第152話 光世 対 斬血 ①
忙しそうにしている宵と桜史の部屋の横を光世はこっそりと通り抜け、
向かう先は
「どう? 史登君。昨日の青い手拭いの男はいる?」
光世は前を向いたまま光世のすぐ後ろを歩く史登に訊ねる。
「いえ、視界に映る範囲にはいません」
「分かった。なら、このまま監獄へ行くよ。警戒は続けてね」
光世は表情を変えずに史登にそう命じると、そのまま人通りの多い道を進み監獄へと向かった。
昨日史登が口にした暗殺者の存在。それが本当なら、光世が外を出歩けば必ず殺害の機会を何処かで窺っている筈だ。史登が本当に暗殺者を嗅ぎ分ける才能があるなら、光世を狙う暗殺者を見付けられると踏んだ。
本当に暗殺者が存在するかどうか。
まずはそれを確かめるのが先決だ。光世が狙われるという事は、宵や桜史も狙われているに違いないのだから。
史登以外の護衛の兵士にも、暗殺者がいるかもしれないという話は伝えてある。
昨日よりも警戒レベルは高い。
だが、結局、何事もないまま、光世達は監獄へ到着した。
「皆さん、監獄内でも、念の為警戒しておいてくださいね」
「御意」
護衛の3人は拱手した。
♢
光世は看守の先導に従い、再び徐檣の牢の前に来た。
「徐檣」
「光世!」
光世が声を掛けると、すぐに徐檣は牢の奥から出て来た。
その声色を聞く限り、どうやら不貞腐れてはいないようだ。
──だが、徐檣の顔と姿を見て、光世は戦慄した。
「光世……昨日はごめん。もう来てくれないかと思った。へへ……」
牢の奥から顔を見せた徐檣。その顔は青アザだらけで至る所から流血していた。赤い襦袢も袖や裾は引きちぎられたようになっており、腕や脚からも血が滲んでいた。
そして、極めつけは手首に嵌められた木製の手枷。昨日の徐檣の手首にはこんなものは付いていなかった。看守に酷い仕打ちを受けたとしか思えない惨状だった。
「徐檣……どうしたのその傷。顔も身体もズタボロじゃない??」
「ああ、これ。昨日の夜ね、私、光世を追い返しちゃった事を後悔してずっと泣いてたの。そしたらね、看守が、うるさいって格子の隙間から棒でつついて来たから、カッとなって反抗しちゃって……。怒った看守達が何人も牢屋に入って来て……棒で叩かれた……」
「え!? 虐待じゃない!」
「やり返してやろうかと思ったけど、やめたんだ。これ以上騒ぎを起こしたら光世にも鍾桂にも迷惑掛けちゃうと思ったから……」
「そっか……徐檣……辛かったね。我慢して偉いよ。すぐに手当するように看守に言うから」
「ありがとう」
徐檣は辛いだろうに、ニコリと笑った──かに見えたのだが……
「私、もうここに居たくない。一生ここから出られないなら、私……死んじゃいたいよ」
徐檣は言葉を震わせながらそう言うと同時に、大きな瞳から涙を溢れさせた。
「徐檣……死にたいなんて言わないで」
光世の言葉に、徐檣は首を横に振る。
「自由もない、泣けば殴られる。ここに居てもどうせ死ぬんだから。早く死にたいと思うのは駄目な事なの?」
「駄目……だよ。せっかく繋いだ命なんだから……」
光世の言葉を聞いた徐檣は目を閉じると、何も言わずにその場に座り込んだ。
そして木の格子に寄り掛かると急に大人しくなってしまった。
「ねぇちょっと!」
光世はここまで案内して来た看守の男を睨み付けた。
「は、はい」
「いくら何でもあんなに怪我するまで棒で殴るなんて酷過ぎでしょ? しかも手当もしないで放置しておくなんて!
「あ、お、お待ちを。私の方から、やった者達にはきつく言っておきますので、どうか
光世の脅しに動揺した看守はすぐに他の看守を呼んで牢の中の徐檣の手当をさせた。
徐檣は死んだように全く動かず、ただ看守の手当に素直に応じていた。
「次こんな事があったら許しませんからね。あと、食事もちゃんと食べさせてくださいね! 毎日見に来ますからね!」
「わ、分かりました」
光世の鬼気迫る叱責に、看守は拱手して何度も頭を下げた。
徐檣の手当が終わると、看守はそそくさと牢から出て行き、光世の視界から消えた。
牢の中に残された徐檣はやはり動かず格子に寄り掛かったまま動かない。
光世はしゃがんで、格子の隙間に手を入れると徐檣の頭を撫でた。
そしてそっと耳元で囁く。
「必ずここから出してあげるからね。それまで死んじゃ駄目だよ」
光世の言葉に反応した徐檣が目を見開いて光世に何か言おうとしたが、光世は口の前で人差し指を立てて「しー」と言った。
不思議そうに光世を見つめる徐檣。光世の言葉を完全に信じてはいないのだろう。
「じゃ、また明日来るね」
光世はそう約束すると徐檣の牢を後にした。
監獄内で特に暗殺者の気配はなさそうだった。史登は何も言ってこない。
監獄の入口まで戻って来ると、何人か面会らしき男達と擦れ違った。
すると、史登が擦れ違った男の方へ振り向いた。
光世も史登の視線の先を見たが、そこに人はいなかった。
「史登君?」
「今監獄に入って行ったつつく男。一般人の雰囲気ではなかったと思ったのですが……」
「今擦れ違った人だよね? いなくなっちゃったね。昨日の青い手拭いの人?」
「いえ、おそらく別人かと」
「もしかして、暗殺者、何人もいる?」
「断定できませんが、いても不思議ではありませんね」
「私にはその気配は分からなかった。貴方達は分かった?」
他の2人の護衛に聞くが、2人共
「そっか。清華ちゃんから連絡が来るのも朧軍が椻夏まで来るのもまだ少し先。私は明日もここへ来る。また護衛、お願いね」
「御意!」
3人の護衛は力強く返事をした。
♢♢
そして翌日。
今日も宵や桜史が忙しそうにしている横をすり抜けて、史登と護衛2名、昨日と同じメンバーを従えて今度は人通りの少ない道を通り監獄へ向かった。
裏路地は人が少ないので大通りよりはスムーズに進む事ができる。大通りにはいないようなガラの悪い連中が屯していて光世達を物珍しそうに見つめ何やら話している。
とてもじゃないが、1人でこんな所には入れない。1人になった途端襲われそうな雰囲気だ。
史登や護衛の兵達はより一層警戒を強めている。
3人の軍人が付いているから光世も何とか平静を保ちつつ路地裏を歩いていられる。
「史登君。どう? 怪しい奴らはたくさんいるけど」
「その辺に屯しているのはただのゴロツキですね。僕らが一緒にいれば絡んでは来ないでしょう……」
そう言った史登だったが、突然左後ろの建物の屋根の上を見たかと思うと、光世の手を握り強く引っ張った。
「皆! 走って! 大通りへ!」
その瞬間、史登の足もとに1本の矢が突き立った。
光世も屋根の上へ目をやると、弓を持った人影が屋根伝いにこちらへ迫って来るのが見えた。
「史登君! 追って来てる! きゃっ!!?」
史登に引っ張られながら走る光世の目の前の壁に、また1本の矢が突き立った。
史登はその矢をもう片方の手で引き抜くと、矢を持ったまま大通りへと逃れた。
人混みに紛れた光世達を見て、追って来ていた人影は、屋根の上を引き返して行った。
「あ、ありがとう、史登君、助かった……皆、無事?」
息を切らせながら光世は3人の護衛に訊く。
「無事です。3人共」
史登以外の2人は息を切らしているが無事なようだ。史登だけはそれ程息を切らしておらず、深刻そうな顔で先程引き抜いて持って来た矢を観察していた。
「何か分かるの?」
「あ、いえ、分かるのは鏃に毒が塗ってあるという事くらいです」
「……毒」
確かに史登の持つ矢の鏃にはねっとりとした透明な液体が付いて糸を引いている。それが刺さっていたらと思うと、光世は恐怖で身体を震わせた。
「光世先生。徐檣を救い出す計略ですが、やめておいた方がいいかもしれません」
「え? 何で?」
「暗殺者が只者ではありませんでした。その辺の雇われたような輩とは違います。かなり訓練された者のようです。朧軍の……暗殺部隊『
「『ザンケツ』? 何で分かるの?」
「え? いやそれは……」
「史登、お前何者なんだよ? お前だけやけに暗殺者からの逃げ方が手馴れてたろ? 息も切らしてないし、敵の矢を咄嗟に持ち帰り情報を分析する。只者じゃないのはお前もだろ」
護衛の兵士の1人に問い詰められ、史登は困惑しながら頭を下げた。
「ごめんなさい。何も話せないんです。でも、僕は敵ではありません。それだけは信じてください!」
必死に正体を隠す史登。やはり只者ではないのだ。きっと何処かから何かの任務で派遣されて来た人。史登の言う通り、敵ではない事は分かっている。もし史登が敵の間諜で暗殺者ならば、とっくに光世を始末できた。だが、今も光世は生きている。むしろ、先程は暗殺者の手から光世を救ってくれた。それで史登が敵ではない事は証明されている。
「顔を上げて史登君。信じるよ。キミが敵じゃない事。それに、言えないなら言わなくていいよ。私、何となく、分かったから」
「え?」
光世が言うと、史登は顔を上げた。他の2人の護衛も首を傾げている。
「さあ、行こう。監獄へ。私は徐檣を助ける計略をやめる気はないよ!」
「ですが、光世先生、敵があれ程の強者となると、僕達では守り切れるか分かりません」
「死にたくないなら皆ついてこなくていいよ。私は、死んでも徐檣を助けたいの。じゃなきゃ、徐檣はきっとこのまま死ぬより辛い日々を送る事になる……」
光世の覚悟を決めた表情を見た史登らは、互いに顔を見合わせて頷いた。
「敬服致しました。光世先生。我々もお供させてくだされ」
「ここで逃げたら男が廃るってもんです」
2人の護衛も覚悟を決めて応えた。
「分かりました、光世先生。ならば僕も死ぬまでお供致します。光世先生に頂いた御守りのご利益は早速ありました。きっと僕は死なない。だから光世先生をお守りできます」
「皆、ありがとうございます」
光世は深々と頭を下げると、また監獄へと歩みをを進めた。
♢
監獄に到着すると、いつものように看守に案内され、徐檣に会った。この日は昨日よりも徐檣は元気そうで殴られた形跡はなかった。
しかし、どこか徐檣は憔悴したような感じがあり、ここから出たいとか、死にたいとか、鍾桂は何してるとか、そう言った話を一切しなくなった。もしかしたら、もうどうにもならない事を考えるのをやめたのかもしれない。
昨日光世が必ず助け出すと言ったのを、やはり気休めだと思っているようだ。
光世は軽く徐檣と話すと、「また来る」と言って、半刻程で監獄を後にした。監獄内でも、その帰り道でも、その日は何も起こらなかった。
♢
光世は李聞の屋敷に戻ると、桜史を呼び出し、宵の部屋に集まった。
そして2人に、光世を狙った暗殺者がいた事を伝えた。
「え!? 暗殺者!?」
声を出して驚く宵。
「私が狙われたって事は、宵と貴船君も狙われてると思った方がいいよ」
「俺達3人が閻軍にいる事を知っていて、尚且つ邪魔に思う存在」
「
宵が言うと光世はコクリと頷いた。
「そう。史登君が言うには、暗殺者は朧軍の『斬血』っていう暗殺部隊だって。史登君、そういうの詳しいみたいでさ」
「『斬血』……なるほどな。ただ気になるのは、周大都督が
以前世話になった恩人である朧軍大都督の
「うん。私も周大都督の命令じゃないと思う。きっと他の誰かの命令……そうであって欲しい」
「いずれにせよ、厳島さんはもう外を出歩かない方がいい。街の警備を強化して暗殺者を捕まえよう」
「それじゃ駄目だよ。アイツは出て来ない。標的は私なんだから、私が街に出た時、アイツが動く」
光世の発言に、宵と桜史は目を見開いた。
「待って光世、もしかして、囮になろうとしてない? 絶対ここにいてたくさんの護衛を付けておいた方が安全だよ。外に出る必要はないよ」
「そうかもね。でもね、私が動かないと助からない人がいるの。それに、暗殺者を1人捕まえる事ができたら、他の暗殺者も捕まえられるかもしれない。ねえお願い。私に策があるの。董炎失脚計画には支障をきたさないようにするから、私を信じて」
光世は手のひらを合わせ、必死に懇願した。
「徐檣を助けたいんだね。具体的に、その策とやらを聞かせてよ、厳島さん」
「ちょっと、貴船君??」
光世の願いを聞き入れようとする桜史に、納得していない宵は横から口を挟む。
だが、桜史は宵の肩に手を置いた。
「まずは聞こう。どんな策なのか。それから判断しよう」
神妙な面持ちの桜史に諭された宵は、浮かない顔で頷いた。
「うん。ありがとう。まずは2人にお願いがある」
光世の真剣な表情に、宵と桜史は息を呑んだ。
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