第159話 暗殺の夜④

「あ、貴方は……一体」


 光世は目の前の仮面の男の背に向かって疑問を投げ掛けた。

 だが、仮面の男は振り返らず、魏昂ぎこうと対峙し大刀を構えたまま。


「安心しろ、光世。俺は味方だ。周大都督が成し遂げられなかった事を、死人である俺が継続している。それだけだ」


「え? えっと……貴方は……もしかして……」


 そんな筈はないと思いながらも、仮面の男の正体について言及しようとしたが、魏昂が痺れを切らせて口を挟む。


「お喋りはそこまでにしてもらえるか? 死に損ない。貴様が割り込んで来たところで、史登と同じ運命に終わるだけだ」


「光世が1人で逃げているという事は、史登は駄目だったという事……仇は必ず取る」


 言い終わった瞬間に、仮面の男は大刀を構え魏昂へと突っ込んで行った。

 長い柄の先に大きな幅の広い刀が付いた武器である大刀を軽々と振り回し、リーチの短い短刀しか持たない魏昂を襲う。

 魏昂は短刀で上手く捌きながら、なんとか大刀の攻撃を防ぐが、あまりの勢いの凄さに防戦一方のまま後退していく。


「短刀のみでこの大刀を防ぐか!」


「そんな大振りなもの! 戦場では役立つが、暗殺者1人を殺すには不向きだぞ! 馬鹿め!」


 魏昂は仮面の男を嘲笑いながら、上手に大刀を躱し、後転しながら民家の間の路地裏へ転がり込んだ。

 仮面の男の大刀は民家の柱に食込み僅かに動きが止まった。


「地形を考えずにやたらと武器を振り回すなど愚の骨頂!! 今度こそ死ね!!!」


 勝ちを確信したのか、叫びながら魏昂は短刀を仮面の男へと突き出した。


 ──が、仮面の男は瞬時に大刀を手放し、懐から同じく短刀を取り出すと魏昂の短刀を弾き、返りの太刀筋でその厳つい顔を真一文字に斬り裂いた。


「ぐあぁぁぁ!!?」


 顔から滴る血を両手で押さえた魏昂の髷を掴み、仮面の男は再び魏昂を通りへと引きずり出した。


 ふらつきながら仰向けに倒れた魏昂。

 激痛にもがき苦しみながら顔を覆っていて視界が遮られているからなのか、真上に飛び上がった仮面の男の存在にまだ気付いていない。手には大刀。その切っ先は魏昂の胸の上。躊躇うことなく、仮面の男は魏昂の胸へと大刀を突き刺した。

 その一撃で、魏昂は目を見開いたまま喀血してぐったりとしてしまった。明らかに即死したと分かる。


 一仕事終えた仮面の男は大刀を魏昂の遺体から引き抜くと、それを肩に担いで光世のもとへとやって来た。


「さあ、本営へ行こう」


「あ、あの、斬血を殺してしまっていいんですか?情報を聞き出さなくても…… 」


「斬血は序列が高い者程喋らん。訊いても無駄だ。必要な情報は既に他の斬血を俺の部隊が捕えて聞き出してある。李聞りぶん将軍にも情報は共有してある」


 落ち着いて仮面の男の声を聞いて光世は確信した。


「生きてらっしゃったんですね? 陸秀りくしゅう将軍」


 光世の言葉を聞き、仮面の男は担いでいた大刀を地面に突き刺した。


「気付いていたか。流石は軍師だ」


 そう言うと、仮面の男は、自らの仮面に手を掛けた。


景庸関けいようかんでの火攻めの中、倒れて来た建物の下敷きになり、俺は顔や身体に火傷を負った。だが、兵達に助け出され邵山しょうざんに逃れた。戦場で死ぬ事は叶わず、こうして生き延びてしまった」


 言いながら、陸秀は仮面を外した。

 その素顔が露わになり、半分焼け爛れた痛々しい火傷の痕が光世の目に映る。

 だが、そのもう半分の顔は紛れもない、光世を直属の軍師として使い、面倒を見てくれた陸秀将軍であった。

 確かに、景庸関の戦いの後、陸秀の遺体は見付からなかった。まさか生きていたとは……。


「あれ程の大敗では国になど戻れまい。俺は己を景庸関で死んだ事にしたのだ」


「そんな……貴方は死力を尽くし、最後まで戦い抜きました。負けたのは……私の──」


「お前のせいではない。己の将軍としての未熟さ故だ」


 光世は俯いた。

 自分は宵の火攻めを見抜いていた。だが、間諜の存在を見抜けなかった。それが敗因である事は明白。罪があるとすれば光世にある。陸秀に罪はない。


「もう終わった事だ。徐畢じょひつ将軍の死も、無念でならないが、今更過去を悔やんでも仕方がない。いいか、お前も、桜史も友の軍師もこの先狙われ続ける。金登目きんとうもくを殺せ」


「金登目を?」


「斬血の親玉だ。斬血は金登目からお前達を始末するよう命じられたんだ。他の斬血が吐いた。奴らは金登目がいる限り湧き続ける。早いところ、椻夏へ進軍中の金登目を始末した方がいい」


「あの……何故陸秀将軍は私を助けてくれるのですか? 国に戻れないからって、私のような異国の得体の知れない女なんか……」


「俺が朧で将軍だった頃、周大都督が、お前と桜史に力を貸すと仰っていたのを覚えている。お前達の友人探しを手伝うと。宵という友人には再会できたようだが、この状況は周大都督の望む状況ではない。自国の組織である斬血が、守ろうとしていた者らを殺そうとするなど、大都督の命令とは到底思えない。俺はどうせ一度死んだ身だ。ならば周大都督の意思を尊重し、お前達3人を守ると決めた。それが敗軍の将である俺の周大都督へのせめてもの償いだ」


「私達の為だけに?」


「ああ、特に光世、お前は景庸関陥落の後、たった1人で麒麟浦きりんほの砦を守る事になったと分かったから、有能な部下である史登しとうを送り込み、護衛に付けたんだ」


「そういう事だったんですね……あ!」


 そこまで話を聞いていた光世だったが、史登の名前が出たので声を出した。


「史登君が……! 魏昂に……! 宵や桜史殿も襲われてるんです! 助けてください!」


 陸秀の闇に溶けるような黒い服に縋るようにしがみ付く光世。

 もう助かる筈はないと思っているのか、陸秀は気の進まないような表情をしていたがコクリと頷いた。


「分かった。史登のもとへ行こう。桜史と宵のもとへは俺の部下達が向かった。林定1人ならここで仕留められる」


 光世は頷くと、元来た道を引き返し、史登と別れた場所まで陸秀と共に走った。




 ♢


「斬血め! そこまでだ! 徐檣じょしょうから離れよ!」


 鎖で縛られた徐檣を踏み付ける林定のもとに、数騎の騎兵が駆け付けた。『李』の旗を掲げている。どうやら李聞の兵達のようだ。

 道の前後から騎兵は続々と集結して来る。

 その数約30騎。

 さらには松明を持った歩兵も100人程集まり、辺りはあっという間に李聞の兵で埋め尽くされた。


「哨戒の兵共が集まったにしては、やけに対応が早いな。嵌められたか」


 林定は徐檣を踏み付けたまま辺りの様子を窺う。


「武器を捨て、徐檣を解放しろ!」


 兵の中から叫んだのは校尉の張雄ちょうゆうだった。自身も馬に跨り、剣を抜いている。


「下手な真似はするなよ? この女の首を掻っ切るぞ」


 余裕の笑みを浮かべ、鎌と鎖を持った林定は言う。

 張雄が黙ったのを見ると、林定は笑いながら足もとの徐檣を鎖を引いて引き起こした。


「この女の命は大事なのだろ? この女は利用価値がいくらでもある。道を開けろ。さもなければこの女を殺す!」


 鎌を徐檣の首元に突き付けながら脅し文句を言うが、張雄も兵達も道を開けない。


「聞こえないのか? この女を殺すぞ?」


 だが、やはり兵は動かない。

 すると徐檣が鼻で笑った。


「人質に取る人間を、間違えたわね、斬血」


「な──」


 徐檣は思い切り林定の足の甲を踏み付けると、僅かに体勢を崩した林定の顔面に頭突きをかまし、よろけたその延髄に強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


「捕らえろ!!」


 徐檣が叫ぶと、張雄も呼応した。兵達も一斉に片膝を突いた林定へ向かい、喊声を上げながら突っ込んで行く。

 だが、それでも林定はすぐに立ち上がり、鎖鎌を捨てると、突っ込んで来た歩兵の槍を踏み付け、そのまま歩兵の肩まで駆け上がり、兵士達を踏み台にしながら傍の民家の屋根へと飛び乗ってしまった。


「くそっ!」


 吐き捨てるように言った林定は、屋根の上を走り、戦線を離脱した。



「張雄殿! 鎖を解いてください! 奴を追い掛ける!」


 鎖に縛られたままの徐檣が猛々しく言った。

 しかし、張雄は焦った様子を見せず、ゆっくりと馬を寄せて来た。

 悠長とした様子に、徐檣は首を傾げる。


「追う必要はない。李聞将軍の命令だ。奴は椻夏から逃げられない。おい、誰か徐檣の鎖を解いてやれ!」


 その言葉の意味に納得していない徐檣は顔をしかめたまま張雄を睨んだ。


「手を打ってあると言うのですか?」


「今に分かる」


 張雄は自信に満ちた顔で答えた。



 ♢


 夜空の下、民家の屋根を走る林定。

 得物である鎖鎌を失い、残るは腰と脚に付けた短刀3本。そして飛刀が12本。

 これだけの装備があれば一旦は敵を撒いて身を隠せる。

 その後、魏昂と合流しよう。そう思った矢先だった。

 辺りに気配を感じ、林定は腰の短刀を抜いて屋根の上で止まった。

 腰を低く落とす。


「何者だ」


 林定の誰何に、気配は答えない。

 林定はまたすぐに走り出した。

 身軽に屋根から屋根へと飛び移り、謎の気配を振り切ろうと必死に走る──だが、

 風を切り裂く音と共に、右から矢が数本飛んで来た。

 それを短刀で打ち落としながら、器用に屋根の上を走り続ける。

 すると、今度は前から3本の矢が飛んで来た。

 咄嗟に2本の矢を打ち落としたが、1本は肩に突き刺さった。


「くっ……」


 1本くらい、と思ったが、何故か脚が思うように動かなくなり、一瞬林定の動きが鈍った。


「これは……まさか」


 その矢に斬血の毒が塗られていると気付いた時には、林定の身体には30本以上の矢が射込まれていた。


「がっ……う……ぐ……」


 林定はハリネズミのような姿になり、その場に倒れ、屋根から転げ落ち、地面に叩き付けられた。


「最後の斬血を始末した。遺体の確認の後、陸秀隊長と合流する」


 闇からぬっと現れた仮面を付けた男は低い声でそう言った。

 その男の背後には、同じ仮面を着けた弓を持った男達がずらりと並んでいた。

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