第150話 牢の中の自分

 街の監獄を後にした宵一行。

 しかし、初めに監獄へ行ったメンバーと戻って来たメンバーは異なっていた。

 椻夏えんか李聞りぶんの屋敷の一室に戻って来たのは、宵と桜史おうし。そして鍾桂しょうけいの3人だけだ。

 光世はと言うと、今も監獄に残っている。

 宵が鍾桂を連れて帰ろうとした時、突然、徐檣じょしょうが大人らしからぬ大号泣をして喚き出したので、鍾桂の代わりに光世が残る事になったのだ。徐檣も光世が残るならと、渋々納得してくれた。

 鍾桂は宵の副官としての仕事があるので連れて行かないわけにはいかなかった。決して宵の個人的な感情で連れて来たわけではないのだが、徐檣の悲しみ方は尋常ではなく、とても宵の手には負えなかった。

 徐檣は光世だけには心を許していたようだったので、仕方なく、徐檣の事は光世に任せる事にした。光世もこれから董炎とうえん失脚の計略を進めていくのに必要な存在なので、いつまでも徐檣に付きっきりにさせるわけにはいかない。頃合を見計らってこっそり抜け出してくるようには伝えてある。



 今、李聞から与えられた宵の部屋には宵と桜史がいる。鍾桂は李聞の部屋に帰還の報告に行ってしまい部屋にはいない。

 桜史は落ち着かない様子で手に持った茶の入った湯呑みを人差し指でコツコツと叩いている。


「光世が心配なの?」


 宵が尋ねると桜史は小さく頷いた。


「うん。あの徐檣って子、気性が荒くて精神的にかなり不安定だよね。厳島さん大丈夫かな。あそこまで見た目がそっくりだと、変に感情移入して厳島さん自身もおかしくなっちゃったり……」


「光世は大丈夫だよ。一時期不安そうな時もあったけど、もういつもの頼りになる光世に戻ってるし。説得とか交渉なら口の上手い光世に任せとけば大丈夫だよ」


「心配なのは徐檣に対する事だけじゃない。悪人達がいる監獄に残して来ちゃったのもやっぱ失敗だったかな……って」


「監獄の囚人達はみんな牢屋の中にいるんだから大丈夫でしょ。それに、2人の護衛と光世専属の史登しとう君ていう若い兵士も残して来たんだし、平気だよー」


「ならいいんだけど」


 溜息をつき、桜史は茶を口に流し込んだ。

 宵自身、平静を装ってはいるが、徐檣に言われた言葉は忘れる事ができない。友達になろうと思って話し掛けたのに、城壁に頭を叩き付けるなどと凶悪な事を言われるとは思わなかった。

 徐檣が鍾桂にあれ程までに依存するようになっていたのも面白くはない。

 しばらくは引きずりそうだ。



 ずっと顔を曇らせたまま、光世を気にする桜史。宵は兼ねてからの疑問をぶつける。


「貴船君さ、そんなに光世が心配なの? 光世も幸せ者だなぁ、こんなに貴船君に想ってもらえるなんて」


「友達なんだから、心配するのは当たり前だよ。俺は瀬崎さんが厳島さんの立場だったとしても心配するよ。それは友達だから」


「単なる友達への心配ではない感じなんだよね〜。正直なところさ、光世の事好きでしょ? 貴船君。もちろん、女の子として」


 宵は微笑みながら茶を啜った。


「好きか嫌いかで言えば好きだよ。でもそれは恋愛感情じゃない。友達としてだ。俺は他に……好きな人がいるし……」


 桜史の告白に宵は驚きゴホゴホとむせ出した。


「え!? そうなの!? 私ずっと貴船君は光世の事好きなのかと思ってた!! ちなみに、誰なの? 大学の人? それともこっちの世界の人? 私の知ってる人?」


 興味津々に訊ねる宵から目を逸らした桜史の顔は真っ赤だった。こんな真面目で光世以外の女に興味を持たなかった桜史が、実はちゃんと恋愛していたとは。


「教えない」


「え〜、ヒントだけ頂戴よ〜」


 女子大生のノリの宵に困り果てる桜史。

 ──と、その時、部屋の戸が開いた。


「ただいま」


「あ、鍾桂君。お帰りなさい」


 やって来たのは李聞に帰還の報告をしに行っていた鍾桂だった。鍾桂は迷いなく宵の隣に腰を下ろした。


「李聞将軍が俺を宵の副官に命じたのは本当だったんだな」


「え、信じてなかったの?」


「いや、徐檣から俺を離す為の口実かと思ったんだよ。まさか俺が宵の副官に選ばれるなんて有り得ないと思ったからさ」


「何で有り得ないのよ?」


「俺はただの伍長だぞ? 校尉じゃない。それを軍師中郎将ちゅうろうしょうである宵の副官だなんて信じられるわけないじゃないか」


「でも、李聞将軍から直々に副官である事を聞いて来たなら信じるしかないよね? 宜しくね、鍾桂君」


 満面の笑みを見せ、宵は鍾桂の膝の上に置かれた手を握る。

 突然の事に固まる鍾桂。


「お邪魔かな。俺は部屋に戻るよ」


 2人の良い感じの空気を察してくれたのか、桜史は残りの茶を口の中に流し込むと腰を上げた。


「え、あ」


 宵が桜史を止めようとすると、廊下をドタバタと走る音が聞こえて来た。足音は近づいて来て部屋の前で止まった。


「軍師殿!」


 部屋の前で兵士が声を掛けて来たので、立ち上がっていた桜史が戸を開けた。


「報告! 金登目きんとうもく全耀ぜんようがそれぞれ3万を率いて椻夏に進軍している模様です!」


「え……もう来たの? しかも、今度は金登目……」


 朧軍の迅速過ぎる動きに、宵は大きな溜息をついた。まだ5日以上猶予はあると思っていたが、朧軍大都督・周殷しゅういんの動きは隙が全くない。


洪州こうしゅうではすでに水が引き行軍できるまでに地盤が回復しているのかもしれない。宵殿・・、すぐに軍議を」


「う、うん。行こう、鍾桂君」


 焦りを見せない桜史に言われ、宵は鍾桂と共に立ち上がる。光世の事はあーだこーだ言っていたのに、戦闘になると桜史は人が変わったかのように頼りになる。


 先に部屋を出て行った桜史に続き、宵は羽扇を持つと、鍾桂を従え城内の帷幕いばくへと向かった。



 ♢


 監獄にて、光世は牢の前で泣き疲れて大人しくなった徐檣を慰めていた。


「鍾桂は私のものだよね? 宵のじゃないよね?」


「宵のものじゃないけど、貴女のものでもないよ。鍾桂君は誰のものでもない。だから、ずーっと一緒にいる事はできないの。鍾桂君にもお仕事があるんだから」


「それじゃあ、鍾桂とはもう会えないの? 私はずっとここで一人ぼっちなの?」


「鍾桂君は優しいからまたここに来てくれるかもしれない。けど、貴女はここから当面の間は出られない。それは貴女が罪を犯したから。貴女が姜美将軍を襲わず、大人しくしていればこんなところに入る事もなかったの。本来なら死罪だった。今こうして生きているのが不思議な事なんだよ?」


 徐檣は袖で涙を拭った。


「うん。そうだ、鍾桂が言ってた。もう私はここから出られないかもしれないって……でも、やっぱり嫌だよ。鍾桂を抱き締めたい。ここにいたらそれができないもん」


「……徐檣は鍾桂君の事そんなに好きなの?」


「好き! 私に優しくしてくれた。姜美を殺すのに失敗して自決しようとした私を止めてくれた。この鍾桂への気持ちを抑えるのが辛い。今すぐにでも、鍾桂と交合まぐわいたい」


「え、まぐわ……そ、そう。でも、それはできないよ。たまに鍾桂君が来てくれた時に、お話して、手を握るくらいで我慢しなきゃ」


「我慢できないよ! 光世には分からないの? 好きな男の子への気持ちが抑えられない時のこのムラムラする感覚! 鍾桂が宵に連れて行かれた途端に……何故だろう、すっごいムラムラするの!」


 無知故に、そういう恥ずかしい事を平気で言うのだろう。そばに立っている史登は聞こえていないフリをして平然と立っているが、興味津々なのはバレバレだ。


「そんな事言っても私にはどうしてあげる事もできない。ごめんね、徐檣」


 光世の謝罪の言葉を聞いた徐檣は、もう全てに絶望したような悲壮な表情を浮かべ立ち上がった。


「分かったよ。もういい。行って」


 そう言って徐檣は牢屋の隅に行くと、膝を抱えて俯いてしまった。

 しばらくそっとしておくしかないだろう。光世とて何もしてあげられる事はない。


「また来るね、徐檣」


 光世の言葉に、徐檣が反応を示す事はなかった。


「史登君、行こう」


 光世は史登と少し離れた所に待機していた2人の護衛兵を連れ、監獄を後にした。



 ♢


 夕焼けが椻夏の空に新たな色を差した頃、浮かない顔で、光世は3人の護衛と共に椻夏の街を歩いていた。

 徐檣を牢から出してあげられる方法はないのだろうか。罪人とは言え、自分と同い歳で瓜二つの外見。感情移入しないでいられるはずがない。まるで牢の中に居るのが自分のように思える。

 だが、今は董炎失脚の計略を進める事が先決だ。残念ながら、徐檣を牢から出してあげる一計を案じている余裕はない。


「私って、使えない女かも……」


「そんな事ないです。光世先生は聡明なお方です」


 ポツリと独り言を言ったつもりだったが、史登はその独り言を拾い、優しい言葉を投げ掛けてくれた。人生経験も知識でも光世に劣る史登という青年兵だが、光世が何故落ち込んでいるのか察し、元気付けようと気遣ってくれる。

 そんな優しい史登に、光世はニコリと笑顔を向ける。


「ありがとう」


 史登は顔を真っ赤にして目を泳がせた。そんな可愛い歳下の兵士の存在に、光世の心は少しだけ軽くなった。


「あっ」


 その時、横を通り過ぎた町人の男が、青い麻の手拭いを落とした。

 光世はすぐにそれを拾う。


「あの、これ、落としましたよ?」


 光世が通り過ぎた男に声を掛けると、男は振り返り慌てて手拭いを受け取った。


「これはこれはご親切に。どうもありがとうございます。この手拭いは妻から貰ったもので、とても大切なものなのです。危うく失くすところでした」


 笑顔が気持ちがいい柔和な男。小綺麗な服を着ている。裕福な家の者のようだ。


「そうでしたか。失くさないように気を付けてくださいね」


「はい。あの、是非ともお礼をさせて頂きたいのですが、私の家にいらっしゃいませんか? 妻に料理を作らせますので」


「え、あぁ、そう……ですねぇ」


 光世が思案していると、史登が前に割り込んで来た。


「すみませんが、そのような時間は取れません。お気持ちだけで結構です。さ、行きましょう」


 史登に無理矢理会話を中断されて、光世はそのまま男と別れた。


「史登君、断るにしてももう少し丁寧にさぁ」


「いいんです。僕の役目は光世先生をお守りする事。あの男が光世先生に近付こうとしていた敵の間諜の可能性も大いにあるんですから。余計な接触は駄目ですよ」


 意外に危機管理能力の高い史登に光世は感心し、その凛々しい瞳を見つめた。だが、すぐにその瞳はキョロキョロと光世の視線から逃れようと泳ぎ出した。

 光世はクスリと笑った。




 ***


「光世に接触した」


 日も落ちた頃。椻夏城内の人通りのない暗闇の中の路地裏で、集まった2人の男の片割れが開口一番にそう言った。


「流石は牛朗ぎゅうろう。仕事が早い」


「女の特徴を聞いてすぐに分かった。小娘のくせに、偉そうに護衛を3人付けていたな。だが、護衛の存在で女が要人だという事は一目瞭然。これで標的の顔は覚えたぞ、魏昂ぎこう


 そこそこの服を着た小金持ち風の格好をした牛朗が無表情で言った。街で光世と話していた時の柔和な感じは一切ない。

 互いの顔は星々の輝きがなければ見えない程に辺りは闇に包まれている。牛朗の無表情がとても不気味に見えた。


「徐檣のいる監獄へは他の標的である2人と共に向かった。他の2人は先に監獄を出たが、光世だけは出て来なかった。何をしていたのかは知らんが、常に3人で行動しているわけではないのだな」


「1つ懸念がある」


「何だ?」


「光世に付いている護衛の1人の若い兵士だが、警戒心が強い。只者ではない気がするのだ」


「それは何者なのか気になるが、暗殺に支障はないのだろ?」


 牛朗は頷いた。


「無論だ。まずはその若い兵士を殺してから、光世を殺す。仕事は確実に。不安要素は取り除く」


「流石だ」


「それよりも、何故林定りんていのような新入りを使う?」


 腕を組み、牛朗は問うた。


「ああ、貴殿はまだ林定の仕事を見た事がないから分からないと思うが、奴の腕は確かだ。女に甘いだけ。必要であれば、年寄りも子供も殺す」


「だから奴に男を任せたというわけか。斬血ざんけつの2番手であるお前が言うなら信じよう。だが、林定がしくじるような事があればすぐに始末しろよ、魏昂」


「分かってる。まあ、俺が始末する前に自分で死ぬと思うがな」


「だといいがな」


 牛朗は闇に溶け込むようにその場から消えた。

 そして、魏昂も路地の闇の中へと消えた。

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