第8章 暗殺部隊・斬血襲来
第145話 嬉し過ぎる! 武経七書ゼミ合流!
宵にとっては懐かしい場所であるが、桜史は初めての場所だ。
1階部分は内部にも、まだ茶色く濁った泥水が浸水しており、排水作業をしている兵士達の膝くらいの深さがあった。
一応舟でも入れるが、兵士達は2階部分から下ろした梯子を使い丸太を組んだ4丈 (約9m)の木製の防壁の上に登り中へと入っているようだ。
宵と桜史も舟を防壁に寄せてもらい、そこから梯子を使って麒麟砦へと入場する事にした。
梯子に手を掛けると、宵は先行してすいすいと登って行く。
「凄いね、瀬崎さん。怖くないの? 結構高い壁だよ」
「怖くないわけじゃないけど、
上を向いてさっさと登って行ってしまう宵の逞しさに見とれていた桜史だったが、自分も負けていられないと宵に続き梯子を登り始める。
微風が宵の
「あ、桜史殿! 私が登り切るまで絶対上見ちゃ駄目だからね。シャレにならないから」
「え? どうし……て……」
「え? 桜史殿!? 何その反応?? まさか上見たんじゃないでしょうね??」
「いや、見てない。
「
桜史が明らかに見た後の反応をするので、宵は顔を真っ赤にしながらも何とか梯子を登り切った。もし、見えていたのなら、宵は下着を穿いていないのだから本当にシャレにならない。桜史なら解ってくれると思うが、女性が下着を穿かないのは文化なのであって、決して宵がそういう趣味なわけではない。
防壁の上には哨戒の兵士達がおり、久しぶりに目の当たりにした麗しい宵の姿に歓喜の声を上げている。
そこへ桜史も梯子を登りきり防壁の上へと降り立った。
宵は兵士達に軽く挨拶をすると、すぐに桜史の顔色を窺う。
「正直に言って、怒らないから」
「だから、見てないって」
目を合わせない桜史。それどころか宵の顔すら見ずに、遠くの景色を眺める
「よし! 行こうか、宵殿。光世殿のもとへ」
完全に切り替えた桜史の真面目過ぎる態度は、宵にとっては何だかあまり面白くない。子供のように頬を膨らませながら、宵は光世の部屋へ、桜史と共に向かった。
♢
机に乗り切らずに山積みになった竹簡が、
清華は誠に有能である。清華のもたらす情報がなければ、光世は何もする事ができなかった。報告の度に卑猥な事を聞いてくるような下品なところを除けば完璧だ。
「あ〜疲れたなぁ」
1人しかいない部屋で、声に出して伸びをする。
と、そこへ、見張りの兵士が「お客様です」と言うので、その客人とやらを部屋に通すよう指示を出す。
だが、部屋に入って来たその客人を見て、光世は思わず立ち上がった。
「宵!!?」
「光世〜! ただいま〜」
フワフワとした気の抜けた喋り方は紛れもなく瀬崎宵。帰って来るという連絡を受けていなかったので驚いたのはもちろんの事、親友が無事だった事、そして再会できた事で、光世の顔にはすぐに満面の笑みが溢れた。
宵はトコトコと光世の前まで来ると、嬉しそうにニコリと微笑み、光世へと飛び込んだ。
それを柔らかな胸で受け、小動物のような宵を光世は優しく抱きとめた。
「光世〜! 元気そうで良かった〜、嬉し過ぎる〜」
「ちょっと待ってよ宵、戻るって聞いてないぞ〜? どうしたの?」
「うん、ごめん。軍の編成をする事になってね、軍師と将軍が威峰山と椻夏で一部交換になるの。私達3人は椻夏に行く事になったから、一度光世と合流する為に戻って来たんだ。異動は一昨日決まった事だったからさ、伝令送るより直接来ちゃった方が早いと思って連絡しなかったの」
「あ、そうなんだ。それはいいんだけどさ、3人て? 宵と私と、後は?」
「ん? 決まってんじゃん。おーい入って来ていいよー」
宵が呼ぶと、部屋の外で待機していたのか、すぐに文官の男が1人部屋に入って来た。
「や、やあ、厳島さん。久しぶり。元気そうで……何より」
「貴船君!!」
宵を抱き締めたまま、光世は目を
朧軍で別れたきり会えなかった貴船桜史。宵から、威峰山を奪還した時に桜史も味方に引き込んだという連絡は受けていたので、威峰山にいる事は知っていた。
だが、宵同様、ここへ桜史が来る事は聞いていなかった為、突然の再会に光世と桜史は互いに言葉を失った。
「これでようやく3人揃ったね」
そんな空気を、明るく微笑む宵が変えた。
宵の笑顔を見た光世は、心に詰まっていた思いの丈を少しずつ吐露していく。
「貴船君も、無事で良かった。別れてから、ずっと心配してたんだよ。キミの事、考えない日はなかったよ」
「俺も……」
光世は結構大胆な事を口にしたが、桜史は自分の感情を上手く言葉にできないようで会話が続かない。
そこで宵は、桜史を手招きして呼ぶ。
「せっかくのおめでたい3人の再会なんだからさ〜もっと明るくしよ? 貴船君、ここ代わるから、光世とギューってしていいよ」
「はぁ!? 何言ってんの宵?」
光世は呆れたように言うが、宵は至って真面目な発言だと言わんばかりにニコニコしながら光世から離れ、桜史に光世の胸へ飛び込めと手で示す。
「俺はいいよ」
頬を染め、照れくさそうにそっぽを向く桜史。だが、光世は襟を直し両手を横に広げた。
「よ、宵の言う通り、せっかくの再会だから……その、今回だけ、今回だけ特別に、ハグを許可しよう」
意を決した光世は桜史同様頬を染めて言った。
「い、いや、無理無理」
「む、無理とは何か? ちゃんとお風呂入ってるぞ!」
「そういう事じゃなくて、恥ずかしいから……」
それでも嫌がる桜史に、光世は自分から近づいて行く。
宵は腰に挿していた羽扇を手に取り、ニヤついた口元を隠すと、興味津々に光世と桜史の絡みを観察する。
「私に恥をかかせるつもり? はい、捕まえた。お帰り、貴船君」
光世に捕まり抱き締められた桜史は目を見開いて固まってしまった。無理もない。宵より2周り以上大きな胸が身体に押し当てられているのだ。男の桜史には堪らない褒美だろう。
だが、桜史も次第に適応してきたのか、光世へ優しく腕を回した。
互いが互いを抱き締め合っている。
まさに恋人同士。キスまで発展しそうな雰囲気だ。いや、宵がこの場にいなければしていたかもしれない。
宵がそんな光景をキュンキュンしながら見ていると、2人のハグが中々終わろうとしない事に気付いた。
「あれ、あの、ちょっと長くない? 友達同士のハグのノリのつもりだったんだけど……もしもーし」
宵の声は聞こえていないようで、そのまま光世と桜史は抱き締め合う。
「あ〜もう、ガチの奴は私が見てないところでやってよぉ! 今は3人の再会を喜ぶところでしょ!」
少しムッとした宵は、抱き合う光世と桜史を更に抱き締めるように飛び付いた。それでようやく光世と桜史は我に返る。
「あ、ご、ごめん! で、でもさ、やっぱ、この広い閻帝国で、こうして3人が出会えるなんて、ほんと、奇跡だよね! 宵、貴船君」
「光世が真っ先に私の存在に気付いてくれたからだよ。私に会う為に、
「それを言うなら、俺に“七歩の詩”で存在を気付かせてくれた瀬崎さんの力も大きいよ。お陰でこっちも威峰山で合流できるよう手回しできたんだから」
「それじぁ、皆が頑張ったからって事で!」
宵がまとめると、光世も桜史も頷く。そして、3人はゆっくりと離れ、互いの顔を見る。
3人の互いに会おうとする努力がなければ、この再会は有り得なかった。よくここまで来れた。長い道のりだった。そう思ったら、宵の瞳からは涙がポロリと零れ落ちていた。
「また宵ちゃん泣いちゃったよ〜」
茶化す光世。涙を流してはいるが、宵の顔は笑顔に満ち溢れていた。
♢
「そっか、やっぱり宵の予想通り、その竹簡が元の世界に戻る鍵なんだね」
再会の喜びを分かち合った3人は、そのまま光世の部屋にて、元の世界に戻る方法『
そして、机の上に広げた異国創始演義を見て光世は茶色い髪を弄りながら思案する。
「異国創始演義……そんな物が、私達の世界に存在していたんだね。世界を創り出す書物だなんて、よく今まで世間に知れ渡らなかったね」
光世の意見はもっともだ。本当に宵達の世界に別の世界を創り出す事のできる術があるのなら、今まで話題にならなかったのはおかしい。中国で発見された異国創始演義を、宵の祖父・潤一郎が持っていた経緯も良く分からない。
帰る方法が見付かって浮かれていた宵は、そんな疑問を持つ事はなかったが、光世は至って冷静に分析する。
「ま、まあ、それはそうと、これで3人元の世界に戻る算段は付いたんだからいいじゃない」
「うん、でもさ、気になる事があるんだよね」
「何? 光世」
「宵はその異国創始演義に書かれている目標を達成すれば帰れるのかもしれないけどさ、私と貴船君の帰る方法は本当に宵に触れているだけでなのかな?」
光世のその疑問を聞いて、一瞬にして宵を不安が襲う。
「え? ……どういう事?」
「貴船君は私に巻き込まれる形でこっちに来ちゃったから、私か宵に触れてれば帰れるって言うのは、まあ分かる」
「うん」
「でもさ、私は宵と同じで竹簡を読んでこっちに来たわけだから、私にも帰還の為の達成目標が書かれた竹簡があるんじゃないかなぁって思うんだ」
「……え? そんな……で、でも持ってないんだよね? 竹簡」
「うん。持ってない。だから解せないのよね」
笑顔のない光世を見て、宵は不安そうに羽扇の羽根を撫でる。
「実は、厳島さんの危惧している事は俺も思ってた」
光世の話を黙って聞いていた桜史が口を開いた。
桜史の表情も明るくはない。
「俺と厳島さんは朧国で倒れていたところを、朧兵によって周大都督の元に連れて行かれた。もしかしたら、近くに厳島さんの帰還の鍵となる異国創始演義が落ちていたかもしれない」
「そう。もし落ちていたのなら、兵士が見付けて拾う筈だけど、宵の物と同じく何も書かれていない竹簡なら拾っても特に周大都督に報告しないだろうし、そもそも拾わないかもしれない」
「仮に拾ったとしても、何も書いていないなら拾った兵士が私用で使ったり、最悪捨てる可能性もあるよな」
桜史が言うと光世は頷く。
「私の異国創始演義が存在してもしなくても、宵に触れば帰れるっていう話はちょっと完全に信じるのは危険かな……」
「……そう……だね……」
ガックリと肩を落とした宵は、自分だけが確実に帰れるからと言って浮かれていた事を今更ながら反省した。
万が一、光世と桜史の想像通り、光世用の異国創始演義があるとすれば、それを手に入れなければ桜史はともかく、光世はこの世界から帰れない。そうなってくると、宵も意気揚々と帰還する事なんてできはしない。そうなってくると、桜史が帰る方法も怪しくなってくる。本当に触れるだけで帰れるのだろうか。
宵のしょんぼりした顔を見た光世はニコリと微笑む。
「宵と貴船君は先に帰ってよ。帰ったら、司馬教授にこの状況を話して、私が帰れる方法を探してよ。それまで私はこっちの世界で暮らすからさ。大丈夫! こっちには
「厳島さんが残るなら俺も残るよ。厳島さん1人を置いて帰る事なんてできない」
「貴船君……」
光世は桜史の言葉を聞いて複雑そうな表情を浮かべる。
「そんな……駄目だよ。帰る時は3人一緒」
何とかしたい一心で宵が言うが、光世は首を横に振った。
「ううん。私のせいで宵が帰れなくなったんじゃ、宵を助ける為にここまで頑張ってきた意味がなくなっちゃう。だから宵も貴船君も帰っていいから」
「そんなの──」
まだ話を続けようとする宵と桜史を、光世は手で制した。
「それよりさ、聞いてよ。董炎と朝廷の事について結構分かったからさ。私と清華ちゃんの仕事の進捗を聞いてもらおうじゃないの」
急にテンションを上げて光世が話題を変えた。
もう宵も桜史も、光世の帰還方法について議論できる雰囲気ではなくなってしまった。
***
烏黒城にて、大都督
議場には、身長1丈 (約2.3m)はあろうかという熊のような大男、
「ところで、
周殷が言うと、尉遅毅が拱手して発言する。
「お言葉ですが、大都督。その楊良は、我が従弟の
野獣的な荒々しい見た目に似合わず、知性的な話し方をする尉遅毅に、金登目が割り込む。
「待て尉遅将軍。いくら貴殿でも、兵法を知る者には正面から行っても勝ち目はあるまい。己より頭の良い者とはまともに戦ってはならぬ。影から忍び寄り、誰にも気付かれないうちに暗殺する。閻には頭のキレる女軍師もいるそうではないか。俺の部下の刺客を使えば、簡単に始末できる。兵を犠牲にする必要はない」
暗殺という言葉を聞いた周殷は鋭い目付きで金登目を睨む。
「いや、金将軍。暗殺はなしだ。我々は閻帝国に戦を仕掛けたのだ。そしてお前達をここへ呼んだのは、戦場で戦ってもらう為だ。敵の要人を暗殺させる為ではない」
「大都督。戦に勝つ為に必要な暗殺だとしても、やってはならぬと?」
「ああ、そうだ金将軍。金将軍も尉遅将軍も、戦では負け無しではないか。例え相手が兵法を心得ていようと神ではない。同じ人間だ。人間であれば必ずどこかに隙を見せる。その隙を突き、軍隊の力で捩じ伏せるのがお前達軍人の仕事だ。事実、鶏陵の包囲を見て分かっただろ。せっかく追い詰めた黄旺将軍と全燿将軍を殺さずに投降するまで包囲を続けていた。閻軍の中には、極力人を殺さずに投降させようとしている者が指揮官の中にいる。その者の甘さのせいで、朧軍の有能な将軍2名を討ち取る最大の機会を逸した。誠に愚かな事である。故に黄旺将軍と全燿将軍を助け出す事ができた。お前達は敵のその甘さを突いて攻撃をすればいい。分かったな?」
「「御意!」」
「宜しい。では、今後の戦略の軍の配置は先程話した通りだ。全員すぐに準備に取り掛かれ」
周殷がそう軍議を締め括ると、将校達は皆部屋から出て行った。
周殷も退室したので、全燿も踵を返した。
だが、金登目だけが部屋に残っており、顎に指を添えて何かを考えていた。
帰ろうとしていた全燿は気になって金登目に話し掛ける。金登目とはこの日会うのが初めてだ。もちろん、『大刀旋風』と呼ばれて異民族から恐れられているという噂くらいは知っている。だが、実際この男がどういう男なのかはまだ知らない。
「如何いたした? 金将軍」
「いや、何でもない」
金登目は微かに笑いながら首を横に振った。
「それより、黄旺将軍のお加減はどうなのだ? 鶏陵から戻った後体調を崩し寝込んだと聞いたが」
「万夫不当の豪傑とは言え、もうお歳ですからね。数日間兵糧が尽きた状態での包囲は堪えるでしょう」
「そうか。歳は取りたくないものだな。全燿将軍も同じく包囲を受けていたのだろ? 少し休んだらどうだ」
「いえ、
「戦友の娘か。本来の『董炎討伐』そして『閻の民の解放』という目的ではなくなっているな」
「戦う理由は人それぞれという事です」
「分かった。貴殿が徐檣という娘を助けたいと思っている事は頭に入れておこう。俺の手の者は、既に椻夏に複数名いる」
「それはどういう意味でしょうか?」
全燿は眉をひそめて訊ねる。
「俺は効率的に物事を進めたいのだ」
不敵な笑みを浮かべて、金登目は部屋を後にした。
1人になった全燿は、金登目という男の不気味さにゾッとするものを感じたが、同時に心強さを感じたのだった。
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