会う時は戦が終わった時です」
「光世、達者でな。くれぐれも、無茶はするな」
「無論です。
李聞はうむと頷いた。
「光世、俺は信じてるぞ、キミも清華も必ずまたここに戻って来るって」
「当たり前でしょ、
光世は鍾桂に微笑んだ。
そして、光世の視線は宵と桜史に向けられた。
「光世、『正正の旗を
宵の突然の
「『必ず
光世も得意の
「『敵の弱点に乗じて攻撃するし、負けそうになったらすぐ逃げる……』。
桜史は光世の回答に満足そうに現代語訳しながら頷いた。
そんな徐檣の様子を寂しそうな眼差しで一瞥した光世は、静かに口を開く。
「行ってきます」
それだけ言って、光世は
光世達の出発を、宵達は静かに見守った。
だが、離れゆく光世の背中を追い掛けていく者がいた。
「光世ーーー!!!」
「
振り返る光世。
「私を助けてくれてありがとう!! 自由にしてくれて、ありがとうぉぉぉ!!!」
号泣する
「
光世も精一杯大声を出し、手を振って別れを告げた。
2人の涙が宵や桜史や
「私、こんなに人に感謝されたの初めてです」
涙を拭きながら、光世は隣を進む
「そうか。だが、今度はもっと大勢の人々から感謝される事になる。その分、骨が折れるだろうがな」
朝日に照らされた陸秀はそう言ってニコリと微笑んだ。
「はい!」
光世の笑顔も朝日がキラキラと照らした。
斯くして、光世は
***
雨が止んでも一向に動かない
「これはこれは、
目を奪う程に真っ白な長い髪の董星は、無言のまま拱手して拝礼をする。
呂郭書も拱手を返したが、董星の隣の女を見て表情が固まった。
「
呂郭書に尋ねられた女は1歩前へ出て拝礼する。
「
呂郭書は鷹のように鋭い目付きで清風華を睨んだが、すぐに微笑みを見せた。
「分かった。然らばこちらへ。さあ」
そう言って呂郭書自らが董星と清風華を部屋へと導いた。
董星の落ち着き払った態度、そして付き人の清風華という女。
どちらも只者ではない。
閻帝国の軍事のトップである大都督・呂郭書はそう確信した。
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