第157話 暗殺の夜②
宵と
目指すは軍の滞在する城内の本営。
だが、インドア派の宵は青白い顔をして護衛の兵士達の中で脚をもつれさせた。
そこをすかさず鍾桂が支える。
「宵、乗れよ」
宵の副官兼護衛の
迷わず宵はその背中に飛び付く。
「ありがとう」
礼を言った宵だが、すぐに桜史の方は大丈夫か、と、周りを見ると、宵と同じく、ヘロヘロになっている桜史を澄まし顔の
桜史よりいくらか背が低いのに、徐檣は平然と桜史を背負ったまま片手で剣を器用に振って見せる。
「お! 徐檣、気が利くじゃないか」
「えへへ〜鍾桂の真似っ子〜」
鍾桂が褒めると徐檣は子供のように嬉しそうに微笑む。とても万夫不当の豪傑には見えない。
「よし! 皆! 俺と徐檣は軍師の御2人を背負って走る! 背後の警戒は任せたぞ!」
鍾桂の号令で20人の兵達は一斉に「御意」と応えた。
そして、これ以上走る事のできない宵と桜史を背負い、再び南を目指して走り出した。
♢
「俺の名を覚えていたか、
闇夜から現れた男はニヤリと笑い、史登の名を呼んだ。
「
剣を構えたまま、史登が応じる。
「出来損ないの事など一々覚えていない。だが、お前は特別出来損ないだったからな。悪い意味で覚えていたのだろう」
「貴方の狙いは閻軍の軍師3名の抹殺。
「それを聞いてどうする? もうお前はその女と共に死ぬと言うのに」
「死にません。僕は光世先生を守り抜く! ここで死ぬのは貴方です!」
すると、魏昂は大きな声で笑い出した。
その笑い声は、静かな街に不気味に響く。
「
「光世先生! 離れて!」
史登の言葉に光世はすぐに2人から距離を取った。
すると、魏昂は間髪容れずに史登へと懐から取り出した短刀を振りかざし襲い掛かった。
剣で魏昂の短刀の一撃を受け、すぐさま身体を回転させ蹴りで脚を払う──が、魏昂は史登の回転に合わせ逆にその背後に回り込んだ。
僅かに身体を反らせて魏昂の短刀を躱したが、史登の背中の鎧はその鋭利な刃で抉り取られていた。
「史登君!?」
「大丈夫です! 光世先生! 掠っただけ」
常に光世の位置と魏昂の位置を確認しながら、史登は魏昂と一定の距離を保つ。
「良い動きだ。お前は誰の命令でその女を守っている?」
短刀を逆手に構えた、魏昂が問うた。
「今から死ぬ貴方が、それを知ってどうなりますか?」
鋭い視線で魏昂に言われた言葉をそのまま返す史登。
「俺は死なないんだ。教えてくれてもいいじゃないか。お前を殺したらその答えが分からなくなってしまう」
「元より教えるつもりはありません」
「残念だ。ならば少しばかり痛い目に遭ってもらおうか」
魏昂の瞳が一瞬輝いたように見えた。
いつの間にか、史登の懐に入り込み短刀を下から首元へ振り上げる。
史登は上を向いて躱したが、微かに切っ先が顎を裂き、そして兜の顎紐を斬った。
史登が後ろに退くと共に、兜は頭から滑り落ち地面にガシャンと音を立てて落ちた。史登の顎からは、ポタポタと血が滴り落ちている。
「くっ!」
歯を食いしばり体勢を建て直した史登は剣を前に突き出す。
「動きは悪くない。だが、この刃に毒が塗られていたら、お前はもう終わっていたぞ」
余裕そうにヒラリと身体を反らし、史登の剣の刺突を躱す。そしてまたしゃがむと、今度は史登の両脚目掛け短刀を素早く振った。
──が、史登は両脚で跳ぶと、そのまましゃがんだ魏昂の横っ面を右脚で思い切り蹴り飛ばした。
流石に地面を転がる魏昂。だが、転がりながらもすぐに体勢を立て直して立ち上がった。
口の中を切ったのか「ぺっ」と、唾に混じった血を吐き捨てた。
「武器に毒を塗らないとは、少し舐め過ぎではないですか? 魏昂殿」
「お前ら如きに毒など必要ない。この刃1本で十分だ」
魏昂はちっとも挑発に乗らない。
毒を使わないという傲り以外は至って冷静だ。
少し離れた建物の陰で史登の戦闘を見守る光世。
自分に何もできない歯がゆさから、唇を噛み締める。
また激しい攻防が繰り広げられる。
おそらく、どちらかが死ぬ。このままどちらも生きたまま終わるような戦いではない。
これも戦の一部。
表では大勢の兵達が軍という形で戦い、裏ではこうして暗殺者が要人を殺しに来る。
そして、その要人というのがまさに自分と友達。
光世の身体が恐怖に震えるのも無理はない。
互角の攻防を繰り広げていた史登は、徐々に魏昂の刃を何度か身体に食らうようになっていた。
そしてついに、史登は膝を突いた。史登の鎧は既にボロボロになっていた。
「史登君!!」
思わず叫ぶ光世。
チラリと魏昂が光世の位置を確認する。
「俺とここまでやり合えたのは褒めてやる。だが、やはり出来損ないだったな。史登」
そう言って魏昂は史登を後ろに蹴り倒した。
「……僕は斬血にならなくて良かったと思っています。追い出してくれた事に礼を言いたいくらいです」
「はは、そうか。お前の人生、全てが中途半端だったようだな」
仰向けで倒れたままの史登は、嘲笑う魏昂を見ていた。そして、何とか動かせる左手で懐から何かを取り出し、それを咥えた。
ピーっと高い音が闇夜の街に響く。
「助けでも呼んだのか? 今更助からんというのに」
魏昂が嗤った瞬間、史登は突然立ち上がり、口に咥えていた小さなホイッスルのような笛を光世の方に放り投げた。
咄嗟の事だったが、光世は暗闇の中それをキャッチした。
「光世先生! それを吹きながら逃げてください!ここは僕が食い止めます!」
「え!? そんな……」
「いいから逃げて! 僕の役目は貴女を守る事! ここで僕がこの男を食い止めなければ貴女を守れない! 大丈夫! 必ず僕の仲間が貴女を見付けて守ります! 貴女の良く知る人が必ず──」
「思い通りにさせるか!」
史登の言葉を遮り、光世を殺しに動こうとした魏昂を身体中ズタボロの史登が捕まえる。
「早く逃げてください! 2人で死ぬつもりですか!?」
「あ、あとで、あとで必ず戻って来るよね? その男を倒して……」
潤んだ瞳を史登に向ける光世。
暴れる魏昂を必死に押さえながら史登は光世に視線を向ける。魏昂の短刀が史登の鎧を貫き、身体の至る所に突き刺さった。血が流れ出ているが、史登は痛みに対しては一切声を出さない。ただ、光世へ視線を向け続ける。
「今までありがとうございました。大好きでしたよ、光世先生」
欲しかった言葉ではなかった。
必ず戻ると言って欲しかった。
だが、光世はその史登の言葉で全てを悟り、溢れた涙を袖で拭いながら大きく頷く。
「私も、好きだよ。ありがとう、史登君」
光世はそれだけ伝えると、史登から受け取った笛を吹きながら、闇夜の街を1人、本営へ向けて走った。
♢
荒い呼吸を繰り返しながら、誰もいない暗闇の街を、笛をピーピーと吹き鳴らしながら走る。
だが、笛を吹きながら走るのは想像以上に辛い。ましてや暗殺者から追われている状況では恐怖も合わさって光世の呼吸を乱す。
ついに光世は民家の壁に手を付き、その場に足を止めてしまった。
一度呼吸を整えなければ走る事もできない。
光世は酸素を肺に取り込みながら、背後の追っ手を気にする。
斬血も史登も走って来る気配はない。
2~3分程、その場で呼吸を整えた光世が、また走り出そうとした、その時。
背後から何者かが近付いて来る足音が聞こえてきた。
暗闇から聞こえる足音。それはどうやら走っているようだ。
もし史登なら、光世の名を呼ぶだろうし、そもそもかなり怪我をしていたから走れる筈はない。
光世は口に笛を咥え、またすぐに逃げる準備をした。
そして、暗闇から追跡者の顔が見えた瞬間、光世は振り返りまた走り出した。
史登ではない。魏昂だ。
涙を流しながら、光世は走り、笛を吹く。
もう駄目だ。史登が殺された。宵や桜史、徐檣や鍾桂とも離れてしまった。
もう助からない。
光世の背後には着々と魏昂が迫っている。
足の速さも体力もまるで違う。
逃げ切れるわけがない。
魏昂の足音がすぐ後ろに迫る。
振り返れば恐ろしい顔。
必死に笛を吹く。
だが、ついに光世の肩に魏昂の手が置かれた。
「ピーーーー」
それが最後の笛の音。
死を覚悟した光世の口から笛が落ちた。
血塗れの短刀を振り被る魏昂。
──だが、魏昂の視線が上の方をキョロキョロと彷徨い始めたかと思うと、光世の身体から手を引き、後方に跳んだ。
光世はそれを確認すると、急に脚の力が抜け、その場に膝から崩れ落ちた。
すぐ背後に何者かが着地した音がした。
何が起こったのか分からない。後ろを振り向くのが怖い。誰が立っているのだろう。史登の気配ではない事は確かだ。
「貴様が史登の親玉か?」
背後から魏昂の声が聞こえた。
光世のすぐ後ろに立っているのが史登の親玉という事は、光世の味方なのだろうか。
「お久しぶりですね。魏隊長」
背後の人物が言った。
不思議とどこかで聞いたような声。
「久しぶり……か。やはり貴様も斬血の出来損ないの1人か。誰かは知らんが、出来損ない共が徒党を組んで、そんな小娘の命を助けるなど、余程暇を持て余しているのだな」
「貴方が私を斬血から追い出してくれたお陰で、私は真っ当な道で出世できました。その点に関しては礼を言いましょうか」
「ふん、出来損ないの心境は皆同じという事か」
2人の会話を聞きながら、光世は恐る恐る背後の人物を見る。
背が高く、細身でありながらも、纏った鎧の上からでも分かる鍛え抜かれた身体付き。手には大刀を持っており、史登よりもだいぶ大人に見える。
すると、その男は僅かに背後の光世を見た。横顔しか見えないが、その顔には白い仮面が着けられていた。素顔は目元しか分からず、その瞳が光世を優しく見つめた。
「生きていて良かった。光世」
そう呟いた仮面の男はまた魏昂の方へ顔を向ける。
「誰? 私を知ってるんですか?」
確かにその声も目元も知っている気がする。だが、思い出せない。
「仮面を取って素顔を見せろよ、小物風情が」
魏昂が言うと、仮面の男はその仮面を掴む。
「あまりに醜い顔故、隠していたのですがね。見て後悔しないでくださいね」
そう言って仮面の男は、白い仮面を外した。
「……!! 馬鹿な!! 貴様は……」
男の顔を見た魏昂は明らかに動揺し始めた。まるで化け物でも見たかのように。
そして男は何も言わずにまた仮面を付けた。
光世がその顔を見る事はできなかった。
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