第148話 宵一行、椻夏に入る

 姜美きょうめい麒麟砦きりんさいに1日滞在しただけですぐに威峰山いほうざんへ出立した。

 麒麟砦の守将に選ばれたのは、姜美が連れて来ていた典瓊てんけい。典瓊はまだ部曲将であって校尉ではなかったが、荒水こうすいの堰を切って宵の水計を成功させた功績を認められ、麒麟砦の留守を任せると共に姜美が校尉へと昇格させた。


 姜美が発つのを見送ると、宵と光世、そして桜史の3人は、麒麟砦へ共に来た5人の兵士に、光世が連れて来た史登しとうという青年の新兵を加えた6人の護衛を引き連れて麒麟砦を発ち、舟で2日かけてついに椻夏えんかの手前までやって来た。

 椻夏周辺はだいぶ水も引いており、舟も使えなくなったので、途中から徒歩に切り替えて椻夏の城内へと入った。


 椻夏に着くと、すぐに李聞りぶんが護衛の兵達を引き連れ出迎えてくれた。


「久しぶりだな、宵、光世。また会えて嬉しいぞ」


「私もお会いできて嬉しいです、李聞将軍。将軍に昇進されたと姜美将軍に伺いました。おめでとうございます」


「ああ、肩書きだけだ。畏まる必要はない。ところで、そちらの青年は?」


 李聞は仰々しい宵と光世の拝礼を手で制すと、隣に佇む桜史に興味を示した。


「桜史と申します。元朧軍でしたが、威峰山の戦いにて、宵殿に破れ投降致しました」


 桜史は李聞へ仰々しい拝礼をした。


「李聞将軍、桜史殿は私と共に朧軍大都督の周殷しゅういんに仕えていました。顔見知りです」


「なるほど、朧軍のもう1人の軍師はキミだったのか。私は李聞と申す。以後お見知りおきを」


 初対面の桜史に、将軍である李聞は深々と頭を下げ拝礼を返した。


「そんな、将軍、私などに拝礼は不要です!」


「何を言うか。キミが桜史殿なら、尉遅太歳うっちたいさいを討ち取るのに一役買ったと聞いたぞ。キミが降将だろうが、肩書きがなかろうが関係あるまい。我々閻の仲間だ。さあ、皆、中へ入りなさい」


 李聞は快く桜史を受け入れ、城内へと導いてくれた。

 李聞の背中に再び頭を下げた桜史を、宵と光世は微笑ましそうに見守った。



 ♢


 宵一行は李聞の屋敷に案内され、そこで異国創始演義いこくそうしえんぎの事、董炎とうえん失脚の計略を李聞に話した。

 李聞になら、国を救う為のクーデターのような計画を聞いても宵達を咎めたりはしない。それだけは確信していた。


 召使いや護衛の兵士達も部屋の外に追いやり、完全に4人だけになった李聞の居室。1卓の机を挟み、4人は対面に座った。手を伸ばせば互いの肩に触れられる距離。

 李聞は口を開く。


「董炎を丞相から引きずり下ろすか。確かに、それができたなら閻帝国は変わるだろう。しかし、董炎がこれまで推し進めて来た農地改革はどうなる? あれ程の剛腕役人がいなくなれば、またかつての食料管理の出来ない大飢饉の時代に逆戻りしないか?」


 大きくもなければ小さくもない、絶妙な声のボリュームで話す李聞に応じたのは、作戦立案者の光世だった。


「農地改革に関しては董炎がいなくとも滞る事はありません。これまで通り農業に特化したまつりごとになるでしょう。何故なら、董炎の三女であり農業を司る大司農だいしのうの任に就いている董星とうせいが、こちらの味方だからです。長年の蝗害こうがいが収まったのは彼女の力だと聞きました」


「董星が国の根幹を支える農業を一挙に引き受けるのか。これまで董炎の指示に従い動いていただけの駒ではなかったのだな」


「董炎の子供達は皆有能です。それなりに長い期間閻の政を司って来ています。董炎がいなくなっても問題はないかと」


「そうか。お前が調べてそう言うのならそうなのだろうな。光世先生」


「あ、は、はい」


 突然の李聞からの先生呼びにドキッとした光世は照れ臭そうに無意味に髪の毛を弄り、あからさまに動揺していた。


「董炎の長男・董宙とうちゅう、長女・董陽とうよう。この2人は司空と司徒です。農政以外の政に関しては、この2人がいれば回るみたいですよ」


 茶と共に出されていた杏仁酥餅かんこもち というクッキーのような菓子を摘み、カリッとかじりながら、宵が言った。


「そうです。軍に関しては、反董炎の呂郭書りょかくしょ大都督を引き込めばいいですし」


 宵が遠慮なく菓子をかじり始めたのを見て、光世も宵の話を補足しながら、杏仁酥餅を1つ摘みカリッと音を立てて食べた。


「ただ、問題は、董炎の次女の董月とうげつがこちらに味方してくれるかどうかです。董月は尚書令しょうしょれいの役を担っています。これは皇帝への上奏文の管理など、皇帝との関わりが強く、万が一味方に引き込めなければ、我々の計画に支障をきたすかもしれません」


 1人菓子には手を付けず、正座した膝の上に手を置いたたまま桜史が言った。


「董月を味方に引き込む事は難しいのか?」


「間諜の清華せいかさんの話では、董月は兄妹の中でも気が強く董星とは気が合わないばかりか、父董炎を敬愛しているようなのです。故に董星にも董月あねがどう動くか読めないとの事です」


「それは、困ったな」


 李聞は顎髭を撫でながら溜息をつく。


「最悪、董月が董炎側ならば董炎諸共逮捕し罰を与える事になるでしょう」


 桜史の穏やかではない発言に、宵と光世は黙り込んだ。2人は穏便に済まそうとする手段を考えようとしているのだろうが、それができるとは限らない。閻を救う為に必要なら、悪に味方する者もまた悪。共に排除するしかない。桜史の意見に慈悲はなかった。


「分かった。ともかく、先程話してくれた計略は進めてくれ。軍師であるお前達3人の意見が一致したのなら、俺は止めはしない。俺は全力で椻夏を守るだけだ。それで良いのだな?」


「はい、李聞将軍。守りに徹し、決して打って出る必要はありません。その為に、今の内に兵糧と武器の備蓄をお願いいたします」


「心得た。光世先生の策に従う」


 李聞が快く光世の策を受け入れてくれた事に、光世はもちろん、宵と桜史の顔も自然と緩む。


「あ、李聞将軍。あの、鍾桂しょうけい君て、どこにいます?」


 話が一段落したので、宵が鍾桂の所在を訊ねると、光世がニヤリと笑った。


「鍾桂か。奴は街の監獄にいる」


「え? 監獄?」


「そうだ。姜将軍から聞いているとは思うが、姜将軍暗殺未遂の犯人の徐檣という女に付きっ切りだ。もう面倒を見る必要はないと言ったのだが、そばにいてやりたいと言うのでな。好きにさせてやっていたが、そろそろ戻って来てもらわんと困る」


「……徐檣に付きっ切り? そばにいてやりたい?」


 宵は不服そうに眉間に皺を寄せる。


「ちょうど良い。軍師が行って引っ張って来てやってくれ。俺の権限で鍾桂を軍師の副官にしてやる。仕事を与えれば鍾桂も戻って来るだろう」


「え! 鍾桂君を、副官に!?」


 宵は目の色を変えて立ち上がる。不服そうな顔は嘘のように消えてなくなり、代わりに何とも清々しい笑顔が溢れていた。


「ああ、まさかそれ程までに喜ぶとは思わなかったが……」


「よ、喜んでないですよ、別に」


「まあいい。屋敷内にいる下男を捕まえて街の監獄まで案内してもらうといい。それと、城内を歩く時は、しっかりと護衛の兵士を連れて行くのだぞ。麒麟砦から連れて来た護衛で構わん。姜美将軍のようにいつ何時なんどき襲われるか分からんからな」


「承知いたしました、李聞将軍! それではちょっと行ってきますね。ほら、2人共いくよ!」


「え、私達も行くの? ……仕方ない、行くよ、桜史殿」


「う、うん」


 意気揚々としているのは宵だけで、何故か光世も桜史もあまりに乗り気には見えなかった。



 ***


 椻夏城内。

 宵、光世、桜史の3人が護衛の兵士達を引き連れて街を横切り監獄の方へ向かうのを、建物の陰から見つめる男がいた。

 男は農民の格好をしており、宵達を確認すると、首に巻いた布で口元を隠し、その場から離れた。


 しばらくして男は街の中でも特に賑わっている市場へと現れた。

 人混みを縫い、キョロキョロと必死に何かを探す。

 そして、笠を被ったたきぎ売りの男が前から来るのを見付けるとわざと身体をぶつけた。薪売りが担いでいる天秤棒の両端に吊るされた薪の満載された籠がグラグラと揺れた。

 その瞬間、互いの視線が交差する。


「青、絹、半」


 農民の男がそう呟くと、薪売りの男は「気を付けろ」とだけ言って去って行った。


 それから半刻後。

 街の北にある絹織物屋の路地裏に農民の男と薪売りの男の姿があった。

 入り組んだ狭い路地裏は、普段人が近付くような場所ではない。足もとに鼠が数匹うろちょろ動き回っているだけだ。


魏昂ぎこう殿。麒麟砦から軍師3人が椻夏に入った。護衛は6人。ただの閻兵だ。3人は徐檣じょしょうのいる監獄へ向かったようだ」


 農民の格好の男が言うと、笠を被ったままの薪売りの魏昂は担いでいた薪の入った2つの籠を地面に下ろした。頬にまで蓄えた髭で隠れてはいるが、その頬に痛々しい十字の傷跡が薄らと見える。唇の右側も縦に斬られた傷跡がある。


「3人の軍師とは、楊良ようりょうもいるのか? 林定りんてい


 魏昂と林定。2人は金登目きんとうもくが椻夏の城内に潜り込ませた間諜兼暗殺者の集団『斬血ざんけつ』の一員。

 金登目が関わった戦の裏で必ず動いていた暗殺のプロ達だ。その正式な人数は不明だが、常に10人前後の暗殺者を有する。


「軍師の3人というのは、女が2人と男が1人だが、男は女と同じくらいの年頃の若者だ。おそらく、威峰山いほうざん逢隆ほうりゅうに付いていた桜史とかいう異国の者だ。楊良ではない」


「なるほど、やはり桜史は閻に寝返っていたか。女の内、1人は光世だな?」


 魏昂が訊くと、林定は頷く。


「ああ、髪の色からして間違いない。もう1人の女が最も頭のキレる軍師だろう。光世からはよいと呼ばれていた」


巴谷道はこくどう麒麟浦きりんほ景庸関けいようかん威峰山いほうざん。全ての戦場で我々朧軍を破ったのもその女というわけか。もしかすると、廖班りょうはんが賊を退けたのもその女の仕業なのだろうな」


「魏昂殿、どうする? 本当に殺すのか? 周大都督からは許可が出ていないと聞いたぞ」


「金将軍は朧王ろうおうから勅命を受けたのだ。大都督の許可など必要ない。殺さなければ俺達が消されるぞ、林定」


 感情の起伏が一切ない魏昂の冷静な言葉に、林定は渋い顔をして頭を掻く。


「しかし、標的の軍師はまだ若い女だ。男なら構わんがどうも女は……」


「殺せ。殺れぬと言うなら俺がお前を殺さねばならん」


「わ、分かった魏昂殿。ちゃんと殺す。朧が勝つ為に必要な事だからな」


 焦る林定に対し、やはり魏昂の方は感情が読み取れない。


「標的が3人ならばこちらも3人体制で動くぞ。ちょうど牛朗ぎゅうろうも近くにいる」


「え、牛朗の旦那も? そりゃ心強い」


「宵は俺が殺る。牛朗には光世を殺ってもらう。お前は桜史を殺れ。いざという時に女は殺せないだの言われては困るからな」


「あ、ああ、助かるよ」


「それと、金将軍からは徐檣を連れて帰れと命じられている」


「徐檣を? あの女は監獄にいるんだぞ? 姜美の暗殺にしくじってな。そんな危険を冒してまで救い出す必要があるか?」


「知らん。金将軍の命令は絶対だ。やれと言われたらやる。一々くだらん事まで考えるな」


「分かったよ、魏昂殿。もう何も言わねぇ」


「徐檣は俺が奪還し連れ帰る。お前は桜史暗殺だけを考えろ。いいな、林定。引き続き3人の行動を監視し、3人がバラバラになる刻を調べて報告しろ。殺すのは俺が命じてからだ。くれぐれも、早まるなよ」


「分かった」


 返事をした林定はすぐにその場から立ち去った。

 魏昂の姿はすでに消えていた。


 斯くして、金登目の特殊部隊『斬血』は、異世界から来た大学生軍師3人を殺す為、密かに動き始めた。


 無論、宵達はその事を知る由もない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る