第147話 麒麟砦で姜美と相見える

 麒麟砦きりんさいの2階の広間には、すでに厳島光世いつくしまみつよ貴船桜史きふねおうしが着席していた。そして、上座には姜美きょうめいが鎧兜を付けたまま、慎ましやかに座っていた。

 どうやら桜史と会うのが初めてなので、自身が女だという事を隠しているのだろう。そうでなくとも、すぐ近くには兵士達がいるので将軍然とした態度を取っていた方が良いだろう。


 姜美は宵の姿を見付けると、嬉しそうに微笑んだ。


「軍師殿! お久しぶりです。お会いしたかった。威峰山いほうざんではご活躍されたとか。さあ、お座りください」


 姜美が上座の近くの席を指したので、宵はそこへ腰を下ろした。席にはすでに湯気の立った茶が用意されていた。


「姜将軍、私の判断が遅かったばかりに、朧軍を取り逃してしまう事になり申し訳ございませんでした」


 開口一番、宵が謝罪の言葉を口にすると、姜美は怪訝な面持ちで首を横に振る。


「何を仰います? 我々は軍師殿のせいで敵を取り逃したなどとは思っていません。それに、李聞りぶん将軍も貴女と同じお考えをお持ちでした。完全に包囲して逃げ場のない敵を一方的に殺したくはなかったようです。お気になさらないでください」


「そうですか……ん? あ、あの、今『李聞将軍・・』と仰いましたか? 姜将軍」


「はい。あ、軍師殿はご存知ありませんでしたか。李聞りぶん将軍も私と同じ時期に将軍に昇格なさいました。朝廷は我々の働きを評価してくださっているようですよ」


「そうだったんですね。なら、椻夏えんかに行ったら李聞りぶん将軍をお祝いしてあげなきゃ」


「ああ、残念ながら、そんな雰囲気ではないかと」


「え? どういう事ですか?」


 宵が小首を傾げると、姜美きょうめいは光世の方を見た。宵も釣られて光世を見ると、何やら気まずそうに目を逸らされた。


「軍師殿がこちらにいらっしゃる前に、光世先生と桜史殿にはお話したのですが……軍師殿も徐檣じょしょうの事をご存知ですね?」


「はい。朧軍の徐畢じょひつの娘で、楊先生が椻夏に偽装投降させた武勇に優れた方だと。その徐檣がどうかしたんですか?」


「徐畢を殺した私の事を、大層恨んでいたようで、私が1人で沐浴している時に襲撃されました」


「え!? だ、大丈夫……だったんですよね?」


 驚きながら、姜美の身体を頭から爪先まで見てみたが、特に怪我している様子はなくピンピンしている。


「はい、信じられない強さで私はあと一歩のところまで追い詰められましたが、何とか説得に成功しましたので大きな怪我はありませんでした」


「それは不幸中の幸いでした。それで、徐檣じょしょうはどうなったんですか?」


「本来ならすぐに死罪なのですが、私から王礼おうれい将軍にお願いして命だけは助けてもらいました。椻夏の城内の牢に監禁しています」


「え……命を狙われたのに……意外です」


「徐檣は父親を殺されヤケになっていました。私が諭すと、自決しようとしたのですが、それを鍾桂しょうけいが止めたのです」


「鍾桂君が??」


「はい。私にも鍾桂が徐檣を助けた理由は分かります。彼女は心がとても幼い。歳はあなた方と同じ22だそうですが、精神年齢は10代前半くらいでしょうか? 故に感情だけで動き、父親の仇を取る事だけを目的に暴れていた。それが、あまりにも不憫に思えたのです」


 姜美きょうめいは悲しそうな顔をして俯いた。


徐檣じょしょうにはもう殺意はありません。だから命は取りませんでした。きっと生きて改心してくれる。そう思ったのです。だから、3人にお願いがあります。椻夏に着いたら、徐檣に会って話してあげてください。あの子には友達が必要です。1人ぼっちじゃないと教えてあげて欲しいのです」


 宵は真剣な眼差しを姜美に向ける。姜美も同様に真剣な眼差しを宵へと向けている。

 自分の命を狙った女を殺さないばかりか、友達を作ってあげようとまでする姜美の慈悲深さに、宵は敬服させられた。


「姜将軍がそう仰るのなら、椻夏に着いたら徐檣と話してみます」


 宵が答えると、姜美はホッとしたように微笑み、卓の上に出されていた茶を啜った。

 宵も茶を飲みながら一言も喋らない光世と桜史を見る。人見知りの桜史はともかく、社交的な光世が浮かない顔をして茶を啜っている状況は違和感を覚える。

 どうしたのかと、宵が声を掛けようとすると、姜美が朝廷の話題を出したので、宵は一先ず口を閉じた。


「光世先生の方は順調ですか? 清華せいかは元気にやっているのでしょうか?」


「あ、はい。順調と言えば順調……です。清華ちゃんが優秀なお陰で策が浮かびました」


「それは良かった。その策とやらをお聞かせ願えますか? 協力できる事があれば私も全力で協力します」


 やる気満々の姜美に、光世は襟を正す。


「ありがとうございます。ですが、今のところ、私の策では、姜将軍にはこれまで通り洪州こうしゅうの朧軍を抑えておいて頂きます。私が使うのは、“別のもの”です」


「なるほど。別のものですか」


「詳しい事は竹簡に書いておきました。この策は内密に進めなければなりません。朝廷に露見したら私達の命が危ないですから。費叡ひえい将軍にも内密にして頂きたいです」


 光世はそう言って立ち上がると、姜美の席まで1巻の竹簡を持って行き献上した。

 それを受け取った姜美はすぐに中を検める。

 真剣に竹簡を読み込む姜美。宵も光世も桜史も、姜美の反応を息を飲んで待つ。

 僅かな沈黙。すぐに姜美が顔を上げて目の前に直立する光世を見た。


「確かに、この内容は費叡将軍にはお伝えできません。費叡将軍の立場なら必ず却下しますね。故に、私の心の中に留めておきます。でも、これだけの事を、本当にあなた方3人でできますか?」


 姜美は3人の顔を順に見て言った。


威峰山いほうざんの楊先生に相談して進めていくつもりです。計略に関しては我々軍師団にお任せ頂ければと」


 光世の代わりに筆頭軍師である宵が毅然とした態度で答えた。

 それに呼応するように光世と桜史が頷く。


「分かりました。成功を祈ります。この策が成れば閻も朧も救われるのなら、私は止めません。ただ、椻夏に行ったら李聞りぶん将軍にはお話しておいてもいいかもしれません。強制はしませんが」


 姜美は竹簡を丸めると、微笑んで言った。


「ありがとうございます。李聞将軍にはお伝えしようと思っています。そして必ず、光世の考えた策を成功させます。それが閻と朧の戦を終わらせる為の私達の最後の仕事になるんですから」


「最後の仕事……ですか」


 そう呟いて姜美は一度目を伏せたが、また凛々しい目付きで顔を上げた。


「期待してます。閻と朧の平和の為に!」


 姜美が言うと、宵と光世と桜史の3人は拱手し声を揃えて「御意」と答えた。




 ***


 広間で光世の策を聞いた後、宵は光世と姜美きょうめいを誘い浴場へとやって来た。

 他の者に聞かれてはマズイ話をこっそりしたいからという理由もあるが、姜美と湯浴みをするという約束を果たす為でもある。清華せいかが一緒ではないのが残念だ。


 浴場は、薪を燃やすかまどと湯船の間に簡易な仕切りが作られていた。光世が1人で入浴する際に覗かれたくないからと兵士に作らせたらしい。

 もっとも、壁というよりは衝立に近く、扉が付いているわけではないので、覗こうと思えば覗けてしまう。故に、薪を燃やす係りの者は、女か下心のない紳士な男に限られる。光世は草食系の歳下の史登しとうという兵士を捕まえて竈を任せていたらしい。

 今回は適任の桜史がいるので、宵は桜史に頼み込んでかまどを任せた。宵の着替えを覗かなかった桜史になら安心して任せられる。


「さて、ここなら秘密のお話できますね。姜将軍の胸の傷が治ってて良かったです」


 3人が湯船に浸かると、宵がニコニコして言った。


「ええ。朧軍の包囲が思ったより長引いて戦闘がなかった事が幸いしましたね。お陰様でだいぶ回復しました。それで、話とは?」


 長い黒髪を頭頂部で纏めた姜美は、澄ました顔をして、自身の左胸の傷を触った。大きな乳房に、大きな傷跡が残り、とても痛々しい。せっかくの巨乳が傷物にされて、自分の事のように悔しいと、宵は自分の平べったい胸を押さえながら思った。


「実は、私達が元の世界へ帰る方法が分かりました」


「そうですか、それは良かった。この広い閻帝国で、あなた方3人が集まれたのもきっと運命なのでしょうね。やはり以前お話してくださった軍師殿の竹簡が鍵だったのですか?」


「はい。以前お話しました私の持つ不思議な竹簡、あれは『異国創始演義いこくそうしえんぎ』というもので、特殊な術が掛かった不思議な竹簡だったんです。竹簡に記された目標を達成すると文字が浮かび上がる。そうして文章を完成させた時にその完成した文章を声に出して読むと、身体が光に包まれて元の世界へ帰れるらしいんです」


「なるほど、人智を超えた不思議な竹簡。私もあなた方の世界へ行けたりして」


 久しぶりに姜美は冗談を言った。クスクスと笑う様子は宵たちの世界の女の子と変わらない。本当に姜美が宵たちの世界に来ても何ら問題ない気がする。だが、きっとそういうわけにはいかないだろう。


「気軽に行き来できたらいいんですけど、どうやらそれはできなさそうなんです。実は私の竹簡は、私しか帰れないかもしれなくて、光世は光世で光世自身の異国創始演義を探さないといけないかもなんです……」


「そうなんですか……それじゃぁ桜史殿も?」


 心配そうな顔で姜美は衝立の方を見る。


「桜史殿は微妙なところなんですよね。ここへ来る時も、たまたま光世に触れていて一緒に転移したって感じだったみたいなので……」


「なら、帰りも光世先生に触れていれば帰れるのでしょうか?」


「それが……確証がなくて」


「どちらにしろ、俺は厳島さんが帰れないかもしれないなら一緒にこっちに残るからいいよ」


 衝立の後ろから、姿の見えない桜史が言った。


「有難いけどさ、貴船君。帰れる時に帰った方がいいよ。帰れる機会を逃して、永遠に帰れなくなる事だってあるかもしれない。何が起こるか分からないんだからさ」


「でも俺は……」


「私も、帰れる時に帰った方がいいと思いますよ、桜史殿」


 桜史の言葉を遮って姜美が言う。


「万が一、光世先生だけ帰れないなんて事があれば、その時は、私が光世先生の面倒をみさせてもらいます。もし光世先生を見捨てるような事があれば、徐畢じょひつ将軍に顔向けできません」


 かつて姜美は、徐畢との戦闘で、薄れゆく意識の中、徐畢から光世を託されたと言っていた。光世がその友人と出会えるように協力してやってくれと言った事を、姜美はその約束を果たした今でもまだ守ろうと考えているようだ。義に厚い姜美。その姿勢は、まさに一軍を率いる将軍の器に相応しい。

 宵が広間に来る前にすでに姜美と徐畢の繋がりを話していたのか、桜史はそれ以上は野暮になるとおもったようで再び黙り込んだ。竹筒に息を吹き込む音が微かに聞こえる。


「ところで、軍師殿。竹簡の文章が完成するには目標の達成が必要と言っていましたね? 目標は達成できそうなのですか?」


 痛いところを突かれて、宵は毛先を弄りながら目を逸らす。


「実は……まだなんですよね……はぁ……目標が何なのか、見当もつかない。だから達成のしようがないんです」


 溜息をつく宵を見て、姜美は立ち上がった。

 スタイル抜群の大人な裸体が宵と光世の前に晒された。


「焦る必要はありませんよ。軍師殿。きっと今を生きていけば、自然と目標は達成されるかもしれません。まずは閻と朧の戦を終わらせてしまいましょう。さ、立って。お背中を流して差し上げます」


 前向きな姜美の言葉に、宵のしょんぼりした顔には自然に笑みが戻った。

 宵も立ち上がり、姜美に続き湯船を出た。


「ありがとうございます。姜将軍はいつも前向きですね! ほんと、尊敬してます!」


「私は軍師殿を尊敬していますよ」


「えー? 相思相愛って事ですか?」


「そうですよ」


「そうですよ!?」


 冗談で言ったつもりが、姜美は真面目な顔をして答えるので宵は半歩引いた。

 思い返せば、出会った頃にはすでに「一緒に寝よう」と誘われたていた。男として生きてきた姜美だから恋愛対象は女性であっても不思議ではない。しかしながら、田燦でんさんともいい感じだったような気もするので、どちらもいける口なのかもしれない。


「あの〜お二人とも、私は貴女達をどんな気持ちで眺めれば良いのでしょうかー?」


 湯に浸かったまま湯船の縁に両手を置いた光世が、退屈そうな様子で言った。


「別に微笑ましく見守ってくれればいいよぉ」


「光世先生もお背中流しますからこっちにいらしてください」


「え、あ、ありがとうございます。貴船君、絶対覗くなよ」


「覗かないよ、興味ないから」


「それはそれでちょっとショックだなぁ」


 光世が不服そうに言ったので、宵と姜美は可笑しくてケラケラと笑った。

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