第141話 編成会議~私が筆頭軍師~

 帷幕いばくには案の定、既に楊良ようりょうが居り、宵の所定の軍師席に座り茶を飲んでいた。

 帷幕に居たのは楊良だけではない。

 田燦でんさん鄧平とうへいも席に着いていた。


「おはようございます。やっぱり皆さんこちらにいらっしゃいましたね」


 部屋に入った宵は3人に挨拶をすると、自分がいつも座っている席に楊良が座っているので鄧平の隣の下座に腰を下ろした。

 すると鄧平が指揮官の座る上座を指さした。


「軍師殿。何故ここに座られます? 貴女の席はあちらです」


 朝から宵が自分の隣にやって来て機嫌が良さそうな鄧平はにこやかに部屋の奥の上座を指す。


「いや、でも、あそこは田燦殿の席では?」


 宵がそう言うと、田燦が首を横に振った。


「本来ならば指揮官は中郎将ちゅうろうしょうである軍師殿になります。私は臨時で指揮を執っていただけですので、敵を退けて体勢が整った今、威峰山の真の指揮官である軍師殿が上座にお座りください」


「いや〜そんな、田燦殿お願いしますよぉ、私あんな偉い席座りたくないですよぉ」


「我儘はいけませんなぁ、宵殿。軍に所属しているのだから、階級は絶対。誰も其方が指揮官だという事に反対する者はおらん。其方は閻軍の筆頭軍師なのだから」


 楊良にそう言われると、宵は不本意ながらも渋々真ん中の上座に腰を下ろした。

 こんな席、三国志の漫画やドラマでも軍師で座っていたのは、諸葛孔明しょかつこうめい司馬仲達しばちゅうたつ、後は周公瑾しゅうこうきんを初めとした呉の歴代大都督達等の錚々たる面々くらいのものだ。そんな著名な軍師達と同等のところまで、軍内での信頼が厚くなっている事に、宵は胸を打たれた。羽扇の柄をぎゅっと握り締め、目を閉じて深呼吸をする。


「遅れました」


 そこへ、遅れて桜史が入室すると、田燦の隣に腰を下ろした。


「揃ったな。では宵殿。始めましょうか」


 楊良の言葉を受け、宵は目を開き、真剣な顔つきで口を開く。覚悟は決まった。閻軍筆頭軍師として、皆を率いる覚悟が。


「それでは、軍議を始めます。議題はこの後の戦略に関してです」


 まず、田燦が立ち上がった。


椻夏えんかの閻軍が周殷しゅういんの水軍に強襲され鶏陵けいりょうの包囲を解き椻夏へ撤退しました」


 状況の整理の為に田燦が口にした内容に、一同は黙って頷く。やはり既に全員が李聞りぶん姜美きょうめいの軍が鶏陵から撤退した事実を把握していた。


「思いますに、朧軍はしばらくはこちらへ攻めては来ないでしょう」


「それは何故でしょう?」


 宵が訊くと、田燦は幕舎の入口の方を指し示す。


「日に日に辺りの氾濫した水の水位は下がりつつあります。今から水軍で出陣しても、数日後には水は干上がり、舟は使い物にならなくなります。故に、進軍は水が引いた後。それまでは猶予があるものと思います」


「なるほど。確かに、水がなければ舟は使えない。水軍で進軍中に水がなくなれば舟は進めなくなるし邪魔になる……楊先生。水は後どのくらいで引きそうでしょうか?」


 楊良は飲んでいた湯呑みを目の前の小さな机にコトンと置くと、顎髭を触った。


「まあ、場所にもよるだろうが、早くて後7日程かのぉ。そこからさらに兵が行軍できるくらいに地盤が固まるのに3日……と言ったところか」


「なら、10日は敵は進軍して来ない可能性が高い。ですが、周殷の鶏陵への救援の速度を考えると、想定より早く何らかの方法で攻めて来ないとも限らない。ここは間諜との連絡の頻度を上げて周殷の動きを注視しましょう。間諜の連絡が洪水の影響で遅れる事も考慮に入れなければなりませんね」


「承知いたしました、軍師殿。して、その10日の間に我々はどのように動けば良いでしょうか?」


 田燦の問に、宵は羽扇の羽根先を鼻頭に当てて僅かに思案する。


「まずは軍の編成をしましょう」


「軍の編成?」


 田燦と鄧平は首を傾げたが、楊良と桜史は成程と頷いた。

 楊良は顎髭を撫でながら口を開く。


「確かに、目下洪州こうしゅうとの州境、防衛の要衝である椻夏とここ威峰山いほうざんは戦力が偏っている。椻夏には将軍3名がいるが軍師不在。一方、威峰山は将軍不在だが軍師が3名もいる。振り分けた方がいいな。威峰山は田燦殿や鄧平殿のような将軍に値する将官がいると言えど、李聞将軍や姜美将軍のような極めて有能な指揮官を一箇所にまとめておけるほど、指揮官に余裕はない。威峰山に軍師3名もいるというのも効率が悪い」


「そうですね。もし、椻夏に宵殿か楊良殿のいずれか御1人でもいたら、今回のような周殷の強襲に対抗できたかもしれません」


 桜史が意見を述べると、楊良は呵呵と笑った。


「謙遜するな桜史殿。其方がいても結果は変わっていただろう」


「いえ、そんな事は」


 あくまで桜史は自分なんかと首を横に振る。


「ならば威峰山の守りには、姜将軍をお迎えしたい!」


 田燦は真っ先に拱手して姜美を指名した。


「同じく! 是非、威峰山の指揮官は姜将軍に!」


 今度は鄧平が立ち上がり姜美を推挙した。

 田燦も鄧平も、元々姜美の副官だった男だ。今一度姜美の下で働きたい気持ちは十分理解できるし、拒む理由はない。


「異論はありません。そちらの方が御2人共やり易いでしょう。それでは、姜将軍には威峰山の守備をお願いしましょう。楊先生、桜史殿。何か異論はありますか?」


 宵の問に楊良も桜史も異議なしと答えた。


「では、私達軍師の配属ですが……」


「それには儂に案がある」


「お願いします。楊先生」


「威峰山と椻夏は今後も洪州からの朧軍の侵攻が危ぶまれる。ここは何としてでも死守せねばならぬ。もちろん、東の景庸関けいようかんもだが、あそこには費叡ひえい将軍配下の有能な将軍である馬寧ばねい将軍と陳軫ちんしん将軍がいる。御二方に任せておけば安心だろう。よって、威峰山には儂が残る。椻夏は李聞将軍がいる。馴染みのある宵殿が行かれると良い」


 楊良の采配を聞いた宵は満面の笑みを浮かべた。


「承知いたしました! 楊先生と離れるのは不安ですが、私ももう閻軍の軍師。そんな泣き言はいってられません。それに、李聞殿は私の命の恩人。またお仕えできるなんて願ってもない事です」


「ご立派です。では安心して、椻夏をお任せできますな、宵殿。しからば、桜史殿ですが……」


「あ! 楊先生! 桜史殿はもう少し私に預けて頂けませんか?」


 宵のその発言に、顔色を変えた鄧平が1歩前へ出た。


「軍師殿! またこの男を贔屓するのですか!? その男は元朧軍で、我々の敵だった男! 威峰山にお残しください! 私が面倒を見ましょう!」


 面倒くさい。宵の予想通り、鄧平は噛み付いて来た。しかし、桜史を鄧平に預けたら何をされるか分かったものではない。宵が何とか鄧平を説得しようと口を開きかけたその時、「やれやれ」と楊良が先に口を開いた。


「鄧平殿。桜史殿は確かに元朧軍でした。しかし、今は投降して、閻の為に力を貸してくれている。先の尉遅太歲うっちたいさいとの一戦でも、桜史殿がいなければ、どうなっていたか分からない。そうであろう?」


「それは……! ……そうですが……」


「それに、儂も元朧軍だった男。事情はどうあれ、儂も桜史殿も今は閻の為に戦う者。儂を信じるというのに、桜史殿は信じぬのか? それとも何か? 宵殿が桜史殿を連れて行ってしまうのが気に入らぬだけか? もし、そのような下心で宵殿の采配に文句を言うのであれば、其方に将軍の器はないのぉ。せっかく優れた武勇をお持ちと言うに、実に勿体ない。其方程度の校尉は幾らでもおる。どうなのじゃ? 宵殿が桜史殿を連れて行く事に異を唱えるのに、もっと気の利いた理由はあるのか?」


 楊良の正論に、武勇一辺倒の鄧平が反論できる筈もなく、恥ずかしさと悔しさの入り交じった顔で俯くと1歩下がって拱手した。


「軍師殿、桜史殿、無礼をお許しください」


 楊良のお陰で鄧平と言い争わずに済み、宵は楊良へこっそり頭を下げた。


「……構いませんよ、鄧平殿。分かってもらえれば。それでは、私は椻夏に桜史殿を連れて行きます。良いですね、桜史殿」


「御意!」


 同い歳の友達の男を従えるというのは、何だか変な気持ちだ。宵は拱手する桜史を見てそう思った。


「兵力の配分も決めなくてはなりませんね。そこは後で楊先生と桜史殿と私で詰めましょう」


「あの、軍師殿」


 不思議そうな顔をした田燦が手を挙げた。


「どうしました? 田燦殿」


「軍の編成は分かりましたが、具体的に今後の戦略というのはお決まりなのでしょうか? このまま防衛を続けるだけで、こちらから攻めたりはしないのかな……と」


 田燦の問に宵は「ふむ」と言って顔を羽扇でパタパタ扇ぐ。


「戦略は決まっています……が、今はまだ具体的な事は言えません。今は威峰山と椻夏の守備を固めましょう。皆さん、良いですね?」


「「「「御意!!!!」」」」


 男4人の力強い返事が、威峰山の帷幕に響いた。



 ♢


 軍師3人による兵力配分の軍議も終えた午後。

 宵と桜史は楊良を捕まえて自室へと連れて来た。


「一体何事ですかな? 宵殿、桜史殿。今日の軍議は終了。老いぼれは疲れてしまいましたぞ。早く帰って酒を呑みたい」


 楊良がボヤくと、桜史は酒を注いだ杯を楊良の前の卓に差し出した。


「お酒です。召し上がってください」


「ふむ、では、頂こう」


 楊良はすぐにその酒を飲み干すと、幸せそうに息を吐き、袖で口元を拭った。


「頭を使った後の酒は格別だな。して、話とは何だ?」


 宵は楊良の卓に1巻の竹簡を広げて置いた。


 それを見た楊良の目の色が変わる。


「楊先生にお話ししたい事がありまして……」


 真剣な顔つきの宵と桜史を見た楊良は、ただニコリと微笑んだ。

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