第158話 暗殺の夜③

 集団で移動しているからだろうか、斬血ざんけつの追っ手は来なかった。

 鍾桂しょうけいの背中に掴まったまま、宵は辺りを警戒する。

 隣には桜史おうし徐檣じょしょうの背中に背負われて運ばれている。

 前後には10名ずつ兵士が張り付き宵と桜史を護衛する。

 皆無言でただひたすらに南の本営を目指して走った。


 宵が背負われてから10分程経過した頃、突然背後の兵士が呻き声を上げて倒れ始めた。


「敵襲だ!! 気を付けろ!! 止まらず走り続けろ!!」


 鍾桂が叫ぶと一気に緊張が走る。

 だが、次々と後方の兵士達が倒れて闇の中へと消えていった。

 微かに聞こえる馬蹄の音。

 どうやら追っ手は馬に乗っているようだ。ならばすぐに追い付かれる。


「徐檣! 桜史殿を他の兵士に任せて追っ手を止めてくれ!」


「任せて!」


 鍾桂の命令に、徐檣はすぐに背負っていた桜史をそばにいた兵士に託すと、腰の剣を抜き、颯爽と恐ろしい背後の闇へと突っ込んで行った。


「行くぞ! 他の者は進め!」


 いつの間にか背後の兵士は誰もいなくなっており、前方にいた10名のみになっていた。


「徐檣に任せれば安心だな」


 鍾桂が言ったが宵は素直に頷く事はできなかった。得体の知れない暗殺者。あっという間に10名の兵士の命を奪っている。顔も名前も武器も何も分からない。

 宵が徐檣の方を顧みると、そこには今までいなかった見ず知らずの男の姿があった。跳躍して宵の頭上に迫っている。手には鎌のようなものを持っている。徐檣はどうしたのか。

 とにかく目の前の敵の存在を鍾桂に知らせなければ。

 そう思って宵が男に向き合いながら鍾桂の肩を叩こうとした瞬間。宵の声が出るよりも先に、男の鎌の切っ先が宵のえりに引っ掛かり、そのまま下へと斬り裂いた。


「きゃあああ!!」


 宵は絶叫と共に鎌を避けようと暴れた為、鍾桂はバランスを崩しその場につんのめって、宵も地面に倒れた。


「瀬崎さん!?」


 隣を走っていた兵士の背に掴まった桜史が叫ぶ。


「桜史殿は止まらず行ってください! 宵大丈夫か!?」


 鍾桂は桜史達を先に進ませると、すぐさま立ち上がり、身体を起こして硬直している宵のもとに駆け付けた。

 宵の薄手の寝衣は、衿元から腰帯まで綺麗に断ち切られており、観音開きとなった閻服の隙間からは胸も股も露出していた。


「け、怪我は……ない?」


 鍾桂はその扇情的な光景に赤面しながらも、その白く玉のような美しい肌には傷跡がない事を確と確認した。自身の幼い妹と同じくらいの脂肪のない平らな胸。それでいて、綺麗な桃色の突起はそれなりに成長が見られ、股には立派な大人の女性の証が黒々と茂っている。薄暗い中でも、仄かな月明かりによって宵の身体は鍾桂の目には鮮明に映った。宵の幼くも大人びたいやらしいギャップのある身体に、鍾桂は緊迫する状況さえ忘れる程に心を奪われた。


 しかし、宵は鍾桂に身体を覗き込まれても何の反応も示さず、羽扇を握り締め、ただ闇の中の一点を凝視してブルブルと震えていた。

 ジャラジャラと鎖を引きずるような音が不気味に聞こえる。


「チッ、徐檣め。いい所で邪魔をしやがって」


 その声の主はヌッと、闇から現れた。

 馬に乗っていたかと思ったが、いつの間にか降りていたようで、右手には鎌。左手には鎌の柄に繋がった黒い鎖が握り締められている。その鎖の先は男のさらに後ろの闇へと続く。桜史を連れた兵士とその護衛に就いた2人の兵士達はだいぶこの場から離れたようだ。


「斬血だな!」


 鍾桂は腰の剣を抜き、宵の前に立った。


「やれやれ。先に徐檣を潰しておくべきだったか」


 男は鍾桂の問に答えず、ただブツブツと文句を言いながら自身の背後を見つめる。


「俺は鍾桂! お前! 名乗れよ!」


「徐檣の奴が鎖を引いたせいで宵の身体を斬り裂いて内臓をぶちまけられなかった。実に惜しい」


「無視しやがって!」


 完全に鍾桂を舐めている男。ただ、徐檣が鎖を引いたと言っていたので、徐檣は鎖の先にいるという事が分かった。


「宵、立てるか? アイツが徐檣に気を取られてる間に逃げるぞ」


「う、うん」


 鍾桂の手が肩に乗った事で、ようやく我を取り戻した宵は、切断された腰帯に括り付けていた巾着袋を左手で持って立ち上がった。そしてその手で斬り裂かれた衿元を押さえて胸を隠した。


「皆、何とか徐檣と一緒に斬血を押さえてくれ」


「任せてください! 7対1で、しかも徐檣殿がいるんです! 負けたくても負けません! 行ってください! 鍾桂殿!」


 兵士達は勇敢にも不気味な斬血の男の前に立ち塞がり、剣を構えた。


 その様子を見ると、鍾桂は宵の手を引いてまた本営へと向かって走り出した。



 ♢


「あーあ、逃げられたか」


 斬血の男は気だるそうに言った。

 目の前には7人の兵士達が殺気立ち待ち構えているというのに、まるで動じる気配はない。


「仕方ない。コイツら殺してさっさと追うか。味方に合流されたら面倒だ──」


 と、言いかけた男だが、突如物凄い力で鎌に繋がった鎖を引かれバランスを崩した。

 グイグイと鎖は引かれ、男は、ついに鎖の先にいた徐檣の目の前まで引き戻された。


「何て馬鹿力なんだよ! その細い身体の何処にこんな力が……」


「もっとこっちに来なさいよ斬血! 私とお前は固い鎖で繋がれた仲じゃないか!」


 狂気の笑みを見せた徐檣。その右腕にはグルグルと鎖が巻き付き、その腕が真っ赤になるまで締め上げられている。足もとの地面には剣が突き刺さっていた。


「大人しくしてれば痛い目見ないでいれたものを」


 そう言った男は、徐檣との距離が鎌の間合いに入った瞬間に、その鎌を目にも止まらぬ速さで徐檣へと振った。

 ──が、徐檣は咄嗟に地面に突き刺していた剣を抜くと、男の鎌を見事に受けて止めた。

 鍔迫り合い。徐檣の剣も男の鎌も動かない。

 そうこうしているうちに、7人の兵士達が一斉に男の背後に襲い掛かった。


「馬鹿! よせ!」


 兵士達と男の実力差を知っている徐檣は、迂闊な兵士達の行動を咎めるが時既に遅し。

 男は鎌を放棄して地面を転がりながら、どこからともなく取り出した飛刀を次々に襲い掛かる兵士達の身体に打ち込んでいった。飛刀は軽々と鎧の防御の甘い部分に突き刺さり、兵士達は瞬く間に倒れていった。

 7人全員が倒れたのを確認すると、男はスっと立ち上がった。


「神経毒だ。掠っただけで一瞬の内に動けなくなる。安心しろ。解毒薬を飲ませれば死にはしない。まあ、斬血特製の毒だから、解毒薬はないんだがな」


 男はクスクスと笑った。


「得意げに、何を笑っているのかしら? お前はここで死ぬと言うのに」


「強気な女だな。ああ、そうだ、徐檣。全燿ぜんよう将軍がお前を探していた」


「え??」


 突然の話に、徐檣は目を丸くして男を見る。


「実はな、俺達斬血は、閻の軍師達の暗殺の命令と共に、徐檣、お前を朧国に連れて帰れとも命じられている。全燿将軍の願いでな」


「おじさんが……?」


「そうだ。お前を閻から取り戻す為に、全燿将軍は金将軍に徐檣奪還を依頼された。だから、お前が素直に戻ると言ってくれれば、俺達はお前を殺したりしない。さ、一緒に帰ろう」


「いや……でも、私はお前達の仲間を半殺しにしたんだよ?」


「それは忘れるよ。俺達は仲間より任務が大事だ。仲間が死のうが、任務が成功するならそれでいい」


 男の言葉を聞いて、徐檣の瞳は鋭さを取り戻す。


「私、お前達嫌い。仲間の死を何とも思わないなんて、心が腐ってるんじゃないの? 私はお前達について行かなくても、帰ろうと思えば自分で帰れる」


「1人で帰ったら、タダじゃ済まないかもしれないぞ?」


「その時はその時だね」


 開き直った徐檣の態度に、男は目をカッと見開いた。


「めんどくせぇクソアマがぁ!!」


 突然激昂した男は飛刀を目にも留まらぬ速さで投げ付ける。

 真っ暗闇の中だが、徐檣の動物的な感覚と動体視力で、飛んで来た飛刀を難なく躱した。

 だが、飛刀に気を取られていた隙に、男は目の前から消えていた。


「俺は標的でない女は殺さん!」


 その声は背後から聞こえた。

 徐檣が振り向くと、そこには誰もおらず、代わりに男の気配が周囲をグルグルと周回しているような感覚に襲われた。


「あっ!?」


 徐檣が気付いた時には遅かった。

 既に身体には腕諸共鎖が何重にも巻かれており、徐檣が男を視界に捉えた瞬間に、その鎖が身体を思い切り締め上げた。


「痛っ!」


「この林定りんていが相手で命拾いしたな。他の斬血なら迷わずお前を殺していただろう」


 林定と名乗った男は、鎖鎌の鎖でグルグル巻きに拘束した徐檣を蹴り倒した。

 腕ごと縛られた徐檣は鎖を解こうと、巻かれた向きと逆向きに地面をゴロゴロと転がるが、敢なく林定に胸を踏みつけられて止められた。


「足を退けろクソ野郎! 何処踏んでんだ!!」


「口の悪い女だ。うるさいから暫く毒でも食らって黙ってろ。軍師共を殺し終わった後で拾いに来てやる。お前は朧に強制送還だ」


 そう言って林定は懐から毒の塗られた飛刀を1本取り出した。

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