第142話 瀬崎潤一郎

 宵が広げた竹簡を見た楊良の反応。それは、至って冷静であったが、微かに笑みを浮かべたのを宵は見逃さなかった。


「この竹簡について、何かご存知ではないでしょうか?」


 宵は敢えて、この竹簡が祖父・瀬崎潤一郎せざきじゅんいちろうのものである事と自然に文字が浮かび上がるという事を伏せて閻仙・楊良に訊いた。


「触っても?」


「どうぞ」


 楊良は竹簡を手に取ると、しげしげとその文章を眺め、文字が書いてある部分を指でなぞった。


「不思議な文章だな。後半の文章が所々歯抜けになっている。これをどこで?」


「私の、死んだ祖父の遺した竹簡です」


 楊良は右手で口元を押さえると、感慨深そうにまた竹簡を眺めた。


「死んだ……祖父」


 その様子に宵と桜史は顔を見合せ首を傾げる。


「あの……楊先生?」


「この文字は自然に浮かび上がった。そうだな? 宵殿」


「え!? そうです!! て事は、やはり楊先生、この竹簡の事知ってるんですね??」


「ああ。知っている。『異国創始演義いこくそうしえんぎ』だ」


 その返事に、宵と桜史は再び顔を見合わせる。


「教えてください! この竹簡は何なんですか? 何故自然に文字が浮かび上がるんですか??」


「まあ、落ち着きなさい。宵殿。この竹簡の話をする前に、儂も其方に聞きたい事がある。以前梟郡きょうぐん衙門がもんで尋ねた時ははぐらかされてしまったからな。其方は何処から来たのだ?」


 核心を突く楊良の質問に、宵は1つ息を吐いた。


「信じてもらえないと思いますが、私は……この世界の人間ではありません。別の世界の『日本』という国から来ました。この竹簡を読んだら、突然意識を失って……気が付いたらこの世界にいたんです。桜史殿もそうです」


 この世界の人間ではない。そんな馬鹿げた事を口にしたが、楊良はまるで驚かなかった。やはり、信じていないようだ。

 そう思った宵だったが、次の瞬間見せた楊良の反応は意外なものだった。これまで宵がこの世界に来た経緯を話して来た人々とは異なる、初めての反応。


「日本。やはりそうか。儂に話してくれて感謝する。瀬崎宵せざきよい殿」


「え……!? 何で……私の苗字を知って……」


「其方は言ったであろう? この竹簡は死んだ祖父のものだと。この竹簡の持ち主は瀬崎潤一郎せざきじゅんいちろう。その孫娘ならば、姓は瀬崎」


「おじいちゃんを……知ってるんですか???」


 何かが繋がったような気がした。何が繋がったのかは分からない。ただ、宵の紫紺の綺麗な瞳は、涙でキラキラと光っていた。

 楊良は右手で顎髭を撫でながら頷く。


「知っている。儂が潤一郎先生に会ったのは若い頃だった。儂の兵法も潤一郎先生にご教授頂いたものだ。もうお亡くなりになっていたとは……」


「……そうだったんですね。おじいちゃんは、この世界に来た事があったんですね。あの、楊先生。おじいちゃんの事を……この竹簡の事を……教えてください」


 楊良は宵の願いを聞くと、また竹簡に触れた。そして、懐かしそうな眼差しで当時の事を語り始めた。



 ~~~


 40年ほど前。

 まだ20代だった楊良は、儒学の道に進んでいた。

 貧しい家庭で育った楊良は、歳上の儒学者に教えを乞いながら、朝な夕な都・秦安しんあんの市場で客の壊れた草履を修理する仕事をしてその日の食費を稼ぎ、何とか生きていた。

 両親は共に数年前に死んだ。栄養失調だった。僅かな稼ぎで食わせてもらえる食事を、ほとんど楊良に与えてくれた事で自分達は満足に食えていなかったのだ。

 当時はまだ董炎とうえんが政権を握る前だった為、農地は荒れ放題。民に対する最低限の食料の保証という制度もなかった。

 民にしてみれば地獄だった。運が悪ければ簡単に死ぬ。だから楊良は、時の皇帝・儒帝に取り立ててもらえるように儒学者を目指したのだ。

 儒帝は元々儒学者だった。儒教を閻帝国の国教にしたのは儒帝で、儒帝は役人を儒学者から選び朝廷で働かせた。

 裕福だろうが貧しかろうが関係ない。ただ儒学者であれば朝廷の役人になれた。もちろん、儒学者の中からさらに素行の良い者を選りすぐるので、儒学者になれさえすればいいというわけではないのだが、少し頭の良かった楊良は、一生食い扶持に困らないよう、勉学に励み儒学者を目指す事にしたのだ。


 だが、儒学を学んでいる内に気付いた。

 儒学で人々が救えるのだろうか、と。

 朝廷に儒学者が溢れている現状、それで貧しい民は救われるのか。答えは否だった。

 儒教の教えにある基本的な考え方、五常 (仁・義・礼・智・信)を重んじる者達がまつりごとをしても、貧富の差は埋まっていない。ただ儒学を学んだ者が皇帝に気に入られて働き口が見付かり一生安泰に暮らせるだけ。儒学を学べなかった者は父や母と同じように腹を空かせて死ぬ。その負の連鎖からは抜け出せない。自分だけが幸せになれればいいのか? それは儒教の教えに反するのではないか? 楊良は儒学を学ぶ内に、現実と理想の乖離に疑問を抱くようになった。


 そんな時だった。

 見た事もない髪型をした年配の男がやって来た。草履を直してくれと、市場でいつものように儒学の教えの書かれた竹簡を読んで客を待っていた楊良を訪ねて来たのだ。

 髷を結わない短髪の髪型以外は、閻服を纏っているので閻人に見える。だが、楊良にはその男が只者ではないと感じずにはいられなかった。


「ああ、この髪型か? ここでは不思議だろ。私は勉強しながら旅をしていてね。つい先日閻帝国に来たんだ。君も勉強かい? ……なるほど、君も儒学者になりたいクチか」


 その男は人当たりが良く、儒学の竹簡を持って不審そうに見つめる楊良にも笑顔で接してくれた。


「貴方も儒学を?」


「いや、違うよ。私が学んでいるのは『兵法』だ」


「兵法……?」


 この国では遥か古の時代に廃れたという学問の名を久しぶりに聞いて、楊良は興味を惹き付けられた。


「兵法って言うのはね、簡単に言うと、戦が起きた時に相手にどうやって勝つかという事を学ぶ学問さ」


「戦……って、そんなの平和な閻帝国にはもう関係ない話ですよ。だから大昔に廃れたんです。そんなの学んでどうするんですか?」


 楊良の問に男はニコリと微笑むと腰を下ろした。


「この先ずっと戦が起きない保証はないよ。私は歴史学もやるんだが、1つの戦が終わっても、また新たな争いが生まれ戦となる。そして、多くの人々が犠牲になり死ぬ事になる。兵法は、戦を防ぐ術、戦になった時に被害を最小限に抑え、相手を退ける術、そんな事が理論として書いてある。兵法を知らない国が、兵法を知る国に攻められたら、どっちが勝つだろうか」


「そりゃ、兵法を知る国が勝つだろうけど……でも、兵隊の数が多ければ、そんなの関係ないですよ」


「甘い、甘いよ青年。兵法にはね、少数の兵で何倍もの敵軍に勝つ術も書かれているんだ」


「そんな……有り得ない」


「そっか」


 楊良が疑心に満ちた目で言うと、男はすくっと立ち上がった。


「まあ、興味がないならそれはそれで構わない。私は別に興味のない者に兵法を布教しに来たわけじゃない。さ、銭は払うから草履を直してくれよ。ここに来て買った草履がハズレでさ。とんだ粗悪品だったんだ。もうボロボロだよ」


 そう言って男は片方の襤褸の草履を吐いた足を差し出す。

 不思議な男だった。珍しい学問を押し付けて来るのかと思ったがそうではない。しかも、この男が言う兵法という学問には底知れない可能性を感じる。

 話を聴くだけなら。楊良はそう思った。


「あ、あの、お代はいいんで、その……兵法って言うのを少しだけ教えてくれませんか?」


「あれ? 興味あるの? 全然、構わないよ。まさか兵法を教えるだけで草履がタダで直るとは」


 楊良の申し出に、男は嬉しそうに笑った。


「私は瀬崎潤一郎。キミは?」


 潤一郎が訊くと、楊良は立ち上がり拱手と共に頭を下げた。


「姓は楊、名を良。あざな子堯しぎょうと申します」


 それが、楊良と瀬崎潤一郎との出会いだった。


 ♢


 それから楊良は潤一郎を今は1人で暮らす荒屋あばらやに迎え、兵法を学んだ。

 初めは半信半疑だった楊良だったが、兵法を学ぶ内に、この学問が人々の為に役立つものだと確信した。潤一郎の言う通り、戦が起きた後の事はもちろん、戦を回避する為の理論も兵法には記述があった。兵法を知る者がいれば、いつ起こるか分からない戦を回避できる。例え戦が起こっても、被害を最小限に抑え敵国を退けられる。そんな兵法の魅力に楊良は取り憑かれ、潤一郎から学べる事はすべて吸収していった。儒学の事など、とうに忘れていた。


 そして、1年の歳月が過ぎ、潤一郎が楊良から学べる事をすべて伝え終わったある日、潤一郎は言った。


「さて、子堯よ。私の教えられる事はすべて教えた。後は己で兵法の道を究めるんだ」


「何を言っておられます、先生。私はまだ未熟者、1人で奥深い兵法を究めるなど……」


「いや、たった1年余の期間で私の学んで来た事を理解したお前には才能がある。この国に兵法を広め、万が一の時に人々を救いなさい。私はそろそろ帰らねばならない。可愛い孫娘が待っているからな」


「お孫さんがいらっしゃったのですか……なら、仕方がありません。私などが引き止める道理はない。寂しいですが……。しかし、先生、そう言えば貴方の事を詳しく聞いた事がなかった。一体何という国からやって来たのですか? もし、私が出世した折には、先生の祖国へ行ってみたいと思いまして」


「残念ながら、子堯。お前は私の国には来れない」


「そんなに遠いのですか? しかし、先生がここへ来れたのなら、私が行けない事はないかと……道は繋がっているのですから」


「無理だ。実はな。私はこの世界の人間ではないのだ。別の世界の日本という国から来た」


「どういう……?」


 すると潤一郎は自らの荷物の中から1つの竹簡を取り出して机の上に広げて見せた。


「これは?」


「この竹簡は『異国創始演義』と言ってな、私の世界にある中国という国で手に入れた不思議な術が掛かった竹簡だ」


「不思議な術……? 至って普通の竹簡に見えますが」


「ここを見ろ。文字が浮かび上がってきているだろ?」


 潤一郎の指さす文章の最後を見ると、確かに何やら不思議と文字が浮かび上がってきていた。


「す、凄い! これは……一体どういう仕組みなのですか? 先生」


「仕組みは私にも分からない。だが、この竹簡に書いてある通り、私は『この世界の住民に、自分の知り得る兵法を教える』という目標を達成した。だから今最後の文字が浮かび上がり、文章が完成したのだ」


「え……私に兵法を教え終わったから、文章が完成したと……?」


「そうだ。この竹簡に元々刻まれた目標は、この世界に来たと同時に文字が消えて見えなくなる。そして、目標達成に近づく度に徐々に文字が見えるようになり、文字がすべて浮かび上がった時、目標は達成したとみなされ、達成者は元の世界へ戻れる」


 そう言って潤一郎は広げた竹簡を手に取った。


「この世界の人間に言うべきではないと思うが、お前には伝えておこう。この閻帝国のある世界は、私が『異国創始演義』によって創り出した世界なのだ」


「え?? この世界を、潤一郎先生が??」


「ああ。私の世界の中国という国の昔の姿に似せて創った。一度旅してみたかったんだ。平和な三国志という物語の世界観を。『異国創始演義』に記した世界は現実に存在するようになり、竹簡の所持者はその国へ行く事ができる」


「そんな、では、先生はこの世界の創造主という事ですか?」


「そう言ったら聞こえはいいが、少し違うかな。確かに私はこの世界を創ったが、私ができるのは“閻帝国という国の存在を別次元に刻む事”、あとは“その創造した国の世界観の設定”くらいだ。そこに住む人々に関するような細かい設定までは決められない。それを創り出した時点でその世界は別の次元で元々存在していた事になる。だから閻帝国には私の創造する以前からの歴史がある。それは自動的に補完されたものだ。それらが積み重なって今の閻帝国があり、そして、これから先の未来も、私の意思とは関係なく補完される。私は、別次元の歴史の中に、閻帝国という点を置いたに過ぎない」


「にわかには信じられない事です。ですが、先生が嘘を言うはずはない」


「1つ謝りたいのは、閻帝国を完璧な平和な国として創造できなかった事だ。必ず、国家があれば争いが起こり、闇が生まれる。これは私の世界のどの国の歴史も同じ。閻帝国に補完された歴史も、例に漏れず痛ましいものになってしまった」


「それは……先生の責任ではありません。例え先生がこの国を創造し、我々を生み出したのだとしても、我々は自分達の意思で生きてきた。だから先生が謝る必要はありません」


「ありがとう。子堯。すまないが、この話は他言無用で頼む。誰かに話したところでどうこうなるものではないが」


「もちろんです。そもそも、心配しなくとも、私の話など誰も信用しませんよ」


「何を言う。これから起こるかもしれない戦を止める事ができる唯一の存在はお前しかいない。必ず、出世して皆がお前の言う事を聞くようになる」


「戦が起こらないに越した事はありませんがね」


「そうだな」と、潤一郎は笑った。

 それから少しの間、思い出話に花を咲かせた。楊良は酒を用意し、酌を交わし、別れを惜しんだ。

 その最後の時間は、悲しいかな、あっという間に過ぎてしまった。


「では、私はそろそろ戻る。突然の別れになってしまい悪かったな。この1年楽しかったぞ。子堯。達者でな」


「先生……短い間でしたが、お世話になりました。教えていただいた兵法は、必ずや閻帝国の為に使う事を約束します。次に会える機会があるのら、その時はまた酒を呑みましょう」


 楊良が涙ながらにそう言うと、潤一郎は頷き、そして、竹簡の文章を声に出して読んだ。

 その瞬間、突如として竹簡が光り輝いた。そのあまりの眩しさに楊良は目を手で覆った。そして、すぐにカサっと音がして光が収まると、楊良は再び目を開けて潤一郎のいた場所を見る。

 すると、そこに潤一郎の姿はなく、床には『異国創始演義』が転がっているだけだった。

 それを手に取ろうとしたが、竹簡は光の粉となりその場から消えてなくなってしまった。



 ~~~


「実を申せば、儂は其方に初めて会った時、薄々感じていた。其方が潤一郎先生の孫娘なのではないかと」


 瀬崎潤一郎と竹簡『異国創始演義』の話を終えた楊良は、懐かしそうに言った。


 宵は口元を羽扇で隠してはいるが、溢れる涙を隠す事はできなかった。


「おじいちゃんが創った世界……そっか、それなら納得……」


 普通なら納得など到底できないだろう。だが、楊良の話は宵がこれまで経験してきた事とほぼ同じ内容だった。

 竹簡の文字が浮かび上がる事、竹簡が光る事、声を出して読むと身体が消える事。

 それらすべてを、楊良が適当に言い当てる事などできるはずもない。楊良はかつて瀬崎潤一郎に本当に会ったのだ。そして、この竹簡の事を聞いた。それは間違いない。


「楊良殿。その話が本当なら、宵殿……瀬崎さんが元の世界へ帰る方法は、文章が完成した竹簡を、もう一度音読する事……という事でしょうか?」


 気持ちが溢れて聞きたい事を聞けないでいる宵の代わりに、桜史が訊いた。


「ああ、そのはずだ。竹簡の文章は目標を達成すると浮かび上がるらしい。潤一郎先生は『この世界の住民に、自分の知り得る兵法を教える』という目標を掲げ、見事達成して元の世界へ戻られた。宵殿。其方が定めた目標は何かな? 文章を見る限り、目標は全部で5つあり、すでに4つが達成されていると見て取れる」


「……え? 私は何も目標なんて……」


 戸惑う宵を見て、楊良は再び竹簡の文章に目を落とし、そして指でなぞった。


「すでに達成したと思われる『挑戦』『感謝』『覚悟』『自立』……これらは自ら定めた目標ではないという事か?」


「はい。私はこの竹簡の仕組みを知りませんでした。だから目標とか決めた記憶はありません」


「とすると、目標は潤一郎先生が決めたのだろうな。……宵殿を成長させる為……そんなところかのぉ」


「私を……成長させる為。……やっぱり私がこの世界に来たのは、おじいちゃんが私に与えた試練だったんだ。おじいちゃんは我儘で自分勝手で優柔不断のダメダメな私の為に、このままじゃ駄目だって、そう言ってくれてるんだ」


 祖父の愛を感じ、宵の瞳からは溢れ出した涙はもう止まらない。頬を伝い、ポロポロと地面に落ちていく。


「元の世界へ帰りたいなら、まず最後の目標が何なのかを調べ、達成する。そして文章を完成させたら声に出して読む。儂が知っているのはそれだけだ」


「目標……か」


 袖で涙を拭いながら、宵は自信なさそうに呟いた。


「大丈夫だよ、瀬崎さん。ここまでいくつも目標を達成してきたんでしょ? なら、残りの目標もすぐに達成できるよ! 元気出して!」


 桜史の激励の言葉に頷く宵だったが、それで1つ疑問を思い出す。


「待って、私が帰れても、桜史殿……貴船君はどうやって帰るの??」


「残念ながら、他の者が来た場合の帰り方は聞いていない。そもそも、潤一郎先生は1人でこの世界に来たからな」


「そんな……」


 楊良の言葉に、宵は俯いたが、桜史は違った。


「確証はないけど……」


「何?」


「この世界に来る前、俺は竹簡の文章を読んで光に包まれた厳島さんを助けようとして肩に触れた。そしたら、この世界に来ていたんだ。もしかしたら、元の世界へ転移する時に、瀬崎さんの身体の一部に触れていれば一緒に戻れるんじゃないかな」


「そうか! そうだよ! それで3人一緒に帰れるんだよ!」


 はしゃぐ宵とは対照的に、桜史も楊良もその顔に笑顔はない。


「厳島さんというのは? もしかして、他にも誰か来ているのか?」


「はい。厳島光世という女の子が今麒麟砦きりんさいにいます。私と同じ朧軍でしたが、一足先に彼女は閻に投降していました」


「なるほど。この世界に来たのは、3人同時ではなかったのだな」


「はい。まず瀬崎さんが来て、それから私と厳島さんが来ました。私と厳島さんの転移した場所は朧国の、しかも大都督府だった為、初めは周大都督のもと、朧軍に仕える事になったのです」


「そういう事か。まあ、ひとまず3人が閻軍に揃って良かった。ならば、常に3人は共に行動していた方がいいだろう。いつ帰れる機会が訪れるか分からんからな」


 真剣に話を進める2人に、宵は小首を傾げる。


「あの、帰る方法が分かったんだから、もっと嬉しそうにしたら、貴船君」


「あ、うん。そうだね。ごめん」


 作り笑いのようなぎこちない笑顔で桜史は答えたが、楊良の方にはやはり笑顔はない。


「ともかく、其方らの状況は分かった。然らば、椻夏に行く前に、一度麒麟砦に寄ってその厳島光世とやらに帰る方法の目星がついた事を教えてやるといい。その後、3人で椻夏に行くといい」


「ありがとうございます、楊先生! 実は、一度麒麟砦に戻りたいって事相談しようと思ってたんですよ」


「問題ないだろう。明日にでも発ちなさい」


「分かりました! 楊先生、貴重なお話をありがとうございます。行こ! 貴船君! 田燦殿と鄧平殿に明日出発する事伝えて来なくちゃ!」


 すっかり涙が止まった宵は、桜史の手を握り、幕舎の入口の幕を開けた。


「宵殿」


「はい?」


 呼び止められた宵は桜史と共に楊良の方を見る。


「軍から抜けたいとは、言わないのだな」


「それは言いません。私決めたんです。閻帝国と朧国の戦を終わらせて、お互いの国が平和になるのを見届ける。帰るのはそれからだって」


「その心は?」


「私には兵法がある。人々を救う事のできる力がある。だから、その力を、私は平和の為に使いたい。それだけです」


 迷いのない清々しい答え。

 それだけ残して宵は桜史と共に幕舎を飛び出して行った。


 1人残された楊良は、立ち上がり、感慨深そうに顎髭を撫でた。


「潤一郎先生。貴方が私に教えてくださった事は、しっかりと、お孫さんに伝わっているようですな」


 そう言って楊良は、卓に置いてあった小さな酒甕から杯に酒を継ぎ足すと、その杯を天に掲げ、ゴクリと一息に飲み干した。

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